第四四章 / 第四五章 / 第四六章 / 第四七章
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「花の碑」 第九巻
第四七章
熊野は、鷹彦が死んだことを、龍一に付き添われてきた川田尋彦から聴いて、いやそうではなかった、ここでもまた川田は吃ってなかなか言葉が出てこなかったから、龍一が鷹彦の死を告げたのだが、疑うべくもないことだとわかっていながら、
「ほんまのこつね」
と信じられないような顔をして、訊ねた。
なぜなら熊野は、日に日に鷹彦の病状が悪化して、もうベッドから起き上がれなくなってからも、鷹彦の執念というのか、怨念というのかが勁く働きかけてきて、秋子を抱くとき、どこかから鷹彦の冷たい眼が背に突き刺さってくる感じがして、ぞくっ、と寒気が走るのを感覚したことがあったからだった。
それは熊野が独り合点に、秋子をなかにした恋敵だと、鷹彦を勁く意識していたせいだし、自分自身が、職権を乱用して秋子を篭絡したという疚しさが、心の底にあったからだっただろうことは間違いなかったのだが、他人の思惑など気にとめない熊野が、秋子の上に乗っているときに、背に突き刺さってくる鷹彦の眼を意識するということは、鷹彦の執念がそれほど勁く働いているということも確かにあったはずだった。
柳子が以前、鷹彦に、秋子さんが夜も眠れないほど鷹彦さんに恋焦がれているんだから、結婚することまで考えられなくても、何とか彼女の愛情に応えてあげてくれないか、と月下氷人を決め込んだとき、はっきりと「彼女は娼婦型」だからなあ、と拒否したのは、彼自身が、性的に崩れやすい己れの弱さを知っていたからで、でき得れば抱きたいという欲望に苛まれていたからだった。
鷹彦が看破したように、秋子の娼婦性は間違いなく、鷹彦に恋焦がれて身悶えたと柳子に言ったのは、容姿のいい男だからというだけのことであって、身悶えるのは彼ひとりを思ってではなく、男を求めてという不特定の男性を対象としてのことだったのだ。
柳子と秋子を見比べて、性的な対象でなら誰でも秋子を選ぶだろうし、議論の対象としてなら柳子を選ぶのはとうぜんだろうから、柳子には「彼女は娼婦型だから」と言いながらも、そうであるからこそ性的欲望を充足させるためには秋子を求める鷹彦の思いも特別なことではなかったのだ。
秋子の母が、「あんな青白い文学青年なんか、何の役にも立てしまへんえ」と言ったことが、秋子から熊野に、熊野から須摩子に、そして須磨子の口から鷹彦の耳に届いて、鷹彦を苦笑させたあと、それならばいっそ秋子を征服して熊野の鼻を明かしてやろう、と考えたことはあったのだ。
だから熊野が、鷹彦の執拗な執念の眼を感じると思ったこともまた、間違いではなかったのだが、その後益々病状が悪化してゆくばかりで、農作業にも出られなくなった鷹彦だったから、あれでは秋子を争う力ももうないだろうと思っていた矢先に、向こうから力尽きて斃れたという報せは、熊野にとっては心休まるものだった。
熊野の、鷹彦への惧れは、容貌と知性において、到底適わない敵だったのだから、実際に秋子をなかにして争えば敗けることは必定だったのだ。
そう思って熊野は秋子にしつこく言い寄っていたのだが、埒があかなかったから、將を射んと欲すれば先ず馬を、と思って、ベンダの付けを倍にして見せ、タツを脅かし、懐柔し、欲してもいない母親のほうを先に抱き、秋子を抱かせてくれたら、あとの面倒は見させてもらうけ、といい加減な保障をして、とうとう秋子を征服することを成就したのだが、成就したら、したで、それが鷹彦から弾劾される材料になって、訴え出られたり、日本人社会に喧伝されたりするのではないだろうか、という強迫観念になっていたのだ。
どちらもが観念だけで互いに突っ張り合っていて、どちらもが独り相撲だろうかと考えていて、いや油断は禁物だなどと、疑心暗鬼を生じ、神経をすり減らしていたのだけれど、熊野は秋子を抱いたあとでも、この女も好きものだったのだとわかって、鷹彦とも通じていたのではないかと思ったのだが、それを言い出せないでいたのだ。
そんな精神的な圧迫感があって、鷹彦の躰が弱っているのは知っていても、彼の死を今日明日のことには考えたことはなかったから、いま鷹彦の死を知って、思っていたより早く向こうから突っ張っていた腕をあっさり外され、力余って前のめりになる思いがしたほどだった。
鷹彦の死を唐突な感じに受けたのは、とつぜんなことが、思いもよらず重なったからでもあった。
誰もが放送局だというほど噂の種を集めては垂れ流す熊野だったが、昨日から今日にかけての特大ニュースは、熊野にも予想できないものだったのだ。
 鷹彦の死を聴いてすぐ、
「どげんして、こうも急なことば、つづくんじゃろう」
と思わず熊野が嘆息を洩らしたから、それを聴き咎めて、龍一が訊ねる。
「いま熊野さんは、急なことがつづくと言われましたが、ほかにも、どなたか亡くなられたんですか」
小さな日本人集団だったから、誰かが病気だとか、死んだとか、そういうことを聴き漏らすはずがなかったし、急死にしても伝わらないはずはないと思った。
「いや、死んだちゅうこつじゃなかばってん。いや、やっぱり死んだこつになるたいね、これも」
熊野が、そんなあやふやな言い方をするのが納得できなかった。人が死ぬということに、曖昧な状況など考えられないはずだから。
龍一と川田が、怪訝な視線を熊野に向けると、
「流産たい。中村の須磨子しゃんが流産ばしたとたい」
と少しとぼけたふうな顔になって言ったから、龍一と川田が、へえっ、と息を呑む。
須磨子が妊娠していた噂を聴いていなかったのだから、妊娠していなかった娘が流産したなどとは、まやかしのマリアが処女懐胎したという以上の青天の霹靂というしかなかった。
ああ、まさか、あの女も熱心なクリスチャンだったから、想像妊娠の処女懐胎というものが在り得たのだろうか、と考えて、まさか、まさか、とまさかを何度も重ねて、龍一は、自分が勝手に考えたことを疑っては反転させ、苦笑する。
あそこの家族は、父と娘がひとつ小屋で寝て、母と息子が別の小屋で寝ていたのだから、水子になって出るようなことも起こって当然かも知れない。
いやそれとも、黒人から強姦されたときに妊娠したんだろうか。こちらのほうも水子になる可能性は大だなあ、などと下世話なことをいろいろ想像することを楽しんでしまうのは講談好きのせいだろうか。他人の不幸は、悲しむよりも、楽しむもののほうが多い。
柳子の知りたがり屋は、龍一の血なんだろう、と龍一が想像を逞しくしているのを知ったら、誰しもそう惟うだろう。
まあ、好奇心というものは誰にでもあるものだけれど、鷹彦の死よりも、須磨子の流産のほうが、ニュース・ヴァルーが大きいのは確かだろう。
あの女もふしぎな女だ。いつもキリストの姿を仰ぎ見るような恰好で、しずしず歩きながら、人目を引き、驚天動地な事件を演じて、毎日代わり映えのしない生活に色を添える。
流産というのは、まだこの世に生まれ出ていなくても、子が胎のなかで死んだことになるのだろうから、人の死がつづいたことには違いないのだ。鷹彦は、彼みずからの命を絶ったようだけれど、須摩子は、彼女自身の子の生命を絶ったのではなかっただろうか。いや、ひょっとすると、須磨子の父が彼女の腹を蹴って、胎に入った子を殺したのではないのか。
龍一は、そんな極限状況まで想像しながら、
「いつのことですか」
 と惚けた顔で、訊ねる。
「昨日」
「へえ、昨日」
「そう昨日の朝、暗いうちたい」
「へええ。鷹彦くんが亡くなったのが、今朝の暗いうち。人間の生き死には、そういう時間帯が多いんでしょうかねえ」
龍一が、あからさまに興味を示しながら言ったが、川田も自分のほうの不幸を忘れて、他人の不幸に多大な関心を示している眼つきだった。
「それで、須摩子さんはどうなりました」
興味は持っても、普段は人の噂に首を突っ込んで、根掘り葉掘り訊くような龍一ではなかったが、須磨子が流産したというトピック・ニュースを聴き捨てにはできなかった。
「昨日の夜明け前、支配人に頼んでリンスの病院さ連れていったたい」
「それで」
「ああ、だいじょうぶたい、すぐ退院ばでけるようだし、彼女はスペイン語がでけるんじゃけ、一人にしても帰ってこれるばってん」
 熊野は理由もなく、彼自身の手柄のように言い、独り合点している。
「なるほど、やはり言葉を知っているというのは便利ですなあ」
話の落ち着く先とは、ぜんぜん別なほうに流れた思惑が、龍一の気持ちを落ち着かせなかった。
