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「花の碑」 第九巻
第四六章
内藤龍一、チヨ、柳子の親子三人の収穫量は、ほかの家族とは比べるまでもなく、誰が見ても一目瞭然に僅少だった。何しろまともに作業ができるのはチヨ一人なのだから。
ほかのものたちが、というのはこの農場全員のことなのだが、いっしょに入植した新移民が摘み終わるころになっても、内藤の受け持ち区域だけは、まだ、たわわに実った枝が人待ち顔にしていたから、熊野が作業の進行状態に合わせて臨時に回してくる若いガイジン労務者たちが、内藤らの摘み残したところを手早く摘んで、やっとこのコーヒー農場全体の一農年で、もっとも華やかで賑わしい採取作業は終わった。
そして九月に入ると「山崩し」という作業をして、締めくくることになる。
これはいうまでもなく「山立て」作業でコーヒー樹の周囲に作った土盛りを崩して、元の平らな状態に地面を均す作業だ。
それはつぎの年の農作業に受け渡すための準備でもあった。
一旦袋詰にされたコーヒーの実は、支配人の住んでいる前の広場に集められ、開封され、コーヒー豆が生のまま山積みされて、天日を利用した乾燥作業に入る。
そして次の農年に入るのだから、今年の採取作業の集計が直ちになされ、各自が採取した量によって支払われる賃金も算出される。
太陽は、人間の営みの周期には関係なく、今日の時間を刻むために昇ってくる。
昨日までは太陽が顔を出す前に起き出して畑に出ていた労務者も、今朝は誰一人小屋から顔を覗かせるものもいなかった。
それまでのあいだは、労務者全員が一年間の寝不足を取り返すために眠っているかのような、農場全体が死に絶えたかのような、静寂に支配されて、ちらほらと子どもが遊ぶ声が聴こえるだけだった。
新移民が入っている小屋の辺りは、ことにひっそり閑としていて、鍋の音をさせるのも気が引けるほどだった。
みんなが一年間に蓄積してきた疲労のために、海の底に沈んだように眠っているのだろう。龍一もチヨもぐっすりと眠っていた。
そんなときでも、じっとしておれない柳子は、足音を忍ばせるように勝手口から出てきて、ペドロのいる豚小屋を覗いた。
ペドロが牝山羊とセックスしているのを目撃してからは、そっと小屋に近づいて、小屋の隙間からなかの様子を窺がい、何事もないのを確かめてから、声をかけるようにしていた。もう牝山羊とペドロは夫婦になったのだから、その夫婦の寝室に無遠慮に侵入してゆくのは失礼だと惟うからだった。
ほかの動物には繁殖期というものがあって、自然の規律を守って、繁殖期以外に交尾することはないのだけれど、ヒトという動物だけがだらしなく、メスには月に一度の排卵日があっても、そんなことを念頭においていないオスは、年がら年中、したいときにしているから、牝山羊はしたくなくても、ペドロはヒトなのだ、いつ、しかかってゆくやら見境がないのだから。
今朝は、豚小屋のなかも静かだった。
近づくと、豚が泥のような餌をしゃぶしゃぶ啜っている音だけが聴こえたけれど、耳に煩いほどではない。
豚は、放ち飼いにすると、好物の人糞を漁って回るけれど、コーヒー畑に入ってくると作業の邪魔になるから、昼のあいだは外出させない。ペドロが猫車を押して、人糞や人間の食べ滓を拾って歩いて、豚の餌をつくっている。
ペドロと豚は、この農園の清掃係りを共同で受け持っているのだ。
はじめてこの小屋に来たときには、豚小屋特有の臭いと、豚の体臭よりも、ペドロの体臭のほうが鼻について閉口したけれど、馬を買ってもらってからは、一週間に一度の休日には乗馬するために、ペドロに鞍を置いてもらうし、平日でも、夕食後から就寝時間までポルトガル語の実習をするために、ペドロと日本語との交換授業に当てていて、しばしば小屋に来ていたから、そのうちに嗅覚が麻痺して、この頃は小屋の臭いはもちろん、ペドロの体臭にも馴れて感じなくなっていた。
柳子は馴れてしまったのだけれど、父や母や秋子さんから、なんだか柳ちゃん臭うわねえ、と言われるようになっていた。
「ボン・ジーア(おはよう)」
 それでもそっと遠慮がてらに、柳子は小屋の戸を押しながら声をかける。
 枯草に寝そべって休息していたのだろう、ペドロがそそくさと起き上がって、出てくる。
 柳子が背伸びして、ペドロの頬に親愛の情を罩めてキスする。
 ペドロが悦んで、柳子の肩を抱いて、頬にキスを返す。
 もうふたりは、そんな間柄になっていたのだが、それ以上に進展することもないのを、互いに認識していて、それがふたりに安心を持たせていたから、際どいところまで進ませて、そのもう一歩を踏み越えないぎりぎりの感情を抑制するのを楽しんでいるふうにも視えた。
 柳子はいたずら好きでもあったから、ペドロがどんな反応を見せるだろうと思って、地面に男性性器の絵を描いて、
「エスティ、コモケシャーマ(これはなんと言いますか)」
 と訊ねると、ペドロは別段顔色を動かすこともなく、
「ペニス」
 と答えた。
「あら、そうなの」
 柳子は日本語で言って、
「ジャポン、タンベン(日本でも、そうだわ)」
 と言うと、ペドロは、
「オオ」
 と手を差し伸べてきた。
 柳子は、「ペニス」がラテン語で、ポルトガル語もラテン語だから、ということを、そのときはまだ知らなかったのだ。
 それとともに、日本語の呼称のなかの、幼時が「チンチン」で、女学校に行くようになるまで、その呼称一つしか知らず、女学校に行くようになってから、「陰茎」と「ペニス」を覚えただけだったから、「ペニス」が日本語ではないという知識だけで、それがラテン語であり、ブラジルに来るまで、ブラジルがポルトガル語を国語としていることや、ポルトガル語もラテン語であることを知らなかったのだ。
 川田鷹彦に、「ブラジル語を教えてください」と言って、「ぼくはスペイン語を勉強してきたのでポルトガル語とは少し違うんだけど」ということから、ブラジル語というこの国だけの特殊な言葉はなくて、ポルトガル語が使用されていて、ポルトガル語もスペイン語も同じラテン語で、それが方言のように変化しているだけだよ、と教えられて、はじめて知ったのだった。
ペドロと柳子は、それが親密になったものの挨拶だと知ってから、頬にキスし合うほどになっていたし、馬に交尾させるのを手伝っているペドロを観ているし、男性性器を「ペニス」と言い、女性性器を「バジナ」と言うのだと教わるほど、拘りのない仲になっていても、ペドロが熊野を仲介して結婚を申し込んできたときには、頸を横に振り、ペドロもそれは成就できないことだと諦めてからも、ふたりの親密さは変わらなかったのだ。
ペドロが農場のなかで、ほかのガイジン労務者との交際はなく、ガイジン女性と親しくしているのを見たこともなかった。
彼がマスターベーションをしているのを視たことがあったし、牝山羊とセックスしているのを視たから、彼は、性欲をそういうことで充足させているようだ、と柳子は思っていた。
柳子が、小屋の戸を押して顔を覗かせると、
「モンタ・カヴァーロ(馬に乗るのか)」
 とペドロの声は、質問形の尻上がりのせいもあったからだろう、明るかった。
「シン(そう)」
 ペドロは、柳子の馬の世話をやくのが、うれしそうだった。しかしこの頃のミモザへの世話のやき方には、いままで以上に情が込められているのがわかった。
 柳子が、契約農年が終るとアラモ植民地に移転してゆくことを知り、そのときには愛馬ミモザをここに置いて行かず、アラモまで乗ってゆく、とペドロに告げたから、名残を惜しんでそうするのだろう、と柳子にも、ペドロの心情が伝わってくるのだ。
 柳子がミモザを愛するようになったのは当然だけれど、ペドロもまた牧場にいる馬のなかで、ミモザにもっとも好意を寄せているらしいから。
「ああ、それから、ミモザはまだ処女だよ、柳子と同じように」
とペドロは言ったのだ。