鷹彦の死は、さもありなんと思えたけれど、須磨子の流産は、誰も考えていなかったことだろうし、彼女を妊娠させた相手を詮索したくなるのは、人情でもあっただろう。
大男の黒人を「ジュードー」で投げ飛ばし、硬直していたペニスがコーヒー樹に激突して折れ、ほんとうなのか、冗談なのかはわからなかったけれど、使いものならなくなったという噂を信じたくなるほどの、堅い信仰と強い身体を兼備している女を、妊娠させ得た男は、よほどの剛の者だろう、と物語的に考えてしまうのだ。
あのとき、黒人のペニスがすでに須磨子のバギナに入っていて、射精していたということらしいから、黒人の胤が入ったのか、父と寝ているというのだから、近親相姦で妊娠したのか、女好きな神父と通じていたのか、それとも仲のよかった鷹彦が、叔母や文子以外に彼女ともそんな関係になっていたのか、彼女を妊娠させ得る男性は、何人でも考えられる環境だったのだ。
須摩子自身が、性的にだらしのない女で、一週間のあいだで犯した宗教的モラルは、日曜日の朝、神に謝罪すれば赦されるのだから、と言って平気でいたというのだから。
「須磨子さんは、どなたと結婚なされていましたのか、儂は、うっかりしていて知りませんで、お祝いも言わずに居ましたが」
龍一が、皮肉たっぷりに言うと、
「まだ結婚などしとりゃあせんけ。流れた子の父ば、医者から訊かれても、神の思し召しですちゅうばっかしで。あとは流暢なスペイン語で讃美歌を口ずさむだけじゃけ、医者も頭がどうかなってるんだろうと言ってたけ」
熊野も、須磨子の不幸を思うより、恰好な話題ができたおもしろさを顕わにしていた。
龍一は、敬虔な信仰者のような取り澄ました顔をして、毎日曜日に教会に足を運んでいる須磨子だが、ひと目視ただけで性生活が乱れているのがわかるほど、躰の線が崩れている彼女に、性的な魅力など感じたことがなかったのに、須磨子を妊娠させた男に、ゆえもなく捻れた嫉妬を覚えた。
抱いてみたいと思えないような彼女を、抱いた誰だか知らない男を、果報なやつだと羨んでいるみずからの変態的な性欲に、呆れ、驚きながら。
熊野も、日本人なのにガイジン女のような肌をしている須摩子が、もう何度も妊娠し堕胎しているのではないだろうか、と彼女の外観を見ただけで惟っていたのだが、この女ならいつでもさせるじゃろうが、食指も動かない女に、鷹彦が物好きに接近していると惟って、軽蔑していたのだが、その片方が死に、もう一人のほうが流産という結果に終ったのが、哀れでもあり滑稽でもある、と暖流と寒流がぶち当たって渦を巻いているような感情で、日常性から食み出た世話をするのがうれしそうに、うきうきした様子だった。
「それじゃあ、川田しゃんば今日は休んで、棺桶作ってくれんね、あとでぼくが材料世話するたい。そいで、今日の作業ば終わってから埋葬してもらうけ、ぼくが、みんなにそう知らして回るけんね」
 熊野がうきうきしている理由は、ほかにもあって、何かを世話するたびに、大概は物を動かす流通経路で利潤が生じるという資本主義体制の法則によって、彼の懐にも、間違いなく余禄があって、潤いが転がり込むというシステムのなかにいるからだった。
 だから恩着せがましく小森一家の窮状を救うといっても、実質的に熊野自身の懐に影響するのではなく、物を動かすなかで生まれる利潤の一部を、さも彼が身銭を切って施すように見せかけるだけなのだ。
 そういう経済機構の仕組みを知っていた鷹彦でも、彼自身の死亡が、熊野の懐を潤すことになるなどとは計算できなかっただろう。
 薬局に薬代の付けが嵩んで、叔父に迷惑をかけるからなどと、家庭の事情まで柳子に打ち明けても、自分自身の屍骸を入れる棺桶をつくる材料を、叔父が買わされて、そのあいだでピン撥ねがあるなどとは考えなかったのにちがいない。
「葬儀のことは熊野さんにお願いするとしまして、儂もその準備のために川田さんの手助けをしますので、今日は作業にはでませんから」
 龍一が、十分の三の親切心と、十分の三の怠け心と、十分の三の自己満足で、そう言うと、
「ああ、そうね、そうしてつかあさい」
 と熊野が、あとに余った十分の一を容認する。
「じゃあ川田さん、あなた棺を作って、鷹彦くんを納棺するときには、儂が手伝いますから言ってください。儂は儂のほうで卒塔婆の用意などしますから。それにしても、まず腹ごしらえをしなければなりませんので、儂はちょっと家に帰ってきますから」
龍一が、熊野と川田の中間に挨拶すると、相変わらず川田は無言で、それでも深々と丁寧な頭の下げようをして、真意を示した。
「さあ、川田しゃん、材料ば買いに行きまっしょ」
熊野は、川田を促してベンダに行く。
龍一は、小屋に帰ってくると、他人に観られたら、人の不幸を知っていながら不謹慎だと詰られそうな、なんとなく慶祝至極な顔をして、
「今日は忙しいぞ。おい、チヨ、飯だ、め
しにしてくれ。今朝はパンではだめだぞ、味噌汁をつくったか、飯炊けたか」
などと、諏訪神社の祭りが始まる前のように、いそいそしている。
「お父ちゃ、なによ、そんなにうれしそうな顔して。鷹彦さんが亡くなって、わたしがこれ以上アカくならないからと思って、よろこんでるのぉ」
部屋から出てきた柳子が、皮肉というより、怒った感じで言うと、
「ばか、人が死んで、儂がどうしてうれしいんだ。川田さんの手伝いしなきゃあならんから、忙しいって言ってるだけじゃねえか」
と応えた龍一だったが、浮き浮きした感じは隠せなかった。
郷里で遊び呆けていた龍一だったが、村のなかのどこかで冠婚葬祭があると、率先して手伝い、また便利がられて、「龍一さん、お願いしますに」と呼びに来られる存在だったし、六年に一度開かれる諏訪大社の御柱祭りには、早くから宿を予約しておいて、欠かさず出かけて行ったほどの、祭り好きなのだ。
八ヶ岳山麓から巨大なモミの樹を曳き綱で運び出したり、急斜面を滑り落とす下社の木落しなど、千二百年ほどもつづいている勇壮な神事を見物に出かけるのだが、六年毎の神事は同じでも、龍一の傍に寄り添っている女は変わっていた。
ブラジルに来て最初の、そしてスイス人耕地での掉尾を飾ることになるだろう葬式の手伝いができるのは、他人の不幸は横に措いて、心の弾むことには違いなかったのだ。
そんな気分が口を軽くさせ、龍一は、味噌汁を一口啜ったあと、
「須磨子が流産したっちゅうぞ」
と、いかにもおもしろい話題のように言わせた。
「まあ」
チヨは、思わず持っていた茶碗を落しそうにして、眼を瞠った。
「ほんとなのぉ」
柳子も、箸を口に入れたままの恰好で、動作が止まる。
「ただの噂なんずら」
チヨは、信じられない口調で言う。
「熊野が言ってたんだ。熊野がリンスの病院まで運んで、須磨子はまだリンスの医者のところから退院していないって言うんだから、これは噂じゃねえんだぞ」
 柳子は、父がなんだかうきうきしているように見えたのは、このトピック・ニュースのせいだったんだ、とわかって眼を耀かせる。
 須磨子も不幸に出くわしたのには違いなかったが、鷹彦の死とは性質が違う。彼女の不幸は、彼女自身のふしだらが原因なのだから、お父ちゃの不謹慎は赦せることだ、わたしだって、こんなホット・ニュースには、躰が浮き上がるのだもの、と柳子は頬が火照るのを覚える。
「いつ、誰と結婚していたんずらねえ」
 他人の陰口を言うのを嫌うチヨも、興味を沸かしたのだ。
「結婚などしとるもんか、流れた子の父親が誰なのか、熊野にも言わんって言うんだから」
「誰だろう」
柳子も、須磨子に妊娠させた男性が誰なのかという興味のほうに気が逸れて、須磨子の哀しさに、同情をよせることの薄さを考えなかった。
それは、須磨子が敬虔なキリスト教信者であり、いかにも信仰のないものを蔑むように振る舞ってきたことへの反発が勁すぎたためだろう。
この農場に入植したばかりのときに、いっしょに教会に行かないか、と柳子を誘いに来た須磨子が、「人間は生まれたときから罪深いのだから、信仰によって神の恕しを受けなければならないのだ」と言っていたが、罪深いのは一般の人たちではなく、彼女自身だったのが、いま露見したのだ。
柳子は、須摩子に対して、そう言って嗤ってやりたいほどの嫌悪感を抱いていたのだ。
父親の名も言えない子を孕んで、挙げ句に流産したというのだから、日曜日ごとに教会に通って、神に恕しを乞うても、神は恕さなかったではないか、と。
キリスト教信者は、イエス・キリストの母の真似をして、世間では嗤いものになる未婚の母になっても、クリスチャン仲間では、それを恥に思わなくてもいいのかもしれないけれど。
龍一も、自分自身の過去の諸行を棚上げにして、須摩子を嗤う理由は、柳子と同じだった。
未婚で妊娠し、流産した須磨子に対して、日本人の面汚しだ、とまで考えるのも、彼女がキリスト教者という理由にならない理由でお高くとまって、人を蔑視するようなところがあったからだった。
儂のしたことは、日本国内の小さな村のなかだけで他人の口に上ったことだが、須磨子のしたことは、外国でおおぜいのガイジンたちから嗤い者にされる破廉恥行為なのだから、というのが龍一の、須磨子を悪し様に言う理由になった。
ブラジルでは、たとえ未婚であっても、妊娠すると親は喜び、他人も寿ぐという、キリスト教的な神の寛容さ、見方を変えれば狡猾な無関心さ、もう一方から言えば偽善的な無能さを習慣化させているのを、龍一は知らなかったのだ。
そして、いっそう龍一の眉を顰めさせたのは、彼自身の憶測に過ぎなかったが、須磨子の妊娠につぐ流産と、鷹彦の自殺らしく思える急死とを結びつけて、須磨子を妊娠させたのは鷹彦ではなかったのか、と憶測したからだった。
須摩子が妊娠し流産したという話を聴いて、ああ、よかった、柳子でなくて。と思ったのは、龍一ひとりではなく、チヨも同じ惟いだった。
惟ったことは同じでも、惟うまでに至る過程は違った。
龍一は、あんな男に柳子がいたずらされなくてよかった、という安堵だったが。
チヨは、お転婆な柳子が、鷹彦さんに処女を上げますなどと言い出さなかったのに安堵したのだ。
熊野も、龍一と同じ事を考えたひとりだった。須磨子の妊娠の相手は鷹彦だろう。しかしあんな肺病病みでも女に子を産ませることができるのか、という懐疑のなかでだったけれど。
じつは、熊野自身は、若いときにひどい性病に罹って、その治療のために女を妊娠させられない躰になっていたので、その善悪に関わらず、妊娠させられる男に非常な嫉妬を覚えるのだ。
秋子が「今日は排卵日やから、でけへんねんよ」と言ってセックスさせなかったときに、うっかり「妊娠させる能力はないけん」と言いかけて、言わなかったのは、性病に罹ったのだということと、子を産ませる能力がないのだということとを、秋子が知って、軽蔑されるのを惧れたからだった。
熊野は、鷹彦の死を、はっきり自殺だと断定した。それは、恋敵の鷹彦と秋子を争って俺が勝った、と思う増長心があったからだろう。鷹彦が須磨子と肩を並べて教会に通うようになったのも、秋子を諦めたあとのことだと思っていたから。
それみたことか、鷹彦と須磨子という移民たちのなかでインテリぶった特異な存在だったふたりが、とうとう化けの皮を剥いだではないか。学問なんぞ、現実社会でなんの役にも立つものか。ブラジルではな、金と権力と押しの勁さがなくては出世はできんけ、と熊野は背中のほうで舌を出して、腹のなかで嗤って、親切を前に出して押し売りするのだ。
そう考えるのは、拝金主義の植民地社会、移民社会の常だったから、タツや熊野だけの我欲さだけではなかったのだけれど。
豊富な経験だけが人間を価値づけるのだ、と考えてきた熊野が、もっとも毛嫌いしてきたインテリふたりが、一農年の締めくくりになるコーヒー採取作業が終わって、賃金が清算される前に、彼らふたりが、こそこそ隠れてしていた悪事が露見して、人生の清算をしなければならなくなったのだ、と思って内心で快哉を叫んでいた。
鷹彦の死を知ったとき、須磨子の流産とすぐに結びつけたのは、それが単なる偶然に重なった事件だとは思えなかったからだった。
鷹彦のやつめ、須磨子の流産を知らずに死によったか。須磨子も流産の後処理が悪くて、まだリンスの病院にいるから、鷹彦の死を知らずにいるのが、神様の思し召しというものではないのか、と思って、心に小気味よさを覚えながら、川田に棺桶用の材料をベンダで買わせたあと、さっそく小森の小屋に行って、トピック・ニュースを伝えた。
小森の小屋では、熊野が運んできた白米と味噌、醤油や野菜類が、熊野の自慢顔を象徴するように、存在感を強調していて、今朝も早くから起き出してきた小さい子も交えて、味噌汁と、焼いた川魚と、白いご飯に鶏卵を生のまままぶして、にこにこ顔で頬張っていた。
大阪にいたときも、秋子が金貸しに躰を提供した次の日には、豪華な食事ができて、幼い子らを喜ばせたのだ。
それを視て秋子は、あのときには涙を茶碗のなかに落としていたのを思い出したが、いまは流す涙は涸れてしまったのか、滲み出しもしなかった。
茂は、いかにも不味そうに、そっぽを向いて白い顔をして、掻き込み、喉を飯が通り難そうに、茶で流し込んでいた。
「なんや、熊野はんかいな。えらい早うからどないしはりましてん」
 勝手口から、のそっと入ってきた熊野を見て、タツが愛想よく迎える。
「ああ、早うから川田に叩き起こされて、ベンダに行ったりしたけ」
「へええ、川田はんに。なんどありましたんかいな」
「鷹彦が死んだんたい」
 えっ、と言うのは小さい子を除いて全員の声で、それぞれが箸の動きを止め、茶碗や汁椀を持ったままだった。
 しばらく沈黙がつづいたあと、
「へええ、死にはりましたか、鷹彦はんが」
 タツの感慨深そうな声が、溜息混じりにした。
 ほかに何かを言うものはいなかった。一年になる共同生活のなかで、鷹彦と親しく話したものがいなかったからだろう。
 秋子は移民船の甲板で、鷹彦を見かけ、気を惹かれて、だんだん片思いが募って、とうとう柳子に「鷹彦さんを好きになって、夜も眠られへんことがあるねんしぃ」と打ち明けたけれど、タツが怪しんで問い詰め、「鷹彦さんと結婚したい」と言うのを聴いて、「あんな青白い文学青年なんか、何の役にも立てしまへん。アホなこと言うのんええ加減にしなはれ」と秋子を叱り、それきりになったのだけれど、いまそのことを秋子とタツが思い出していたのだが、
「ほれ見なはれ。わてが言うた通りや。鷹彦はんはブラジルまで死神背負うて来はりましたんや」
 とタツが言ったので、
「お母ちゃん、死んだ人の悪口言わんといて、みっともない」
 と秋子が、茶碗と箸をテーブルに音させて置いたから、いよいよその場の空気が険悪になり、子どもらみんなも、不味そうに食べるようになってしまった。
 熊野は、そのあとで須摩子が流産したことを告げて、話をおもしろくしようと考えていたのだが、その機会を失って、こそこそと出て行った。
「なんでよその人が死んで、ウチがお通夜せなあかんねんな」
 タツは、口から出すか出さないかという低音で、ぶつくさ言ったけれど、秋子に向かって言い返す力を失ってしまっていたから、口喧嘩にはならなかった。
そう鷹彦が言ったことを憶い出したが、まだ柳子には、鷹彦の言った意味が解けないでいたのだ。
いま解ったことは、「ぼくの肉体は死んでも、精神は生きつづけるよ。ずっと霊魂になって、柳ちゃんの傍にいるから」ということだった。
それならやはり、鷹彦さんは死んだんだなあ、と理解するしかしようがないだろう、精神が生きていても、肉体の死を、人間世界は個体の死だとしているのだから。
そう納得すれば、鷹彦さんは、死んだんだと思うしかないだろう。なんという短い人生だったことか、と柳子は人の命の儚さを実感した。
このスイス人耕地のなかで、彼ともっとも知的な関係を持ったのは、わたしひとりだったんだ、という思いが勁かったから、いっそう感慨深くそれを惟った。
美人薄命というけれど、美人には概ね痴呆美というものが多くいて、ばかほど長生きするということばと、それを二つ合わせて二分すると、美人薄命もまた二分されることになるだろう。
その点から言うと、薄命の美人は、ずば抜けて知的な人のほうなんだろう。そして、それは女性だけのことではなく、男性もまた当て嵌められることなんだ。
鷹彦さんなどその代表的人物ではないだろうか。人生五十年といわれる人の命を二十五年に短縮した分だけの知識を吸収して、もう満杯になったのだから、寿命を全うしてしまったのだ、と惚れた眼で見て考える。
各々の小屋のなかで、柳子の考察することと、秋子が感慨することとは交錯せずに、各々の思いの狭間を時間が流れて、太陽は大きく西に傾いてゆく。
熊野が、支配人から許可を得て、早めに作業を切り上げさせ、全員が川田鷹彦の葬儀に参列するように、と言って回る。
 茂は、終始だんまりを決め込んでいた。
タツとすっかり心が離れてしまってから、あれだけ口の軽かった男が、川田尋彦のように無口な男に変わってしまったのだ。