なぜ彼がそんなことを言ったのか、その真意はわからなかったけれど、牝山羊とセックスしていたのを目撃された照れ隠しもあっただろうし、ガイジンでも処女であることを重要視する倫理観があるのだろう、と思うと柳子はとたんに感激して、思わず背伸びし、ペドロの肩に両手でつかまり、伸び上がり、頬にではなく、唇にちゅっとキスしてしまったのだ。
ペドロは驚いていっしゅん躊躇したあと、慌てる様子もなく、ゆっくり柳子の肩を引き寄せ、あらためて唇を重ね、しばらくのあいだじっとそのままの姿勢でいたけれど、それ以上のことをしなかった。
柳子はキスしながら、ああ、してしまった。もしもペドロがわたしの服を脱がせるようなことをしてきたら、どうしよう。しないと思うけれど、してきたらどうしよう、と心がざわめき、慄き、全身に小刻みな震えを感じたが、すこしも怖いとは思わなかった。セックスをおぞましいことだ、わたしはあんな動物のすることをしたくない、と思うけれど、あまりにもしばしば観察しすぎたからか、それが日常的なことで、別段取り立てて騒ぐようなことではなかったのだ、と思うようになっていたからだった。
ペドロのキスは、長かったけれど、きつく押し付けてくるのではなく、軽く重ねたままで、彼の心臓の鼓動が伝わり、鼻息が頬を掠めるのが、大地の上で生きているという実感になった。
鷹彦が、彼自身の臆病さを顕わにしたような、心の襞を掠って通ったようなキスをして、女神を崇拝するキスだよ、と言ったのが、照れ隠しだったことが、いまわかった。そんなものではないはずだ、と。
鷹彦さんは見栄っ張りなんだ。ペドロは正直なんだ。ふたりの男の、キスの仕方があまりにも違ったから、柳子は男の心の違いも知った。
キスしながら一瞬の昂奮が冷めてきていた柳子は、ほっとして、唇を離すと、ペドロも肩を抱いていた手を放して、何も言わず、堅い握手をしてきた。
柳子もしっかり握手をしながら、ペドロの唇に視線が行ってしまう。鷹彦さんやわたしの薄い肉ではなく、ペドロの唇は肉厚で、肌が濃い褐色だから、ピンクの口紅を塗ったように明瞭に形どられていた。それが鼻梁の端整さとよく似合っていた。唇から鼻に移り、そして眼に視線が移ってゆくと、日本人の両眼の開いた位置とは違って、両側から鼻梁を挟んで押し上げるように間隔が狭く、くぼみも深く、狡そうな揺れもなく、じっと柳子を見返している薄い茶色の眼球が、うんと深い渕のように、そしてこちらを引き込んでいきそうな力が漲っているように、柳子は感じてたじろいた。
キスはキス。セックスはセックス。ペドロのけじめのある態度がわかって、鷹彦とキスしたときのような物足らなさを感じなかったし、そうかといって、不道徳なことをしてしまったという思いもなかったし、一瞬昂ぶった感情が頂点まで達して、自然なかたちで波が引いてゆくように平穏になったのを自覚できて、これが男女の正常な感情の発露なのだと思い、いまこのとき、わたしはおとなになる境を跨いだのだ、と思った。
柳子も臆することなく軽く手を握り返して、
「アラモへ行っても、ペドロのことは忘れないわ」
 と言って、友情以上の感情を示したのだ。
「タンベン(ぼくも)」
 簡潔だったが、ペドロの返事にも、情が篭もっていた。
あんなキスをしてしまって、ペドロがまた、結婚話をぶり返さないかなあ、と心配したけれど、そのあともいままで通りの、女主人に傅く従者のように、ミモザに鞍をつけたり、鐙の代わりに掌を組んで、柳子が長靴の土のついた底を載せてくるのを待ったのだ。
ああ、ペドロだったら、「春琴抄」の佐助のような愛を、わたしに対して持つのではないだろうか、と柳子は思った。
そう思っても、柳子自身は、それに応える愛を、ペドロに対して持つ自信はなかった。
そのときはっきり、ペドロは紳士だ、と柳子は思った。服や手は豚の糞で汚れていても、ペドロの心は貴族なのだ、彼の容貌と同じように、と柳子は厚い好意を持った。
柳子は「貴族」ということばが好きだった。童話的な憧れに過ぎなかったけれど、父が「儂らは朝鮮貴族の血を引いている」と言ったとき、朝鮮人を蔑視している日本人の風潮から、自分が朝鮮民族のひとりだと思うことに拘りを持ちながらも、貴族の血を享け継いでいるということのほうが比重が大きくて、黙認したほど、高貴なものに憧憬を抱き、畏敬の念を持っていたのだ。
だからその反面として、はじめその端正な容貌から好意を持った鷹彦の顔色が、近頃めっきり煤けてきて、心の捩れまで顔に顕われてくると、観るのがおぞましくなり、肺病ではないのかと父が言ったこともあって、見舞いにも行かなくなっていた。
たとえそれが見せかけであっても、背筋をすっと天に向けて伸ばし、世間を見下す虚栄心からでもいいから、孤高の精神を顕示しつづけていてくれたほうがいい、と柳子は思った。
柳子自身が、父の血を引いて見栄っ張りなのだ。
馬の背に跨って視る労務者小屋は、日本の正月を連想させるほど、静かだった。
一年間に累積してきた疲労を慰撫するというだけの静けさではなく、次の一農年への力を蓄えているという生活力を感じさせるものだった。
おそらく小森一家を除いた、そして鷹彦を除外した、新移民の小屋もそうではないだろうか、と思える雰囲気がその前を通るときには感じられた。
敗残という姿は、小森一家と鷹彦だけに感じるものだったが、たわわに実っていた実を?ぎ取られたコーヒー樹の枝々は、壮絶に戦って斃れた巨大な恐竜たちが、肋骨を晒して屍を累々と横たえる墓場のような、寒々とした風景を、柳子に視せていた。
しかし、柳子のように感受性が勁く、なおかつ人一倍観察好きな少女の感性には、枯れ枝のような状態の、枝の表皮の内側に、逞しい生命力が膨らみを示していて、つぎの一農年のために新しい芽を発生させる準備を整えている気配も感受できた。
そこに春の息吹きを感覚すると、自然の旺盛ないのちの営みを知って、柳子は思わず唇を綻ばせる。
「いのちの営み」
 みずからが思惟したことばに、満足して、それを声にする。
 声になって出たことばは、分解して風に飛ばされ拡散するのではなく、「いのちの営み」「いのちの営み」「いのちの営み」と、いくつもの同じことばの複写になって、農園の上を広がって飛翔してゆく。
 そうかあ、そうだよねえ。すべてが「いのちの営み」なんだあ。
 コーヒー樹の枝の節節に芽生える薄緑のふくらみ。それが白い花になり、雌蘂と雄蘂が結ばれて実になり、色づき、落下して、また芽吹き、それを毎年繰り返す起死回生。ふしぎな自然の「いのちの営み」。
 馬でも牛でも豚でも、そしてヒトでも。雄と雌が交尾して、子を産み、死んで、という輪廻転生を繰り返しているのだ、と惟うと、セックスも「いのちの営み」なんだ。自然な行為なんだ。
 どうしてそれを、ヒトだけが恥ずかしい行為だと思うのだろう。罪なことだと考えるのだろう。
 誰と誰がセックスしていても、互いが求め合ってすることならば、それは自然の営みなのだ。悪いことであるはずはない。
 わたしがさっき、そうしようと意識せず、衝動的にペドロとキスしたのも、自然な行為だったのだ。
 あれが、ブラジルに来ておよそ一年のあいだに観察してきたことの、一つの解答だったのだ。
 そう惟うと、どんどん胸が膨らんできて、破裂しそうな予感がして、思わず胸に手を当てていた。そして掌に受けた感触がいつもと同じ扁平なものだったから、安心する。
 安心したなかで、ほんとうにペドロはいい青年だなあ、としみじみ想う。
 自分ながらびっくりした衝動でキスしたのだけれど、それは以前からペドロに好感を持っていたからだし、黒人とキスしたら、自分自身の心境にどんな変化が起こるだろうか、というこちら側の一方的な好奇心と、キスしたあとで、ペドロがどんな態度を取るだろうか。キスしたのだから、そのあとのこともさせてくれと言うだろうか。もしもそんなことになったら、大きな悲鳴を上げて小屋から飛び出すという、腰が引けるような危険性を伴った冒険心もあったのだ。だからペドロが紳士的な態度で終らせたことに、心のなかでぺろっと舌を出しながら、感心もし、称賛の拍手を送ったのだ。
 彼はすごく冷静なんだ。その冷静さが信じられないほどだったが、柳子はうれしかった。
 ペドロは無学文盲だ、と熊野さんは軽蔑して言ったけれど、それは勉強する環境のなかで生まれなかったからで、知能指数の問題とは違うのだ。
彼はすごく鋭い知性があるし、落ち着いた理性があるし、繊細な感性があるし、王侯貴族のような気品を備えているし、生まれた環境さえよかったら、豚の糞に塗れるのではなく、本の虫になっていたかもしれないのだ。そういえば詩人の素質を持っていそうな眼だもの、と柳子は、さきほどキスしたあとで、じっと視線を絡ませたときの感じを思い出していた。
あれほど長いキスをしながら、ペドロの息遣いが乱れなかったのを想うと、鷹彦さんは、と柳子は、すっと刷毛で刷くようなキスをして、心を乱したことを憶い出し、鷹彦さんには、知性はあっても、理性が乏しいのではないだろうか、と考えてしまう。
あ、わたしはマイナス思考が嫌いなんだ。鷹彦さんの乱れようは病気のせいなんだ。彼ももとの元気な躰になれば、また世界を一つにするのが、ぼくの夢なんだよ、と明るい笑顔で言ってくれるだろう。たとえそれが不可能なことであって、一つの希望を持っているだけで、人生は楽しいんだから。と彼自身が言った快活さに戻るだろう、と性質が陽性な柳子は思い直す。
曲がりなりにも、そして救援はしてもらったけれど、それは金銭で片付くことだし、一応は一年契約の労働条件の、受け持ち区域のコーヒー採取作業は終えたのだ。
まったく農作業などはじめてするわたしが。そして日本では「総領の甚六」、「ぐうたら息子」、「放蕩息子」、と鼻つまみものだった父が、母の忍耐力と励ましとによって、コーヒー収穫の労働に、何とか恰好をつけたのだ。
父にもわたしにも、そして母にも、ブラジルに来た意味はあったのだ。
そう想うと、周囲の風景が、いっそう広がり、明るさを増し、ただ荒涼としたものではなく、遥かな眺望の、視界から食み出して、未来につながっている彼方へ、希望を伸ばしてゆくことができた。
そして、その広大さは、小さな柳子を侮り、弾き出し、日本へ帰って行けと軽蔑するのではなく、よう来たな、頑張れよ、と自然の懐にぐいぐい惹き込んでくれる、豊かな慈愛に思えるものだった。
信州の農家で産声を上げた農民の子が、幼いときから東京の水に慣れてしまって、鍬を手にすることを、もっとも下賎なもののすることだと思い、恥ずかしいことだと考えるようになっていたのだ。
そんな柳子が、大きな生活環境の変化に押し流されてブラジルに来て、あれよあれよと思う間に、元の農民の子に引き戻され、鍬を握る生活を強いられ、不平不満を口にしながらも日を重ねるうちに、手の平にできた肉刺が潰れ、またできた肉刺が潰れして、とうとう百姓女の手になってしまった、と悲しんだのだけれど、流した汗の量以上に、苦痛も流れて行くと、珠玉にも見紛うコーヒーの実を、この手で?いだのだ、という感慨が精神を浄化させたのだろうか、大地に対する執着が、いつのまにかできていて、農村の生活も捨て難いものに思えるようになっていた。
横暴とも思えた父のブラジル行きに徹底抗戦して、もしもあのまま東京の良三叔父の家に踏みとどまり、希望通り女子大学の文学部に入って、さらに望み通り新聞記者への道を歩んでいたとすれば、わたしは未来永劫、ブラジルという国を知らずに畢っただろうし、鍬を執って草を削ることもせず、コーヒーの実を?ぐこともしないだろうから、大自然の懐の深さとか、ブラジルの風景の広大さとか、自然の不思議ともいえる営みとか、そういうものを感受することもなかったのだと思うと、どうにも抵抗し難い運命というものに流されながら、無理せずに、手の届く範囲の環境のなかで、精いっぱい生きたらいいのではないのか、と柳子は思いはじめていた。
足が腫れて歩けなくなったり、手の皮がめくれて血が噴き出したりしたときの、悲壮感が消滅して、自然に同化できる心境になっていたのだ。
それは、限られた範囲の生活環境のなかだけだけれど、自然を観察し、人間を観察して得たものだったが、十七歳から十八歳というもっとも感受性の高まる時期でもあったし、いろんな点で、おとなと子どもの境でもあったから、柳子をさらに大きく成長させたといえるだろう。
自然の力は、いくら抵抗しても、遂には人を諦めさせるほど強大なものなのがわかって、それを口惜しいと思わずに、抱かれてゆく従順さを育んだ。
そして、それがわかると、父もまた抗し難いなにものかに押し流されて、彼自身の意思ではなくブラジルに来ることになったのだろう、とやさしい気持ちになれた。
放蕩の末に信州に居られなくなり、みずから志願して、養蚕指導員という肩書きを持ってブラジルに来ることになったのだけれど、秋子さんの言う「運命」のせいだとすれば、父のわがまま勝手な行動を責めても仕様がないのだ、と理解できるようになったのが、柳子にはふしぎに思えた。
父の過去を恕すというのではなく、人間の男女関係もまた自然のなかで営まれるものなのだ、ということが、いろいろな人種が共同生活をしているなかで知り得たものだった。
そんなことを考えると、秋子さんを諦めさせてきた「運命」というものを、信じないわけには行かないかなあ、と柳子も思う。
それはある種の恐怖に通ずる感慨だったが、柳子を屈服させるものではなかった。認識させるというやさしい押しつけだったのだ。
それにつれて、柳子は、人間の生き方には幾通りもの道が用意されていて、どの道を選ぶかはみずからの意思で決められそうに思えるのだけれど、そうではなく、外部からの影響によって歩む道を限定されるような気がする。だから父も、彼のわがままだけでブラジルに来たのではなく、そうしなければならなくなったなんらかの運命的なものに押し出される恰好で、こうなったのではないかと思えるから、一概に父を責めるのは可哀相にも思ったのだ。
恰好はどうであれ、いちおう海外へ出向するという誉れを掲げて、万歳万歳の歓呼の声に送られ、「島々」の駅を出発し、軍楽隊の勇ましいメロディーで神戸の港を出港してきたのだから、すでにケープタウンを回ったところで、派遣取り消しの電報が入ったからといって「男子がおめおめと帰れるものか」と父が急遽身の振り方を変更したのも、彼の意志のようであって、実はそうではなく、そういう運命にあったのだ、とも思えるところがあった。
母もただ呆然とするばかりで、抗し難い運命の波に押し流されるのは仕方のないことだ、と諦めているふうだった。
しかし、運命というものが、そういうものなのだと思っても、そう思ってしまうと、なんだか人生ってすごくつまらないようにも思えるから、なにもかも運命のせいにしたくはなかった。
秋子さんのように、すべてを運命のせいにするのは悲しすぎる。あまりにも哀れすぎる。人間として生きるのなら、たとえごり押しにでも、曲がりなりにも、自分自身の意思を働かせて選び、歩みたいものだ、とも思う。
わたしも父に似て、ちょっと軽はずみなところはあるけれど、三叉路に立ってか、十字路に立ってか知らないけれど、別れ道に差しかかったとき、よく考えて、どの道を選ぶか慎重に足を踏み出さなければならないぞ、と自分自身の肝に命じる。
出発点は同じでも、一歩を踏み出すところで道が違えば、先では大きな開きができてしまうだろうと思うと、なんだか恐くて、その一歩が踏み出せなくなる気もするけれど。
そうだ、移民船の船上で二者択一を迫られた父も、彼の意思で苦労を背負ったのだから、娘の立場として、父の歩む方向について歩くのは当然だったのだ。わたしはまだ父の意思によって動かされる子どもだったのだから。
そう思うと、こんど父が積極的に動いて、この農場を出たあとの生活環境を先取りして帰ったのは正しかったのだ、と思わなければならないだろう。