子どものことを考えるから、離婚話は持ち出さないでいたけれど。
秋子は、父の心情がよくわかった。ウチが父の立場やったら、いますぐにでも離婚したやろうと思っていた。そうかと言って、娘としてはこの母を捨ててゆくのは忍びなかった。母は病気なんや。虚栄に取り憑かれて心が病んでいるんや。娘を売ってでも己れの虚栄を保とうとするほどに。
心だけやのうて、躰も具合が悪うなってるみたいや。近頃は、きんきん声の力が弱ってきているもん。
秋子のやさしさが、心と躰を病んでいる母を捨てて出るのを思い留まらせているのだ。もちろん父といっしょで、幼い弟妹のことを惟うからでもあったけれど。
 その日の農作業に、秋子は出て行かなかった。
 その理由を、熊野に向かって、
「鷹彦さんの冥福を祈りますよってに」
 と言った。
 さすがの熊野も、ぎゅっと心臓を掴まれて、地面に叩きつけられた思いがした。なんちゅう気の勁いオナゴやったんか、と。
 タツも、気ぃのキツイ娘や、わてにあてつけて、と思った。
 茂は、心のやさしい娘の、キツイ一面を視て、秋子さえいたら、タツがおらんかて、この家はちゃんと守られていく、と思った。
柳子は、秋子が鷹彦のために喪に服しているとは知らなかったから、やっと一農年が終ると思って、気が弛んだんだろう、と思っていた。
鷹彦が自殺し、須摩子が流産したことを柳子は、一年の生活のなかで営まれてきたもののうちで、片寄せられてきた禍が、いつかし
ら膿を持ち、溜りに溜って、とうとう表皮を破って噴出したのだ、と感じていた。
そういう考えは、秋子が熊野に躰を与えるのを目撃してから、いっそう勁く働いたのに違いなかった。鷹彦の死や、須磨子の流産よりも、秋子が熊野に身を売ったことのほうが、柳子にとっては、卒倒するほどのショックだったのだ。
経済的に追い詰められた家庭が、娘を売るという話は、雅子叔母から聴かされていたけれど、経済的に恵まれていた柳子には、どうしても実感することはできなかったのだ。
秋子の崩壊。鷹彦の自死。須磨子の露呈。すべてが人間生活の節目で清算しなければならなかったものだったんだろうかなあ、と惟っても、柳子には人間世界の厳しい現実を、まともに認識するには、まだ彼女の人生での経験が足らなかった。

もうコーヒーの穫り入れが済んだあとの、整地作業をしているときだったから、熊野が鷹彦の死を支配人に報告に行っても、支配人は眉を顰めることもなく、温かい眼で肯いた。
人間味のある眼で肯いただけではなく、葬儀の費用一切を農場側で負担するから、と温情を示した。
そんな支配人の温情に応えられる熊野ではなかった。もうすでに、柩の材料を川田に買わせたとき、ベンダの付けにマージンを上乗せさせて、多すぎる小遣い銭を稼いでいたのだ。
リンスから日本人の医師が来て、鷹彦の死体を検分したあと、支配人と熊野と医師の三人が事務所で鳩首協議して、「狭心症だ」と診断を下し、死亡診断書が作られた。
 熊野が、それを川田のところに伝えにゆくと、
「肺病だったと思うんですが」
と川田が、熊野の顔を盗み見るようにして、おずおずと言う。
熊野は、きっ、と恐い顔になって、
「医者が狭心症じゃと言うとるばってん、狭心症ばい。あんた間違うても肺病だったなんぞと他人に向かって言うことはなかこつしてくれんね、伝染病がこの農場に発生したちゅうことになると、えらい迷惑なことじゃけ、わかっとるね、川田しゃん」
と厳しい声で、川田の耳に言い含めた。
「気のつかんことで、申し訳ありませんでした。鷹彦は狭心症で急死しましたけん。どうぞよろしく葬儀をお願いします」
 尋彦は、深々と頭を下げ、
「夕方にジョアキンが牛車を持ってくるけ」
 と熊野が言って、小屋を出てゆくまで、下げた頭を上げなかった。

 コーヒー畑の整地作業に行ったのはチヨだけで、龍一は、鷹彦の卒塔婆つくりに余念がなかった。
 そして柳子は、もう一度、鷹彦が遺して死んだ文章を、丹念に、口のなかで声を出して読みつづける。
ああ、鷹彦さんが死んだなんて、まだ信じられない。死んだ真似をしているんじゃないのかしら。見舞いに行ったら、起き出してきて、「柳ちゃんはいつも元気だねえ」と筋張った手を差し出してくるんじゃないだろうか、と惟うだけではなく、柳子はそんな映像まで額の上に描く。
柳子が描いた幻像の鷹彦が、「柳ちゃんはいつまでも子どもの心を持っているんだなあ、それでいいんだよ。その純真さで、醜悪な人間を観察して、いい小説を書いてくれよ。だけどなあ、柳ちゃん、小説は人間の醜いところを抉り出して、開陳してみせる作業だから、柳ちゃんの手を汚すことになるんだよねえ」「じゃあ、わたし、童話を書くわ」「童話のほうがもっと怖いよ」「どうしてぇ」「子どもの心で観察する人間世界は、もっと醜くて、それを直裁に表現することになるもの」
じだったから、近づくのを避けたという記憶はなかったのだけれど、たくさんの十字架が林立している共同墓地だから、ミモザが動物だけに解る勘を働かせ、意識して避けたのかもしれない、と柳子は惟った。
手入れするものがいることはいるのだろう、墓地全体に雑草が生い茂ってはいたが、それほど伸びてはいず、緑に覆われているなかに、大きな動物の骨がたくさん大地に刺さっているように、白っぽく見える十字架が、風雨に晒され、ささくれて、白けた顔で立っているのが、いかにも世捨て人の墓地を思わせた。
ここに埋められている亡者たちは、生きていたときから、世を拗ねていたのではないだろうか、と思わせるように見えた。
そう惟ったからではなかっただろうか、なんだか鷹彦さんに相応しい墓地だ、と柳子が思ったのは。
鷹彦が埋葬されるところは、その墓地のいちばん奥らしく、牛車が森の近くまで進んでゆく。
すると森の濃い緑のなかで、ペリキットという黄緑の小型インコが、忙しなく飛び交って、キーキーと耳に煩く鳴き交わしているのが見えた。
その様子は、まるで人間が近くまで来たのをよろこんでいるのか、警戒しているのか、どちらにしても、人を見ていま騒ぎ出したのに違いないと思わせた。
飛び交う速度をどんどん増して、黄緑がひと塊りになったり、その塊りが弾けたり、斑点の連結ができたり、いく条もの線になったり解けたり、斑点が集合したかと見る間に、それが膨張したり収縮したり、分解して散乱すると、黄緑の色までが乖離する。黒っぽい緑色の森を背景にして、ペリキットは明るい緑色の背と黄色い腹の色とをくるくる変化させ、即興的にアブストラクトの絵画をつぎつぎ描いては消し、描いては消し、しているように観える。
遺体を埋葬するのも、雑役夫ジョアキンの仕事になっていたから、息子のペドロとふたりで墓穴を掘りに行く。
鷹彦の遺体は、普段は人の姿など見ることのない、農場の南端にある雑木林に囲まれた無縁墓地に埋葬されることになった。
叔父の尋彦が、ここに埋葬された甥を思い出して、遺体を移し変えない限り、鷹彦は永遠にこの無縁墓地で、肉体を土に溶解させ、白骨を横たえ、暗い眼窩で、虚空を見つづけることになるだろう。
この墓地に永眠している死者を、引き取りにくるものなど、かつて一人もいなかったのだ。
尋彦が、自分自身の意思を顕わにする男ではなくても、顕わにしない分だけ重く心に堆積させているだろうから、嫂を死なせてもまだ性懲りもなく叔母に甘えた甥を、快く思っていないだろうから、甥の遺体を引き取りに来るだろうことは、ほとんど考えられなかった。
熊野が、新移民の小屋小屋に、
「川田さんのところに集まってつかあさい」
 と言って、出てこないものはいなかったけれど、いつも赤い頬をてらてらさせている文子でも白っぽい、油気のない顔を出したくらいだったから、チヨ以外の誰もが感情を顕わにせず、心から哀悼の気持ちも見せず、おざなりの挨拶を川田に向かってするだけで、白けた表情で立っていた。
熊野から言われて、早く作業を切り上げた新移民の誰彼が、川田の小屋の前に集まってきたときには、すっかり出棺の用意はできていた。
墓穴を掘り終わったジョアキンとペドロが、霊柩車がわりの牛車の、木製の車輪をぎいぎい、ぎいぎい鳴らして、川田の小屋の前に来る。
小屋のなかで葬儀が行われることなどなくて、すぐ鷹彦の遺体が収められた急拵えの粗
末な柩が担ぎ出されてくるのを、ジョアキンらは待つ。
棺は、川田と竜野が前を担ぎ、龍一と小森が後ろを担ごうとしたのだが、うっかり背丈が違うのを失念していて、うろたえる。
「竜野さんと小森さんば入れ替わらんば」
 熊野が指図して、竜野が龍一といっしょに後ろを担ぎ、小森が川田と前を担いで、ようやく恰好がつく。