隣のおじさんは、そうしたくてもできない経済的事情があったのだけれど、それはどう考えたらいいのだろうか。運命と考えるべきなのか、彼の不甲斐なさと思うべきなのか、とずいぶん考えたけれど、柳子には答えの出せることではなかった。
わたし自身には、生まれたときからの幸運があったのは確かなようだ、と思うことで、一応の終止符を打つ。
それにしても、この農場での契約労働を曲がりなりにも終えて。いや、働いて労賃を貰うのではなく、臨時雇いの人の労賃をこちらが払い、その上わたしの仕出かした悪戯の罰金まで払って出るのだから、ちょっと曲がりすぎだったなあ。
まあいいか、いまさらくよくよしても後戻りできないのだから、とにかくここを出て、自分の自由にできる土地に移り住めるというのは、大きな幸せには違いなかった。秋子さんらと比べると、なんとも申し訳ないほどのことだけれど、そこまで小森家の運命に共同体意識を持つのは行き過ぎ出過ぎというものだろう。
ある一点で線を引かなければならないこともあるのだ。所詮昨日まで他人だったのだという冷めた感情で。
もちろん出発点が違うから、歩む人生が違ってくるのは仕方のないことだけれど、ここではじまった生活は、小森さんも川田さんも竜野さんも中村さんも、みんな同じスタートラインに立ってはじまったのに、一年経ってゴールに駆け込んだときには、新移民の家族の様子は、すっかり違ってしまっていた。
竜野は、五尺三寸並男という基準からすると、六尺を越す大男と並みの娘がふたりの三人だけれど、中村のおとなばかりが五人という最高の家族構成と同じくらいの収穫量を上げたのには、びっくりしたたい、と熊野が言っていたが、頭数だけで比較はできないだろう。
竜野の三人は、三人とも無学文盲、猿と同じような生活をしてきたんだと言い、米の飯を食うのはブラジルに来てから初めてのことだと言い、日本では、植物性は甘藷と樹の実、動物性は猪、蛇、蜥蜴、川魚などだが、それが副食ではなく主食のようなものだった。という樵の生活をしてきた家族なのだ。人間業ではないのがとうぜんだろう。
中村の五人のうちの、母と息子が農業経験者だといっても、父と娘は都市生活者というおかしな構成家族なのだ。
小森のところは五人が働いて、借金を残したというのが、まっとうな答えだろう。全員が都市生活者で、家長は農家の出だと言っても、少年のころから大阪で丁稚奉公をしてきたというのだから、農業経験は皆無なのだ。その上、労働力ではない食べ盛りの子どもが大ぜいいるのだ。なにかが欠けているのではないのだろうか。どこかに穴があいているに違いない、と思うのは妥当ではない。
小森茂はその原因を、大阪人間は食べ道楽だっさかい、経済的に困ってても、可能な限りの贅沢しますねん。ほいでだす、貧乏せんならんのは、と言っていた。
それならば優雅な貧乏だ。趣味に金かけて没落する貴族並みの贅沢ではないか。
人生を可能な限り楽しむという、そんな生き方が、ほんまの生き方かもしれへん、と最終部分を大阪弁で考えて、東京の人間にはでけへん贅沢や、と柳子も納得した。
小森が貧乏する原因は納得できても、いっしょに入植した五家族のうち、この農場に居残るのは小森の家族だけらしいと聴いて、柳子は、ぎゅっと胸を絞られる思いをした。
こちらはすでに土地を買っていて、そこに移転して行くのだという好運な状況を、父から口止めされているだけではなく、あまりにも残酷な気がして、秋子に言うのを、言いそびれていた。
思ったことや考えたことを、言ったりしたりしないでいるのは、柳子自身にとって非常に苦痛なことだった。しかし、それを言うことで、せっかく正常に戻った友情に、また罅が入りそうに思えて、こわかった。かといって、言わずに居るのも友情に悖るのではないのかと考えると、辛かった。言うのが友情なのか、言わないのが友情なのか、判断できなかった。
いままでなら、相手の気持ちなど考えずに、思ったことをすぐ口にしてきた柳子だったから、それを抑制できることだけでも成長したのだろう。
だけれど上を向いて歩けなかった。日曜日に馬に乗って散策するときでも、背を伸ばしてこれ見よがしに歩けず、敗残兵のような姿勢になってしまうから、しぜん馬上から視る風景が、殺伐としたものに映った。
コーヒーの実を毟り取られた枝たちの、無慙な姿が視野を占領しているからだろうか。

今日も最後の地均し作業だった。裸になったコーヒー樹の枝が、枝垂れ桜の枝のように垂れ下がっているのを持ち上げて、樹の根方に土を放り入れる作業をしながら、アラモというところに移転するのよと、いつ秋子に言おうか、と思い迷う。
柳子は、酒を飲んで酔ったのがいい結果になって、父に対して抱いていた疑惑とか、蟠りとかが解け、移って行く土地も手に入れたということと相俟って、家族三人のなかが、いままでになかった温もりで具合良く溶け合うようになったのを感じていた。
秋子のほうは、柳子の家庭の事情とは反対に、酒に溶かそうと思って飲んだ苦痛が、酒に溶かしきれず、もう、どうにでもなれ、という自暴自棄のほうへ流されたのが、いままでにない夫婦の諍いと、兄弟姉妹の口喧嘩が頻繁になったことから想像できた。
 そんな秋子に、明るい希望に満ちた話などできるはずはなかった。
 なんとかこんな憂鬱な、そしてふたりのあいだに蟠っているギクシャクした状況を、打破して、ぱっと気分を晴らせる話題はないものか、と考えつづけているうちに、恰好な話の種に気づいた。
実を?ぎ取られたコーヒー樹の枝枝に、もう薄緑の脹らみのあるのを見つけていた柳子だった。これだと思った。まだよく見なければ見えないような芽生えだったけれど、これこそ明日に希望を持たせる現象ではないか、と惟っただけで柳子の胸も膨らんだ。
「秋子さん視たあ」
柳子が、移転のことを言えない大きな辛さを、小さな若芽のほうに転化させて、秋子の人間臭い憂欝に翳っている気持ちを、明るい自然現象の膨らみに誘い、心の勾配を図ったのだけれど、彼女自身の眸をさきに耀かせていた。
コーヒー樹の若芽が、まえに視たときよりもさらに膨らんでいて、樹皮のうちら側に再生の息吹を、はっきり感じさせていたのだ。これこそ春の胎動を思わせるいのちの営みのすばらしさだった。
「どうしたん、なにがあったん」
秋子も、柳子の眼の耀きにつられて、いっしゅん陰気くささを忘れ、気持ちの塞がりを押しひろげていた。
柳子は、秋子の閉ざしていた岩屋の戸が開いて、彼女の心のなかに仕舞い込んでいた陽性の種子が、弾けるのを感じた。
「もうコーヒーの芽が脹らんできてるのよ」
「ええ、ほんまあ、このあいだ?いだばっかしやのに」
「ほれ、ここ視てごらんよ」
柳子に言われて、秋子はコーヒーの樹の枝を手にとって視たけれど、コーヒーの実の芽が吹き出しているのは視えなかった。
「どこに芽が出てんのん、どこやのん」
 秋子が、枝の裏表に眼を寄せて、若芽が萌え出ているのを、ためつ眇めつしながら探す姿が、柳子には異常に映った。何かしら彼女自身の逃げ込む穴を探しているように視えたから。
「ほれこれよ、ここ脹らんでるじゃない」
 若芽が顔を出しているのではなかった。ついこのあいだ実を?いだばかりの裸の枝を、
指で撫でると、その指の腹にかすかに感じるものがあって、それが胎芽のふくらみだろうと感覚する程度のものなのだから、遠視の秋子がいくら眼で探しても視えるはずはなかったのだ。
「指先の腹で撫でてごらんよ」
「ふん、そういえば脹らんでるかなあ」
 感じない指の腹に感じさせようとするあいまいさが焦りになって、秋子の指先は、盲人が物を探すような、無駄の多い動きになった。
「ああ、ここ、ここ。これ視てごらんよ、薄緑の芽が顔出してる」
 柳子もやっと虹彩が、ほとんど感覚的に捉えたものがあって、ほっとしながら、秋子の視線を、そこに導く。
「どれどれ、そういえばそう視えるかなあ」
 やっと秋子も焦点が合わないまま、薄緑色のぼんやりした膨らみを、指の腹に感じた。
柳子が逸早く木の芽の脹らみを感じ取れるのは、彼女の敏感な感受性のせいばかりではなく、軽い近視で、枝に近々眼を寄せると、細かいものが視えるのと、遠目はきくけれど、近すぎるものに焦点を結ぶことのむつかしい遠視の秋子との違いがあったとしても、そればかりではなかっただろう。
物理的なそういうことよりも、精神的に明日への希望に心を弾ませている柳子と、気持ちが塞がっていて、行き先のない秋子との違いでもあっただろう。
しかし、そういうふうに、それぞれの家庭の事情や、個人の思惑が違っても、もうすぐ一農年の終わりが来て、それまで積み重ねてきた労苦が金銭に換算され、それぞれが消費した生活費を清算されて、それぞれが流した汗の量に見合うのか見合わないのか、それもそれぞれの受け取り方で価値観の変わる労賃を、とにかく受け取る日が間近なのは確かだった。
だから、なんとなく後始末に畑に出てくる労務者の顔が、コーヒーの実の芽吹くよりも早くほころびているのも肯ける。

そんな季節のある朝早く、内藤の小屋の表戸を、ほとほとと打つ控えめな音がした。
もうチヨは炊事場で、ぼき、ぼき、膝頭に当てた薪を折り、折った薪を竈の口に差し入れて、鍋の湯が沸騰するのを促しているところだった。
柳子は昨夜も遅くまで本を読んでいたから、まだ白川を夜船で渡りきっていなかった。
龍一はちょうど目覚めて、ベッドから足を下ろし、背伸びをしているときだったから、もう狐が女に化けて戸を打つ時刻ではないのに、と不審に思い、腕を大きく振りながら、戸口に行って、板戸の隙間から覗き、そとの気配を窺がうと、太陽の昇る位置がずっと南に寄っていて、雑木林のはずれから顔を覗かせるようになっていたからだろう、早々と淡い萌黄色の夜明けの明るさが広がっているなかに、黒い影になって立っている人の姿があった。影の形から、女ではなく男なのが見て取れた。
かつて一度も、こんな時間に人の訪れたことなどなかったから、なにか日常的ではない事情を持って来た人だろうとは察したが、そんな切迫した気配もないし、なにかを報せに来るのは熊野か、隣の小森か、ほかに思い当たる人などいないし、親しくしている人もいないし、と思いながら用心深く、
「どなたですかな」
と問うと、
「はい、早くから申し訳ありませんが」
と言うきりで、名を告げない。
「どなたでしょうか」
龍一は、少し声を荒くして、もういちど確かめる。
「はい、川田ですが」
謹厳実直というのは、この人のためにあることばだろう、と誰しもが思うような川田だったが、人と道で行き遭っても声を出して挨拶をしたことがなく、静かに目礼するだけで、気弱に逃げ腰になって道を避けて通るような男だったから、彼から言葉を引き出すには、こちらが大きな声を出し、積極的に物を言わなければ埒が明かないだろう、と龍一も思って、戸を開けるとすぐ、
「どうしました川田さん、なにがあったんですか」
と口早に問いかける。
「はい、じつは」
そういう本人が、自分自身でじれったくなるのではないのかと、聴いているほうが気を遣うほどゆっくりと間延びした言い方で、ひとこと言うと小休止するから、つぎの言葉を待つほうが苛々させられる。
なにを言いたいのか、なにを頼みに来たのか、行き遭えば目礼を交わしてきただけの間柄でも、同じ船に乗り、同じ汽車に乗り、同じ農場で生活をともにしてきた日本人同士という親密さはあったから、できることなら協力する気になっていたが、早朝から人の家を訪ねてきた用件を、どうしてこうこうこうだからと、手っ取り早く言えないものか、と龍一は内心で苛立ちながらも、鷹揚に構えて見せる。
萌黄色だった朝の光のほうが、川田の時間帯よりも間隔が短くて、どんどん空気の色を変え、青みを増してくる。そして輝度を上げた光が、川田の顔の輪郭を徐々に強めて、陽灼けして濃い褐色になった顔のなかの、翳りをいっそう濃くする。
龍一も、三度は問わず、相手が何かを言うのを、眼を顰めながら待つ。
「じつは」
やっと言葉を出した川田は、そこでまた息をつぐ。
「はい」
龍一は自分自身の苛立ちを抑えながら、川田に弾みをつけさせるように、相槌を打ってやる。
川田は慌てず、ゆっくり時間を見計らっているかのように、深呼吸をして、
「こんなに早く申し訳ありません」
とまた頭を深々と下げながら言う。
安曇では、小作人や臨時雇いの労務者をおおぜい使っていた地主の息子だったから、龍一は、川田のような朴訥で唖者かと思うほど寡黙な男も、数多く知っていた。
言葉と言葉の間隔が退屈するほど長くても、地主は、即ち龍一が観てきた祖父や父は、うん、と口をへの字に曲げて、長煙管を咥え、相手に合わせて、ゆっくり煙草の煙を鼻から出して待つものなのを、なんどもそういう光景に接してきて、心得ていた。
「いや、構わんですよ。どうぞお入りになりませんか」
龍一が、戸口を塞いでいた躰を開くと、川田は入ってきはしなかったが、ここに来た用件を引き出されたらしく、
「あのう、これを」
と手に持っていた、新聞紙に包んだものを差し出す。
「なんでしょうか」
「本ですが」
「本」
「はい、鷹彦が、これを柳子さんにと」
包みは厚くなかったから、おそらく一冊の本だろうが、たった一冊の本を、こんな早朝に叔父に託すのには、それ相当の理由がなければならないだろう。たとえ鷹彦の病状が起き上がれないほど悪化してきているといっても、いまでなければならない理由など、あるはずはないだろうに、と惟った。
龍一は、ある予感に眉を顰めて、
「鷹彦くんが」
と言葉を切って、川田が応えるのを待つ。
鷹彦は、ここに入植した当時、よく本を持ってきて、「整理していたらこんな本が出てきたから、お読みになるかと思って」と、それが柳子になのか、チヨになのか、わからない曖昧な態度で差し出したりしていた。
それを見て龍一は、弟の良三がチヨに本を差し出していたのと同じ光景なのを想い出して、渋面をつくったものだった。
だから鷹彦が、柳子に本を貸すことに不審はなかったが、「なぜ」「いま」なのか、と常識を逸脱した時間に不審を持ったのだ。
そこで、ああ、と龍一は気づく。目的はこ
の本を叔父に託して、柳子に届けさせることではなく、ほかにあるはずだ、と。
龍一は、一冊の本らしいから、柳子を呼ぶまでもないだろうと思って、包んである新聞紙を開く。そして本の表題を見て、また眉を顰めた。なぜなら、本の題名が「絶望の逃走」という、嫌な感じの字が、薄暗がりのなかで起き上がってきて、眼に入ったからだった。
龍一が顔を曇らせながら、本の頁をぱらぱら繰ると、白い紙片が頁の間から床に落ちた。
龍一は屈んで拾い上げたが、紙片と思ったのが、かなり分厚い封筒だった。
柳子にという本だから、包んであった新聞紙は開いても、本のあいだに挟んであった封筒を開封して、中身を引き出すことは憚られ、それをまた本のあいだに戻す。
戻しながら、むらむらと嫉妬が湧き出る。アカかぶれしたやつが、娘にラブレターを寄越したのだ、と思って。
起き上がれなくなっても、まだ柳子に言い寄ることを止めない鷹彦の執拗さを、嫌悪する。
そして嫌悪するみずからを悲しみながら、龍一は、なにかおかしいぞ、と考える。
いくら病状が悪化した気の狂いからだといっても、こんな時間にラブレターを、わざわざ叔父に託した、などと考えるこちらのほうがどうかしているのではないか。これはラブレターではなく、なにかの急を告げるものではないのだろうか、あ、遺書かも、と。
「柳子、柳子」
龍一はある予感があって、奥に向かって大声で呼ぶ。
チヨが、なにごとかと思って炊事場から出てくると、そこに川田がいるのを見て驚きながら、
「おはようございます」
と挨拶する。
「おい、チヨ、柳子を起こしなさい」
龍一は、そのときにはもう、鷹彦になにごとか異変が起こっているのを察した。いよいよ死期がきているのをあの男は感じて、ラブレターというよりは、遺書を託けたのではないのだろうか、と思いはじめていた。