熊野が采配を振るように足元を注意したり、日本語とブラジル語をチャンポンにして、なんだかだと口やかましく言いながら、ジョアキンの牛車に乗せる。
牛車の横で待っていた女たちが、柩に向かって手を合わせ、口のなかで、ぶつぶつと、念仏とも思えない、それかといって悔やみごとらしくもない声を泡立てる。
女たちのなかで、たったひとり喪服を着ているチヨが、まあ、と人目を惹くほどの、清楚な感じの変わりようを見せたけれど、彼女自身は、そんな人目を憚るように、人群れの陰に潜んで、そっと瞼を抑えていた。
チヨの様子に、ことば以上の情感が篭っていて、それを眼の端に捉えた柳子が、鷹彦の死を聴いたときに竈の前に蹲って、袖がしとるほど涙を流していた母の情の深さを、想いやっていた。
柳子が、母から移した視線の先に、秋子がいて、その秋子の顔が無表情に見えたから、鷹彦から相手にしてもらえなかったことに拘っているんだろうなあ、と嫌な気分にさせられた。
秋子が、作業に出ずに、鷹彦への冥福を祈っていたことを、柳子は知らなかったからだった。
見方によっては、そっぽを向いているような姿だったから、死んだ鷹彦にまで素っ気なくするのは、もう熊野に心まで許しているからだろう、夜も寝られへんほど好きやねん、と言っていた女の心を信頼できないのは、あまりにも悲しすぎる、と柳子の誤解は深まるばかりだった。
秋子よりも、もっとよそよそしく見えたのはタツだった。一塊になっている女たちの外側に立って、仕方なく愛想で参列しているふうが、ありありと見えたから、柳子は、人が死んだときくらい、普段からの感情の縺れを横に措き、悲しみをともにできないものなのか、と腹立ちを覚えた。
しかし、みんなの気持ちの、あまりな冷淡さに、柳子が感情を拗らせるのも無理なのだ。
鷹彦は生前、柳子以外の人と親しく言葉を交わしたこともなく、彼が意識的にそうしたのではなくても、最高学府を出てきたものが往々にして持つ、なんとなく庶民を見下すような姿勢があったのは否定できなかったから、仲間意識に乏しい感じを誰もが持っていたのを、非難はできなかった。
ジョアキンとペドロが、牛車の荷台の上で鷹彦の棺を受け取り、ジョアキンが荷台に残って、ペドロが、ちぇ、ちぇ、ちぇ、と舌を鳴らすと、もうそれだけで、牛は行き先がわかっているように、のっそりと歩き出す。
牛車の後ろに、ぎこちなく日本人たちの列ができて、なんだか気恥ずかしそうな、迷惑そうな顔をして、だらだら坂を登ってゆく。
牛車の車輪だけが、人の死を弔う葬送曲か、中国の泣き女のように、ぎいぎい、ぎいぎい、と泣きつづけて、コーヒー畑の上を渡ってゆくのが、葬儀を葬儀らしくしている唯一の、鄙びた風情だった。
すっかり実を?ぎ落されたコーヒー樹の枝枝が、寒々と剥き出しにされ、地に垂れて、牛車の通るのを無表情に見送るようなのも、葬儀に相応しい風景だった。
いくつもの作業区画をすぎて、ずっと高いところに、奥の深そうな森があった。
農場のなかを隈なく歩いたと思っていた柳子でも、まだここには来たことがなかった。
原始林につづいているような、不気味な感
柳子は敏感な感性を刺激されて、目くるめく幻覚のなかに誘われてゆく。
死を連想させる黒と白の墓地の幻想を、ペリキットの集団は、すばやい緑と黄の色に入れ換えるのは、ブラジルの国旗を想起させるためだろうか。
その速度によって、人の目を意識的に幻惑させ、高い波長の鳴き声を放って、人の脳波を撹乱し、黄泉の国へ誘うかのようだった。
ああ、この小鳥たちは、この墓地専属の葬送曲を奏でるオーケストラかコーラスではないのだろうか、と柳子の癖で、すぐ童話の世界に入ってゆく。
いま彼らは、鷹彦のためのレクイエムを奏でているのだ、と柳子は思いはじめる。
するとその辺に林立している十字架たちも、ペリキットの歌声に合わせて、地の底から、ぼわーん、ぼわーん、という太い低音で呼応しているようだと思うことが、少しもふしぎには感じなくなる。
「柳ちゃ、それ、そっちへ行ったらだめよ」
チヨの声に引き戻されるまで、柳子は気がつかずに、立ち止まった人たちから離れて、森の中に入りそうにしていた。
この墓地には、日本の墓地のように墓石はひとつも建っていなくて、有り合わせの板切れを組んだような十字架ばかりだった。そして何代もの歴史を物語るように、灰色の木肌に、痩せた老人の肋骨が透いて見えるような年輪を顕わに浮き立たせ、古びていた。
鷹彦の墓標は、十字架ではなく、龍一が念入りに木肌を磨いた卒塔婆だった。
熊野が調達してきた白木の厚板に、龍一がいそいそと蒔絵の硯箱の蓋を開いて、墨をすり、筆の先を噛んで、たっぷり墨を含ませ、手を震わせながら書いた字は、達筆とは言えないが、
「なかなかどうして、たいしたもんだすなあ」
と茂が単なるお世辞とはいえない歎声を発したくらいだから、手の震えが篆書らしさをいっそうにしたのではなかっただろうか。
「南無阿彌陀佛 故川田鷹彦 大正貳年六月拾日生 昭和拾参年九月貳拾日歿 行年貳拾五歳」
これだけが、川田鷹彦という人物がこの世に生存したたった一つの証になるものか、これが鷹彦の霊を祭る鎮魂の碑か、と思うと、柳子は人の生き死にの儚さを考えずにはおれなかった。
そして、誰がなんと言おうとも、死は成仏ではなく、悔恨でしかない、と思えてならない。
ジョアキンとペドロが、棺の両端の下に潜らせた長い綱を持つと、熊野から催促されて、川田と竜野がもう一方を持ち、そろりそろりと墓穴の底まで降ろしてゆく。
ペリキットの鳴き声が、いっそう高くなったように聴いたのは、柳子の錯覚だっただろうか。
「さあ、みなしゃん、ひと握りづつ土を投げ込んでやらんね」
言葉の薄情さに似合わない、急拵えの湿り声で熊野が言い、先ず自分が大きな掌に、ジョアキンが掘って縁に盛り上げた土を掬い取って、無造作に柩の上に投げる。
穴の周囲に立っていた人たちが、遠慮がちに、熊野が手本を示した通り、足元の土を手に掬って、ぎこちなく鷹彦の棺の上に投げ入れる。
ひと通り投げ終わるとすぐ、ジョアキンとペドロが、遠慮なくスコップをすばやく使って、ばっさ、ばっさ、と柩の上に土を投げ込んだあと、盛り上げた土を、ぱん、ぱん、ぱん、ぱん、と小気味良い音をさせて打ち固める。
こんもりと盛り上げられた長方形の土盛りの頭に、龍一の筆になる、墨痕瑞々しい卒塔婆が立てられる。
供養してもらう坊主はいないし、正しく経を称えられるものもいなかったから、それぞれが、てんでばらばらに、口のなかでぶつぶつと念仏らしき泡を立てる。
「南無阿弥陀仏」
「南無妙法蓮華経」
「ナン、ミョウホウ、レンゲキョウ」
茂が活動写真の弁士のように作った声で、誰よりも高い調子で唱えたあと、
「法華の太鼓がないと調子が出まへんなあ」
とこんなときにも剽げてみせる。
ペリキットが伴奏を入れ、人々の経が宗派の違いを超越して混声合唱になったころには、墓地の静けさと、陽の翳りが重く覆い被さってくる。
その重い静けさと、読経の合唱を破って、とつぜん、わっ、と号泣したものがいた。
いっしゅん、みんなの唱えていた経が歇んで、伏せていた顔がいっせいに上向き、たくさんの眼玉がうろうろとしたあと、泣声を張り上げたところに集中する。
竜野文子だった。彼女は、手放しで泣声を放って、恥じるところがなかった。おおん、おおん、おおん、おおん、と吠え猿が天に向かって吠えるように、口のなかに声を篭もらせて泣いた。
ふん、というように鼻先を反らせたのはタツだった。
鷹彦と文子が、日曜日の朝から暗い小屋のなかで、こそこそ隠微ななにごとかをしているのは、熊野がいかにも意味ありげに噂したから、早くから誰もが知っていることだった。
文盲の文子に、鷹彦が日本の文字とブラジル語を教えているのだと言っても、それだけのことだろうと信じるものは、ひとりもいなかったから、いま文子が上げた号泣も、ただ人の死を弔うだけのものと思うものもいなかった。
心情はわからなくても、聴くものの解釈で、愛人を失った女の悲痛な泣き声だろう、と判断した。
柳子だけは、文子の号泣を容認する。そして、わたしもこんなに手放しで泣けたらいいなあ、と思う。わたしはどうして、誰よりも親密だった鷹彦さんの死に、涙が出ないのだろうか、わたしの心がブラジルの乾燥している空気のために干上がってしまったとは考えられないのに。
わたしは、それほど薄情な女だったのだろうか。
柳子は、文子のように声を放って泣けな
いばかりか、涙さえ出てこないことを、人知れず羞じた。