柳子は、すでに目覚めていた。そしてなんだか人の気配の慌ただしさを感じていた。
そこにチヨが、
「柳ちゃ」
と声を掛けたのだ。
「どうしたのよ、なにがあったの」
 柳子は、ざわざわ胸騒ぎがして、ベッドから滑り降りる。
「さあ、なにがあったのか知らんけど、川田さんが来ておられるに」
あっ、と柳子は息を呑んだ。なにも聴かないうちに、鷹彦に異変が起こっているのだと気づいたのだ。
柳子が、寝間着のまま戸口に走り出るから、チヨが慌てて、
「柳ちゃ、それ、着替えて」
と声を掛けたが、柳子は振り向きもしないで、男のように刈り上げた髪を、両手の指で梳き揚げながら、玄関に出て行き、
「おじさん、鷹彦さんがどうかしたのぉ」
と戸口に立っている川田の姿を、逆光のなかで黒い影として捉え、はっきり顔かたちのわからないうちから声を投げていた。
「はい、死によりましたけん」
そこで、はじめて川田が、早朝から来訪した主要な用件を告げる。
柳子が、あっ、と立ち竦み。
チヨが眩暈を覚え。
龍一が持っていた本を床に落す。
そして、その場に重苦しい空気が澱み、しばらく無言の時間が流れた。
なんという男だろう、ここに訪ねてきて、まず口にしなければならないことを言わずに、鷹彦が託けた本を柳子に渡すのが主目的のようにしていたとは。
龍一は、川田の内気で無口なのにもほどがあろうと、川田の鈍重さに腹立たしい思いをした。
「わたし、行ってくる」
言うなり柳子は、寝間着のまま飛び出しそうにする。
その袖を龍一が捉える。
「柳子、もう亡くなられておられるんだよ。おまえが行って、どうするというんだ。ああ、鷹彦くんがおまえに本と封書を託けたから、川田さんが持って来られたんだ」
言いながら龍一が床にしゃがんで、落した本を拾い上げ、柳子に差し出すと、柳子は受け取ったが、受け取ったまま、じっと本の表題を読んでいるように、表紙を見詰たままだった。「絶望の逃走」という本は、いぜん鷹彦がそれを読んでいるところに行って、話したことがあったから知っていたが、べつに読みたいと言ったわけではなかったから、この本を託けることに、鷹彦の意思があったのだろうと考え、それがどういう意味を持つものなのか知りたかった。
「遺書じゃないかな、本に封書が挟まってるが」
 龍一が、注意を促す。
「お父ちゃ、読んだの」
柳子が、厳しい眼を上向ける。
「読んでいないよ。柳子、読んでみなさい、鷹彦くんの死んだ理由がわかるかも知れない」
「死んだ理由って、おじさん、鷹彦さんは自殺したんですか」
 柳子の、もう子どもではない厳しい口調に、川田はうろたえる。
「いえ、あのう、べつに、そんなふうには見えませんでしたけど」
 あいまいな川田の言い方に、柳子は苛立ち、
「お父ちゃ、勝手に自殺みたいに言うの失礼じゃないの」
 と川田に対する腹立たしさを、父のほうに向ける。
「儂は、なにも、そうは言っとらん」
「そんなニュアンスだったわよ」
そうだろう。龍一は、理由もなくそう思って言ったのだから、そう聴こえたのだろう。「いつなんですか、亡くなられたのは」
このおじさんのことだから、鷹彦さんが死んだのを気づくのも遅かったのだろう、と柳子は厳しい口調で訊ねる。
「さあ、いつなのか。今朝、俺が起きたときにはもう死んどりましたけん」
 どこまでも悠長な川田の返事だった。
「じゃあ、この本託けられたのは」
 川田の返事がもどかしく、畳み込むように問いかける。
「ああ、それは、鷹彦の枕元に置いてあって、あなたに渡してくれるようにと書いた紙が、あったものですけん」
川田がそう言ったから、柳子も、鷹彦の死は覚悟の上だったのだろう、と思った。
「鷹彦さんの手紙を読んでみたらいいに」
チヨが、柳子の後ろから、耳元に囁く。
「いやよ」
柳子は、母のほうに振り返りもしないで、言う。
「いま読みたくない。あとで読むから」
柳子自身も、どんなことが書いてあるのか早く知りたくて、うずうずしながら、書かれてある内容を剥き出しにして、みんなにわかってしまうのを懼れた。
ふたりだけにしか通じない秘密が、文章のなかに包み込まれているように思って。
しかし、病気で自然に死ぬのはどうしようもないけれど、自殺をするのは卑怯な行為だ、と柳子は思えて、なんだか黒々としたものが心のなかに渦巻くのを感じながら、どうか自殺なんぞではありませんように、と手を合わせる気持ちで、封筒の中身に向かって願っていた。
感情は昂ぶっているのに、鷹彦の死を知らされても、涙が込み上げてこないのがふしぎだった。
なんだか鷹彦とのあいだで、未解決なことがありすぎたように思えるし、自殺なのか、病気による自然死なのか、と拘りすぎているからだろうか、気持ちの整理がつかなくて、感情が中途半端なところで停滞しているようだった。
チヨひとりが、声もなく涙を溢れさせていたが、そのうちに堪えられなくなったのだろう、炊事場のほうに行って、鳴咽するのが伝わってくると、龍一に不快感を与えた。
妻が、他人でしかない死んだ青年に、密か
に涙するということに、嫉妬したのだ。
その嫉妬という感情を、彼自身は自覚してはいなかったけれど、気分を害する理由がないのに、気分を害するのは、本を通じて情を交えたとしか思えなかったから、儂はふたりの仲を怪しんでいるのだろうか、いや、そうではなく、良三とのあいだに何かがあったと思いつづけてきたことで嫉妬してきたから、それがチヨと鷹彦のあいだに捻じ込まれたのだろう、と自嘲する。
そして、もう嫉妬を覚える対象のふたりが、ひとりは遠く隔たり、ひとりは死んでしまったのだから、と安堵する。安堵しながら、どうして儂はひとり相撲を取っているのか、と苦笑する。
「ほかに、なにか遺書というようなものは」
他人の家庭のことだけれど、と龍一は思いながらも、死ぬ前に娘に手紙を書き残すようなことをしたのだから、その娘の親として、少しは立ち入ってもいいだろう、と思った。
その上、こうして川田が頼ってきているような感じだったから、これから鷹彦の死によって起こるはずの、世間的な諸事万端の世話をしてやらねばならないだろう、と考えた。
安曇では、近隣だけではなく、村中の冠婚葬祭の世話をするのが、内藤家の仕来りになっていたのだから、父祖や父から言いつけられて走った経験で、龍一にとってはそう考えるのが普通のことになっていたのだ。
「いや、なんにも。枕元に、この本だけがありましたけん、持って上がったのですが、こちらの娘さんに、手紙を書いておることも存じませんでしたけん」
川田は、鷹彦の死を病気による自然死であって、自殺などとは思っていない様子だった。
「亡くなられたのは、朝方でしょう」
「そうだと思います。俺が寝るときには、まだ起きていましたけん」
 ああ、やはり自殺に違いない。夜明けに、みずからの命を絶つものは、生まれ変わることを拒むからだ。
龍一はそう考え、そのほうがいい、と心のなかで独断した。
「それで、あなた、もう熊野のほうには報せてきたんでしょうな」
こんな調子だと、ひょっとすると、まだ熊野のほうに行かずに、こちらに先に来たのではないだろうか、と思った龍一が訊ねてみると、案の定、
「いや、まだ」
 と、川田はまったく魯鈍だった。
龍一にそれを確かめられても、ああ、そうだった、と慌てるふうでもなく、ぼそっ、とそこに立ったままだから、まだこちらに用があるのかと思ったが、こちらへの用よりも、熊野に報せるのが先だろうと判断して、
「あなたね、甥御さんが亡くなられたんだから、こちらに本など届けるのは後にして、先に熊野に報せなければ」
と忠告してやる。
忠告しながら、川田の、考えられないほどの愚鈍さに呆れる思いをする。いや、この異常なほどの愚昧さは、ひょっとすると、甥の急死に動転して、まごついているのかもしれない、と龍一は思って、同情し、いっそう力を貸してやらなければならないと決心する。
「さあ、川田さん、熊野のところに行きましょう、儂もいっしょに行きますから」