秋子は、表情を漂白させて、目尻に棘を持たせていた。文子が手放しで泣くのを聴いて、勁い嫉妬を捻らせていたのだ。もしも鷹彦さんに抱かれていたとしても、あんな派手な泣き方はできないだろう、と思いながら。
「熱帯やからいうて、泣き方まで、スコールみたいに急に降らさんかてええ思うけどなあ」
春雄が、小さい声だったが、聴こえよがしに皮肉に言う。
柳子は、なるほどなあ、表現が上手だわ、と春雄の顔を感心して見返す。
墓穴に埋められ、読経で送られて、しずかに旅立つはずだった鷹彦の霊が、文子の号泣によって引き戻された感じを、誰もが持ったのだろうか、ほとんどのおとなたちが、眉を顰めたのは。
それは鷹彦が、この世に存在したことを再確認させられることだったからだろうし、文子が生々しい自己主張をしたことにもなるからだっただろう。
その文子が、春雄が皮肉った通り、とつぜんのスコールのように、わっと泣いて、急に泣くのを中断して、さっと森に向かって走り出した。
あっ、とみんなが、どこへ行くのか、と注視するなかで、森まで行きつけないうちに、げえ、げえ、と嘔吐した。
ふうん、文子さんの鷹彦への未練は、吐き戻すほどのものだったのか、と柳子は呆気に取られながら視る。
もしもプラトニック・ラブではなく、情熱を傾けた愛で、鷹彦をなかにして文子と争っていたとすれば、わたしは文子さんに勝てなかったかもしれないなあ、と柳子は、思わないわけにはいかなかった。
しかし、そう思っても、いまはもう、文子に対する憎しみも恨みも、持ってはいない柳子だった。
嘔吐するほどの感情の昂ぶりがあるのなら幸せではないか。わたしにないものを、文子さんは持っていたのだ。どうぞ涙が涸れるまで、泣いてあげてちょうだい。わたしたちふたりの鷹彦さんのために。
柳子のそんな想いに水を差すように、秋子が、柳子の傍に寄ってきて、
「文子さん、つわりやよ」
と囁く。
えっ、という感じで柳子が、
「つわり」
と鸚鵡返しにして、語尾に疑問符をつけて訊く。
「妊娠してるのよ、文子さん」
秋子が、皮肉な笑みを口の端に湛えて、じっくりと言葉の意味を、柳子にねじ込むように言う。
柳子も、「つわり」の意味を知らなかったわけではなかったが、文子が嘔吐するのを視てすぐ、それを悪阻に結びつけることができなかったのだ。
ふうん、妊娠か、文子さんが妊娠してるのか。それまでは考えたこともなかったのに、いまそのことを聴くと、そういうことがあって当然のように思う。そればかりではなく、それを肯定できた。
柳子は、秋子のように、文子の妊娠を、いかにも罪悪視するような目つきにはなれなかった。むしろ秋子のそういう言い方に反感さえ持った。
文子が鷹彦に抱かれている現場は観ていなかったが、秋子自身が妊娠してもおかしくない行為をしているのを目撃している柳子だったからだろう。
秋子が熊野を愛していたわけではなく、この男の胤で妊娠したくないという固い決意を持って、妊娠しないように躰の調整をしながらセックスしていることは、知らない柳子だったから。
鷹彦と文子が、そんな関係になっていただろうことは、うすうす勘づいてはいたし、わたしと鷹彦さんとの関係はプラトニックな関係だから、プラトニックな関係ではない文子と鷹彦の動物的な関係とは、まったく別の次元でのことで、わたしが関与するものではないと思えるのは、鷹彦が生前、弁解するようにだけれど、プラトニックな恋愛がもっとも人間らしい恋愛で、セックスは動物的な欲望だけですることであり、愛がなくてもできるのだ、と言っていたからだった。
あっ、といま蘇えった鷹彦のことばで思い当たることがあった。熊野と秋子との関係もその範疇で考えていいのではないのか、と。
柳子は、そう思いたかった。そう思うことで、秋子との友情に罅が入ることはないと確信を持てた。人間的な友情と動物的な行為を同質に考えるほうが間違っているのだ。
だから夫婦でも愛人関係でも、セックスしながら喧嘩もするのだろう。
秋子のほうは、そうではなかった。みずからの熱い思いを受け入れてくれなかった鷹彦に対する恨みがましさは、熊野に抱かれながらでも消えるようなものではなかったから、ああ、文子が妊娠していると勘づいたとき、一挙に噴出した腹立たしさは、すでに土の下に葬られてしまっている鷹彦に唾したいほどのもだったのだ。
その一人相撲をしてきた片思いに負けて、勝ったほうの文子に向かって、声を立てて嘲笑したい狂気が、秋子の顔を赤黒くさせたのだろう。
「鷹彦さんは、ひとりでさっさと死んでしまいはったけど、ちゃんと文子さんのなかに自分の生まれ変わりを遺して逝きはったんやなあ。人間の執念ておとろしいもんや」
さきほど柳子に「つわりやよ」と囁いたときには、まだそれほど秋子の感情の昂ぶりは見えなかったのだけれど、いまはもう表情まで赤黒くして、女の心のなかにある醜さを曝け出し、周囲の人の耳にまで届く声で皮肉を言ったのを聴いた柳子は、女の情の恐ろしさを、まざまざと知った。
鷹彦の死に対して、心情から哀悼の気持ちがあって念仏を唱えていたのではない人たちは、文子の取ってつけたような号泣と嘔吐を目撃し、秋子の心の捩じれを顕わにした皮肉な呪詛を耳にして、いっせいに口を閉ざしてしまう。
日本人の読経の声が止んだから、死者への弔いが畢ったのだと思ったのだろう、ジョアキンとペドロが、埋葬用の綱やスコップやらを肩に担いで、牛車のほうに行き、熊野が怪しい雰囲気になったのを察し、早く切り上げたほうが無難だと判断して、
「そんじゃあ、これで」
と声を掛けると、誰もが、ほっと小さな溜め息をこぼして、踵を返した。
そして来たときと同じように、ジョアキンが荷台に腰掛け、ペドロが牛を追ってゆく後ろから、日本人たちが列をつくって、ぞろぞろと家路に就く。
牛車の車輪の音は、行くときのような重々しい音ではなく、ぎいい、ぎいい、という摩擦音が、ほっとしたように軽かった。
それでも、人の死を悲しむ音には聴こえたから、人よりも牛車のほうが、心をこめて哀悼の意を示しているようだなあ、と柳子は思い、熱い憶いを爆発させた文子以外の参列者の、冷たい人情を思った。
小屋の前まで来ると、川田がひとりひとりに目礼するから、仕方なく目礼を返して、それぞれがそそくさと、小屋のなかに入っていったが、ちゃんと言葉にして鷹彦への哀悼の辞を述べたものはひとりもいなかった。
そんなことに柳子が腹を立てる筋合いはなかったが、
「いやあ、おどろいたなあ、今日の葬儀の締めくくりが、文子の号泣と嘔吐だったとわなあ」
と龍一が、いかにもセンセーショナルに言うのを聴いて、
「お父ちゃ、軽はずみに物言わないでね」
と柳子が言って、龍一とチヨが顔を見合わせた。
いままでは、柳子のほうが、両親からそう言われてきた言葉だったのだから。
「なにを怒ってるんだ」
龍一がそう言いかけるのを、
「あなた」
とチヨが目配せして、そっとしておいたほうがいいだろうと、目顔で言う。
「文子さんが妊娠したことを、鷹彦さんのせいにする証拠などないのに」
 柳子の文句を言う声に、元気はなかった。
「儂は何も、鷹彦くんが妊娠させたなぞと言っとらんぞ」
 チヨが心配しても、弁解だけはしておか
なくては、気が治まらない。
「言わなくてもそう思ってるんでしょ」
「それこそ証拠のない言いがかりじゃないか」
「みんなそう思ってるんだわ。何の根拠もないのに」
 柳子は、文子の心情がわかって、同情するようになっていたし、鷹彦がたとえどういう理由にしろ、彼が肉体と精神を別々に愛し得たことを理解できる柳子にとっては、初恋の人なのだから、このふたりの悪口を聴きたくなかったのだ。
「そりゃそう思ってるだろうなあ、仕方ないよ、そう思われても。そういう関係だったんだから」
「そういう関係って、どういう関係なのよ。鷹彦さんは文盲の文子さんに日本の字とブラジル語を教えていただけだって言ってたわ。わたしは鷹彦さんの言ったことを信じてるもの。変な噂立てないでほしいのよ」
「だから、儂はそんなこと言っとらんと言ってるだろう」
「言わなくても思ってるんでしょ」
「思うくらい勝手じゃないか」
 理屈っぽいふたりを、放っておくときりがないと思って、
「あなた、人が亡くなられたんずら、しずかに冥福を祈ってあげるといいに」
とチヨがいつになく厳しい口調で言う。龍一と柳子が黙ったほどに。
そんなに親子三人が言い争ったわけでもなかったのに、夕食は黙々と箸を動かすだけになった。
それぞれが、死んだ鷹彦への思いを流しているのがわかっていながら、それを口にするのがこわいように、箸を運び、口を閉ざして咀嚼していた。
そして、柳子が早く席を立ち、寝室に入ってしまう。
鷹彦の死のショックを、誰よりも大きく受けているのに違いなかったから、龍一は娘をそっと労ってやるべきだった、と後悔しながら、柳子の背を見送る。
柳子は、父に向かって、ああ言ったけれど、鷹彦の死よりも、文子の妊娠に大きなショックを受けているのは否定できなかった。
そのショックとともに、どう受け止めていいのか、まだ考えが纏まっていないうちに、秋子が文子の妊娠と鷹彦の死を結びつけたり、父が鷹彦を非難するようなことを言ったり、いかにも非道徳的で、日本人に在らざる破廉恥な、そして卑猥なことのように言ったから、腹が立ってしかたがなかったのだ。
婚前交渉は、信州の村でも珍しいことではなく、妊娠したことがわかってから結婚するのは常識のように考えられていて、取りたてて騒ぎ立てるようなことではなかったのだ。
信州だけではなく、各地に夜這いの風習はあって、藤原時代には、それがひとつの結婚形態にもなっていたのだ。
もしも鷹彦さんも生きておれば、たとえ文子を妊娠させても、ちゃんと責任を取って文子さんと結婚すれば、それで済むことなんだから、セックスしたことを、とやかく言うのは間違っているのだ、と柳子は思っていた。
そこまで思いを巡らせて、あっ、と行き当たる。わたしも文子さんの妊娠を鷹彦さんと関係づけてしまっている、と気づいて。
それが信じられないことだというのではなかった。有り得る事だと思う。
そう惟うと、どろりとしたものが、頭のなかで揺れ、胃のなかに酸っぱいものが泡を吹くのを感じた。
そんな嫌悪感が、文子のほうへではなく、秋子のほうへ流れて、柳子自身も驚いたほどだった。
「文ちゃんはね、無学文盲というだけじゃないんだ。すごく辛い過去をいまも引き摺っているんだ。隣の家庭の事情を覗き見するつもりはなくても、見えてしまう環境だから、可哀相でね」
と鷹彦が文子に同情するのを、嫉妬の感情を交えずに聴けた日を想い出す。
鷹彦が、隣の、竜野の家庭の事情を覗き見て、どういう状況を可哀相だと言ったのか、詮索しなかったのが悔やまれた。
文子と広子は従姉妹だということだし、そしてまだ若いけれど、叔父になる竜野耕助は、姪の広子と結婚していて、もうひとりの姪の文子を妾のようにして、三人がひとつ布団で寝ているのを誰かが覗き見して、流したのだろう噂を、柳子も早耳で聴いたことがあったから、この家庭も、中村の父親と娘、母親と息子という近親相姦ほどではなくても、血が濃いもの同士が結婚したり、子をつくったりしていることになるのだ。
鷹彦が可哀相だと言ったのが、そのことだったら、文子を妊娠させたのは、文子の叔父ではなかったのか、と考えてもふしぎではないだろう。
秋子さんは、そんな噂を耳にしていなかったのだろうか。文子の妊娠を、すぐに鷹彦さんと結びつけたのは。
そこまで考えると、須磨子の妊娠と鷹彦とを結びつけるのも短絡的すぎると思う。なぜなら、須磨子も父親と寝ているというのだから。
そういえば、鷹彦と須磨子が、同じ言葉を使ったのを、柳子は想い出す。
「文ちゃんは柳ちゃんと同じ歳だということだけど、柳ちゃんはまだ生まれたばかりのような新鮮さを感じさせるのに、文ちゃんはもう人間が一生のうちに背負う重い不幸を全部背負って、ブラジルに来ているんだ」と鷹彦が言ったとき、人間が一生のあいだに背負う不幸の重さって、いったいどのくらい重いんだろう、などと、くだらないことを考えただけで、不幸の何たるかを考えなかったのは、あのときはまだ、文子への思い遣りが薄かったからだなあ、と惟う。
「わたしは重い不幸を背負っている上に、毎日罪を積み重ねていますから、神に恕しを乞うのです」
と須磨子も言ったけれど、須磨子は自分自身のことだけではなく、「人間誰でも、生まれながらにして重い罪を背負ってくるのだ」と言ったのだから、彼女自身のことを言ったのではなかったのかもしれないが、須磨子も、鷹彦が言ったのと同じ「重い不幸」という言葉を遣ったのだった。
人間誰もが、重い不幸と、深い罪とを持っているから信仰が必要なのだ、と須磨子は言ったのだ。
彼らが言う重い不幸も深い罪も、どういうものなのか理解できない柳子は、わたしはなにも悪いことなどしていなのに、どうして生まれながらに重い罪など背負っているはずはないではないか、と須磨子に対して嫌悪感を抱いたことがあった。
そのことからの連想で、鷹彦の言う文子の重い罪も、文子が犯した罪ではなくて、文子が犯された罪ではないのか、と考えた。
文子の従姉の、即ち竜野の妻の広子には暗い感じがあったけれど、文子にはそれがなくて、とくに畑で働いているときの文子は、水を得た魚という表現がぴったりするように、ぴちぴちとしていて、叔父や従姉よりもよく作業量をこなし、全身に活力が漲り、性格が明るくて躍動している様子を見ていると、誰が彼女に暗い罪の影を感じるだろうか。重い罪など微塵も背負っているようには見えなかったのだ。
須磨子は、「知らないことが幸せなのだ」と言ったのだから、それなら何も知らない文子が重い不幸を背負っているというのと、大いに矛盾するではないか、と反論したくなる。しかし反論しても、彼女は、「矛盾は人間について回るものです」と逃げただろう。もともとキリスト教というものは、矛盾だらけの聖典でできているのだから。
「暗い小屋のなかにいるときより、明るい畑で働いている文ちゃんのほうが魅力的で、彼女には開放的な戸外でこそ、性的な欲情をそそられるくらいなんだ」
鷹彦はそう言って顔を赤らめたことがあったから、鷹彦自身の性欲も、熊野といっしょで、そういう明るい場所で起こるのではないのだろうか、と思ったくらいだった。
すると、肉体関係を必要とする性欲よりも、それを必要としないプラトニック・ラブのほうが陰湿な関係のように思えてくる。
「プラトニック・ラブをする鷹彦さんでも、文子さんの溌剌としたところを見て性的な意味の魅力を感じるんですかあ」
柳子の率直な問いかけに、鷹彦は薄く赤らめていた顔をさらに真っ赤にして、
「ぼくも、悲しいかな、これで男性なんだよねえ」
と、そのとき弁解したが、そんな鷹彦を視て柳子は、年上の男性を可愛い、などと不埒なことを感じたのを想い出し、くすりと笑った。
しかし、そこに少しも卑らしさは覚えなかったから、もともと自然であるべきセックスを、卑らしいもの、淫らなことのように考えるおとなの世界のほうが間違っているのだ、と思い返した。
鷹彦さんは、須磨子さんの流産も、文子さんの妊娠も、知らずに死んで幸せだったなあ、と柳子は悪気にではなく、心からしみじみとそう思う。
鷹彦が、須磨子の流産と、文子の妊娠に、深い関係があったのではないのか、という疑いを持ったからではなかった。そんな事実などなくても、他人はそう想うような世間から早く遠ざかったことを、彼のためにほんとうによかったと思うのだ。
鷹彦さんは生きていても、誰とも親しくできない人だから、仕方なく生きているより、早く死んだほうがいいのに決まっている、と思って。
その夜、柳子は、カンテラの灯の下で、鉛筆の芯を舐め舐め、ノートに、鷹彦に手向ける詩を書いた。
「花の鎮魂碑」と題して。
「あなたが土の下に隠れてしまった
その土の温もりを伝えるように
鳴り響いた鎮魂の鐘の音を
あなたはお聴きになりましたか

濃い緑の森を背に
黄緑の小鳥たちが頌った歌を
白いコーヒーの花の
芽吹くよろこびを頌った歌を

わたしはかつて
死がこんなにも
明るいものだとは
知りませんでした
死がこんなにも
言祝ぎ頌われるものだとは
考えたこともありませんでした

ああ、なんという
魂の鎮まりでしょうか
あなたが土の下に眠っているあいだに
あなたが生まれ変わってくるあいだに
きっと世界はあなたの住み良い場所に
もっともっと明るい場所に
変わっているだろうと思います

わたしは鳥たちや花たちの
あなたに捧げる鎮魂の歌を聴きながら
遠い未来の歌を聴いているように
そんな思いに沈んでいます
どうぞ心静かに
たゆたう時間の流れのままに
あなたの魂を鎮めていてください」

柳子がいつまでも鷹彦に拘って、まるで鷹彦の霊がその辺にいるかのように、ぶつぶつ話しかけるのを視て、チヨが娘の神経がおかしくなったのではないか、と心配したほど、柳子は鷹彦との過ぎ越し方を繰り返し想い出しては、ひとり楽しんでいたが、葬式の翌日になると、もうほかの誰からも、鷹彦の名を聴くことはなかった。