龍一は、チヨに声を掛けておいて、川田を促す。
さあ、と龍一が川田の躰に手を掛けて押し出さなければ、いつまででもそこに立っていそうなほど鈍重に見えただけではなく、川田の背を押した龍一の手に、牛の尻を押したような、ずしりとした抵抗感があったから、どこまで牛のような頑固さと愚鈍さを持った男なんだろうと、あらためて呆れる。
龍一に背を押されて、仕方なくといった恰好で梯子段を降りてゆく川田の、躰の重さに苦痛を覚えるように、踏み板が軋んだ。
龍一と川田が、まだすっかり明けきらない朝靄に紛れ込むのを見届けて、柳子は寝室に戻ろうとして、炊事場を通り抜けるとき、母がふたたび炊事場の竈のまえに、しゃがみこむ姿が暗鬱に見え、鷹彦の死が、そんなにも母を動揺させ、悲しませるほどの愛惜があったのか、と思って、ゆえ知らぬ嫉妬が湧いた。
チヨが、火かきにしている長い火箸が、彼女の鳴咽を伝えるように、震えていた。
柳子は、鷹彦のために泣く母の背を、複雑な気持ちで見たあと、声を掛けずに、ベッドに横たわって、カンテラの灯を大きくする。
鷹彦が書き残した言葉の数々の重さが、手の平にずっしりと応えてくる感じがして、柳子は、封書を開くのが恐かった。胸がどきどきした。少し指先が震えた。
「親愛なる柳ちゃんに」という書き出しの文
字を見て、柳子は、女のように繊細に流れるきれいな文字だと思ったが、鉛筆のあとが消えるように力のない字だったから、カンテラの灯に、手紙をさらに近づけなければならなかった。
「ぼくの死は、自殺ではない。あくまで病死だ。肺が冒され、その病原菌が白蟻のように全身を食い滅ぼしてしまったのだ。そのために精神までぼろぼろになってしまった。負けたくなかった。死ぬことによって、永遠なる勝利たらしめたかった。だから養生はしなかった。その点で言えば自殺ということになるかもしれない。
最期まで思想的転向はしなかったことに自己満足している。
ぼくは、ぼくの生命の火が、もう燃え尽きようとしていることを痛切に感じるから、柳ちゃんにだけ書き残したかった。だからこれは覚悟の遺言のようだけれど、絶対に自死ではない」
柳子は、鷹彦のナルシシズムに満ちた文面を、そこまで読んで、ああ、鷹彦さんは自殺を否定しているけれど、否定すればするほど、自殺したのだ、と確信を持たせるような文面だった。
「そんなことに関係なく、ぼくが自死をもっとも美しい死に方だと思っていることに変わりはない。しかし、自死にも、その方法によって、事故死のように無惨な醜悪なものになるから、いま苦痛もなく、蝋燭の火が消えるように、ぼくがこうして静かな心境で眠るように死ねることに、ある種の安心を得ている」
鷹彦さんが、どうしてこうも死に方の美醜に拘るのか、柳子には理解できなかった。いつも毅然とした姿で立っていたのも、他人の眼を気にしていたからではなかったのだろうか。もしもそうなら、あの人はすごく見栄っ張りだったのだろう。でも、いくらなんでも、死んだあとの自分の姿まで気にするのは、よほど神経質すぎることだろう。
「人間の寿命には、それぞれ長短があって、短い人は急いですることをしてしまうし、長い人はゆっくりと一生のことをするらしいから、寿命の長短はどうということもないのだけれど、ぼくはあまりにも仕残したことが多すぎたようだった。柳ちゃんには言わなかったが、ぼくは郷里の山口で、朝鮮や支那から逃げてくる左翼思想者を官憲の目から匿うのを任務としていたから、柳ちゃんのお父さんが、ぼくのことをアカだと言ったのも、あながち間違ってはいなかったのだ。しかし、鬼か悪魔か病原菌かのように見られるのは悲しかった。いっそ肺病だから近づくなと言われたほうが、納得できただろう。学生時代から肺浸潤で、徴兵検査も逃れたのだから。
なにはともあれ、柳ちゃんへの思いは純粋だった。美しい愛を完全たらしめるために心を注いで、柳ちゃんとのあいだに醜い感情を差し挟むのを極力避けるために努力した」
鷹彦さんはこういうけれど、ほんとうにそうだったのかしら、と柳子の心のなかに小さいけれど疑問符が残るのは、彼が熱い息を吐き掛けるほど接近したとき、獣の臭いを嗅いだことがあったからだった。
彼がその動物的な欲望を、観念的なことばで隠蔽せず、積極的な行動に出てくれたほうが、わたしは鷹彦さんを人間としてもっと親しめたのではなかっただろうか、と柳子が思ったのは、つい最近、ペドロとキスして得た人間性と照らし合わせたからだった。
積極的な態度に出たペドロのほうが高貴さを崩さず、消極的だった鷹彦のほうが低俗な賤しさを感じさせたのだから。
「恋していながら、その純潔を保ち、その秘密を胸に包んだまま死ぬものは、殉教者の死を遂げるものである。とすでに古いアラブの伝承としてプラトニック・ラブは称えられている。恋するということは、古来から狂気することだから、医者が調合する薬では治せないという考え方は世界共通のようだ。そういう意味で、ぼくがいま自分自身の死とともに柳ちゃんとのプラトニック・ラブをより完全なかたちのまま永遠たらしめ得たことを最高の悦びだと思っている。ぼくは、ぼくの短い人生の最終地点で柳ちゃんと巡り会え、そして気持ちを通じ合え、愛することを得たのだから、幸せなまま死ねて、後悔はない。
精神的には負けたと思っていないけれど、肉体的に負けたことは認めなければならない
だろう。いくら自分自身が鞭打っても、とうとう起き上がれなくなったのだから。
見てみなはれ、わてが言うた通りだっしゃろ、青白い文学青年なんか、なんの役にも立てしまへんで、と小森タツさんが、秋子さんに嗤いながら言うているのが、ぼくには聴こえてきます」
ええっ、と柳子はびっくりする。わたしは鷹彦さんに、タツおばさんが秋子さんに言ったことなど告げ口しなかったのに、誰の口から耳に届いたのだろうか、いくら熊野が放送局だといっても、恋敵だと思っている当の相手に直かには言いにくいことだから、どこかからか、回りまわって鷹彦さんの耳に届いたのに違いない。柳子は手紙から視線をそらして、宙に浮かべる。可哀相にそんなことまで気にしながら死んだなんて。でも、大阪弁を口移しのように書いているのだから、案外おもしろがっていたのかもしれない、と柳子は思って安堵する。
「ぼくも、ベッドの上で死ぬことには口惜しい思いをしている。冗談にもコーヒーの実を?ぐためにブラジルに来たんだと言ったてまえ、畑のなかでエンシャーダを振り下ろし、土にその刃を食い込ませたまま血を吐いて絶命したかった。
小森氏のように、コーヒーの実を頭から被りながら死にたかった。叔父に薬代の借財を残して死ぬのは心残りだったから、ぼくの死は一日でも早いほうがよかったのだ」
鷹彦さんは、気の小さい人だったんだなあ、と思わないわけにはいかなかった。わたしとのプラトニック・ラブを完璧にして死ねたと悦んでいながら、いろいろ心を残していることがあって、これでは、あの世に行くために、三途の川を心置きなく渡れないのではないだろうか、川の真中でいつまでも中途半端な気持ちのまま、立ち往生し、霊界をさ迷うのではないのだろうか。そんなことなら、死なずにおればよかったのに、と柳子は思ってしまう。
たとえ鷹彦さんが冗談のように、小森のおじさんやおばさんのことに触れていても、相手の心情などに頓着しないタツおばさんは、ほれ見たことか、と嗤うだろう。それを思うと柳子は、自分のことのように口惜しかった。どうしていまなの、いま死ななければならなかったの。もう少し頑張れば、ここから出ていけて、ばらばらになってしまうのだから、タツおばさんから嗤われなくなるのに、と見栄っ張りの鷹彦を詰りたい気持ちになる。
そんな柳子の歯ぎしりしたい思いなど知らない鷹彦は、それこそ現在の生活にはなんの役にも立たないような、遠い日本の政府や軍部に対する拘りを書きつづけている。
彼に言わすと、世界じゅうの動静は、すべて個人生活に影響してくるらしいから、無視できないことなのだろうけれど。