「もうみんな済んだことだ。いつまでもくよくよするな、柳子らしくないじゃないか」
龍一も心配してそう言った。
肉体の歓喜だけを経験してきて、恋愛感情をどの女にも感じたことのなかった龍一には、少女のセンチメンタルな、初恋の男性に対する深い思いなど、わかるはずはなかった。
以前、小森茂の気違い騒ぎや、蛇騒動が、農場じゅうに笑いをひろめたとき、須磨子が大男を柔術で投げ飛ばした話のほうが、それを上回る話題として、他人の注目を集めたように、こんどもまた、鷹彦の死よりも、須磨子の流産のほうが耳目を集めて、鷹彦が忘れられることになったのかもしれなかった。
須磨子が流産したときの話は、熊野によって詳らかになったのだが、当然ほかの噂話といっしょで尾鰭がつけられていただろうから、真相などどこにあるのか憶測もできないのだけれど、噂話の無責任さが、かえって庶民には楽しいのだから、それを責めることも馬鹿げたことなのだ。
それにしても、須磨子を妊娠させた男が誰なのか、誰も知らないというふしぎは、キリストを産んだマリアのふしぎと匹敵するほどの、世界の七不思議のつぎの、八つ目のふしぎになるのではないのかと思えるほど、耳に真相は伝わってこなかった。
須磨子の流産の話を聴いた柳子は、なぜか関連性もなく、トレーボーという草の名を想い浮かべていた。
鷹彦が、ある日、「このトレーボーという花は、ブラジルで、サンゲ・デ・ジェジュースというんだ。キリストの血の色をした花だって」と言ったからだろう。花の名にある血と、キリストの血と、須磨子が流した血とを連想したのは。
キリストは、異教を触れ歩く反体制者として捕らえられ、磔にされ、槍で突かれて血まみれになった男で、殉教者として神に祭り上げられたのだとも聴いた。キリストの血に染まっているような草だから、幸運のシンボルだということだけれど、その草の名を知ったときから、柳子には、生理的に拒否反応を起こす草の名になってしまっていた。
熊野から聴いた話によると、須磨子は、子宮外妊娠で、相手の男性がよほど元気な精子の持ち主だったらしく、卵巣妊娠をしていて、一刻を争う状態だったのだ、ということだった。
須磨子の年齢も、もっとも子宮外妊娠を起こし易い年齢だし、体質的に鈍感だから、流産の激痛が突発的で、卒倒して、失神するほどだったらしい。
熊野はそういうことを、いかにも興味本位に話すのが好きだったし、好きだったから上手でもあった。医者からの受け売りを、さも自分自身が目撃していたように話すのだ。
多量の腹腔内出血もあって、唇が紫色になり、一時はもうだめだろうというところまで悪化したけ、というように。
あの世の花園を覗いてきたためだろうか、須磨子は、退院してからも、しばらくは放心状態がつづき、まるで夢遊病者のようにふらふらと歩いて、それでもキリスト教会の朝の礼拝にゆく姿が見えた。
柳子は、自身のなかにどんどん溜まってくる疑問を、そのままにしておれなくなって、日曜日の朝、教会から帰ってくる須磨子を待ち伏せ、話しかけた。
柳子の行動の突飛なのは、もう誰もが知っていることだったが、話しかけて得た須磨子の応えの飄逸さには、さすがの柳子も唖然とさせられた。
「須磨子さん、お早うございます」
「あら、柳子さん、あなたも早いわねえ」
飄々としているように見えたが、ちゃんとまともな挨拶を返してくるし、友人関係をつくるのを拒絶するような態度を取った柳子に対して、不快感を持ち、冷たく接するようになっていた須磨子が、すっかり人が変わったように、穏やかな表情になっていて、にこにこと柳子を受け入れたのだ。
「もう、お躰はだいじょうぶですか」
 須摩子が人間味を取り戻したのと比べて、柳子のほうは、冷徹な観察眼で須磨子の全身を捉えていた。
 須摩子が妊娠しているのを知らずに、おばさんのように体型が崩れていると思ったのだが、いまはもっと崩れていて、だらしないほど心まで変形していると思った。
「はい、ありがとう。神様のお陰を頂きまして、このように生きさせていただいておりますのよ」
須磨子の様子は、すっかり変わっていて、外見の冷たさが消えているばかりではなく、話し方までぬくぬくとした、庶民的なものになっていた。神に遜っているだけではなく、柳子に対しても偉そうぶらなかった。
「少しお話させてもらっていいですか」
柳子が、須磨子の流産について抑え難い興味を持って、どうしても話しかけたくなったのも、そんな須磨子の受け身の姿勢を感じたからだった。
「はいどうぞ、柳子さんがそんなにやさしくなったのも、神様の御心が通じたからですよ」
「わたし、やさしくなぞありません、須磨子さんが困るような質問をしたいんですけど」
須磨子は、おほほほ、と笑って、
「柳子さんは相変わらずおもしろい人ですね」
と言う素振りが、懐の深さを見せ、どんなに意地の悪い質問をしても、この人は怒らないだろう、と思わせた。
「須磨子さんのように信心深い人が、どうしてこんどのような酷い仕打ちを、神様から受けるんですか」
 柳子が、そんな直接的な質問をしても、
「これは神の与えた試練ですよ。試練によっていっそう信仰心が勁くなるんです」
 と須磨子は、心を動かさずに応えた。
「わたしが神様を信じられないのは、その疑い深さと、意地悪なところと、酷い仕打ちをすることを、本能的に感じるからなんです」
 柳子が核心に触れる質問をしても、
「神は気まぐれで、嫉妬深いものです」
 と須磨子は、柳子の疑問を肯定し、軽く受け流す。
「そこがわたしには、どうしてもわからないんです、疑い深くて嫉妬心が勁いというのは、神ではなく、人間以下のなにものかじゃないんですか」
「神は全てですから、以下にも成るだろうし、以上にも成るだろうし、臨機応変に姿が変わるんですよ」
こういう言い方が、柳子には詭弁に聴こえるのだ。神というものを創った人間の狡さだと思う。
「率直にお伺いしますけど、須磨子さんのご主人は、どなたなんですか」
柳子はわざと、正式に結婚をしている男性とだけ子を産む行為をするという常識を固執して、質問したのだが、
「わたしの主人は、イエス・キリストです」
とあっさり躱されてしまった。
須磨子の妊娠も、キリストを産んだマリアと同じだというのだから、もう現実的な議論には成らないのだ。
この人は、それを本気で言ってるのかしら、頭がおかしくなっているのではないのかしら、それとも禍を流してしまって頭が冴えて、わたしをからかっているのかしら、もしそうだとすれば、須磨子さんは計り知れないほどの悪人になって戻ってきたのだ、と柳子は思ってしまう。
底無しの善人と、限りなく悪人であることは、ひょっとすると同じ人間の裏表たり得るのかもしれない。
みんな狡猾なんだ。狡くなくては生きられない人間社会なんだろう。
そういえば、秋子さんにもそういう二面性がある、と柳子は思う。
すごくやさしいところと厳しいところと、金銭を度外視した友情と計算高い処世術と、鷹彦や熊野に対しては女のどろどろした面を顕わにするが、柳子にはさっぱりした気分で付き合ってくれるというような、二律背反した複雑怪奇な性格。
神戸の移民収容所で知り合って、馬が合うというのか、意識的に友情を誓わなくても、ずっと以前からの友人ででもあったかのように、すぐ打ち解けた交際がはじまってから、もう一年以上になるのだけれど、それが十年来の知己かと他人から思われるほどの仲になっていたから、酒に酔った上でのことだとはえ、「好きよ」「愛してる」と、熊野が「同性愛して卑らしか」と誤解したほど密着した生活をしてきたのだから、柳子は、秋子とは、タツが口癖の「前世からの縁」で繋がっているのかもしれない、と思うとともに、これから先も、この広漠としたブラジルの原野のなかを、着きつ離れつしてゆくのではないだろうかと、そんな予感があった。
 そんな予感を抽き出すような、ブラジルの広大な包容力を感じさせる風景であり、成るようになってゆくという、無責任のようで人間味を感じさせる習俗だと思う。
 柳子は、龍一がブラジルの土地を買い、自作農になるという、独立した生活の一歩を踏み出す基盤をつくった時点で、ブラジルという国に、非常な愛着を覚えはじめていたといえるだろう。
 善も悪も、美も醜も、何もかも呑み込んでしまう大地。これこそが神の姿なのだ、と。


 第十巻第四十八章(第一部の最終巻)につづく
「花の碑」 第九巻 第四七章 了
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