「ゼツリオが日本語学校を閉鎖させるような暴挙に出たことは、日本文化の破壊を企てたのだと考えざるを得ないほどのショックを、ぼくに与えた。なぜなら、ブラジルは人種の坩堝だといわれるほど各国からきた移民で構成されている国なのだから。外国語というのなら、インジオ語を除いたすべての言語が外国語なんだ。インジオが先住人なのだから。ポルトガル語を国語にしているとはいっても、各々のコロニアではポルトガル語と併行して、母国語の教育もすることによって、母国の文化を継承するという高度な教育方針を建てているのだから、ブラジル政府の考え方は浅すぎるのだ。世界各国の文化を掌の上にしていることは、取りも直さず混成民族社会の大きな利益であり、将来のためには大きな貢献をしていることになるのだから、慶ばなければならないはずなんだ。人殺しを職業とする軍人というのは、どこの国でも野蛮なだけで、文化レベルは低俗だから、ゼツリオも、混合文化のすばらしさがわからず、それに歯止めをかけるような愚挙に出たのだろう。
 新国家体制による中央集権制は、近代化を推進するためには適切な処置には違いないけれど、それとともに国粋主義政策をも徹底させることになり、外国移民にとっては、うれしくない元首なのだ。
 排日政策については、いまはじまったことではなく、うんと旧くて、一九〇一年にオーストラリアが白豪主義によって日本移民を制限しているし、一九二四年にアメリカでジョンソン法という排日移民法によって日本移民をほとんど禁止している。「日本人の入国は将来のアメリカ国民の構成分子として好ましくない」というのが、その理由だけれど、実際にはテキサス州やカリフォルニア州の移住地で日本移民が目覚しい成績を上げていて、国家には貢献しているのだが、アメリカ農民の生活を脅かしているという現実的なものと感情的なものがミックスされた排日思想からなんだ。
 ヒューマニズムには定型がない。つねに変形するものなんだ。ということはヒューマニズムは完全な真理ではないということだ。往々にしてエゴイズムに変形してゆく運命を持っている。異人種に対する本能的な違和感とか不信感は人間の直感であって、理性で克服できるものではないんだ。
 ブラジルの排日思想も、同じ轍を踏んでいるということだよ。
 ドイツでも国民の意志統一と戦意高揚を図る緊急手段としてヒトラーは、目前の闘争目標としてユダヤ人をドイツ民族の敵に仕立て上げ、ユダヤ人に対する憎悪を宣伝したんだ。日本人を槍玉に挙げる一部のブラジル人にも、ブラジル民族という夢の民族をつくるために、日本人への憎悪を煽る必要があったのだろう。
もう一つ、ぼくに絶望感を抱かせたのは、大東亜共栄圏の建設という美名の下に、アジア全土を日本の勢力圏に収めようという軍人たちの野望だ。日本の国民は、その内実を知らないから拍手喝采を送っているが、ブラジルの新聞では、日本の暴挙をしばしば取り上
げ、日本軍の侵略行為だと非難している。アジアだけではない、ブラジルにも日本人の魔手が伸びてきていて、日本政府は移民の名を借りて国民を送り込み、殖民し、日本精神を伝播するという、侵略を企てているのだ、などと本気で考えている新聞人がいるほど、外国では神経を尖らせているのだから、ゼツリオの日本語学校の閉鎖も、そういう考え方が根本にあるのではないだろうか。なにしろ日本人のほとんどのものは、日本の天皇を神とする神懸かり的な軍国教育によって、世界制覇を八紘一宇の正義だと思い込まされ、天皇教の狂信者にされているのだから、外国政府にとっては脅威的存在なのも事実なんだ。それはぼくがブラジルに来て、ブラジルの新聞を読むようになり、とくに感じるようになったことの一つだ。狭い日本のなかにいては見えなかったものが、ブラジルに来て見えたということにおいては、ブラジルに来た意味があったといえるだろう。
ゼツリオには、もうひとつ懼れていることがある。共産主義思想だ。だから柳ちゃん、日本人たちもアカといって、意味も知らずに毛嫌いしている左翼思想は、ブラジルでも御法度なんだから、ぼくが柳ちゃんに向かって吐いた言葉の数々は、ぼくが埋められる遺体とともに土に埋めてください。この手紙も焼却してください。ああ、そうだ、きみのところにある左翼的と思われるぼくの本も、すべて焼却してください。こんごブラジルでも左翼思想の取り締まりはいっそう厳しくなるだろうから。
柳ちゃんは、左右どちら側の固定観念に捉われてはいけません。無難に中道をゆくという卑怯な生き方をして欲しいというのでもありません。ジャーナリストは社会の木鐸として公明正大な判断で、すべての事象を捉え、人間をまっすぐな道に導かねばならないと思うからです。人間が自らの思想を固執して、他の意見を入れないばかりか、排斥する独善は愚かなことだと思います。ぼくは日本の個人の意思を認めない全体主義的な社会風潮を好みません。日本と比べると、ブラジルにはまだまだ自由があります。ゼツリオの独裁政権もそう長くは続かないだろうと思います。なぜなら、ブラジル人の国民性として束縛されることを嫌うからです。ブラジルでは、日本人がかつて経験したことのない、そして今後も日本人の思想として取り入れることのできない、ほんとうのデモクラシーが育つだろうと思います。ぼくはその日まで生きておれないことだけが残念です。柳ちゃんは、きっとその日が来るまで生き延びるでしょう。生き延びる原動力である性格の強さを持っているからです。
ぼくは矛盾だらけの男でした。柳ちゃんにはきれいごとばかり言ってきましたが、ぼくの心は穢ないもので埋まっていました。しかし、柳ちゃんを愛したことに不純はなかったことを誓います。どうぞ柳ちゃん、これから先も、きみの純粋さを失わないで生きてください。
さようなら、とは言わないよ。永遠なるものに向かって、ぼくは、ぼくの霊は、柳ちゃんとともに歩みつづけるはずだから。
最期に、ぼくの現在の心境を如実に表現してくれているような、山川登美子の短歌を借用して、自らの死に手向けの花を添えたい。
わが柩まもる人なく行く野辺の
さびしさ見えつ霞たなびく
川田鷹彦」
柳子は読み終わって、しばらく反芻するかのように、カンテラの灯のゆれるのに見入っていた。長い文章だとは思わなかった。むしろ物足らなさを感じたくらいだった。もっとたくさんの言葉を連ねてほしいと思った。理論家で博学な鷹彦さんなのだから、もっと広い範囲に亘って書き並べて欲しかった。二日でも三日でも読みつづけられるほどの、いや一冊の本になるほどの。
そういえば、鷹彦さんとの交際が、まだずっと続いてゆくように考えていて、いっしょにいるだけで黙っていても心が通じ、互いを理解し合えるような錯覚があったために、迂闊に時間をすごしたと思う。どうしてもっとたくさん話し合わなかったのだろう、と悔やまれた。
いま柳子ははじめて、死というものを考え、鷹彦さんだけを早く死なせるなんて、なんと理不尽で不公平なことなんだろう、不合理なことなんだろうとも思う。
そして急に襲いかかる死が不可避なものなのを知って、これが運命というものなら、わたしは運命を憎む。どうして鷹彦さんひとりをこんな目に合わせるんだろう、愛し合ったものを無惨に引き裂くのだろう、と。
柳子が、ひしひしと孤独感を覚えたのも、はじめてのことだった。
あっ、と気づいたことがあった。秋子と酒を飲んで、酔って歩いて、秋子が口三味線を弾きながら浄瑠璃の心中ものを真似たときのことを。
男女が心中するのは、死ぬときもいっしょにと思うからなのだ。どんなに愛し合っていても、死ぬときは独りだ、ということを否定したいためだろう、と柳子はわかったような気がした。
互いに解り合える人なんて、滅多に居ないのだから、もっと時間を大切にしなければいけなかったのだ。ペドロとキスしたあとで、鷹彦さんとペドロを比べたりして、私はなんというバカだったんだろう。まったく次元の違うところで交際していたのに、と思って後悔した。
そして、神を怨んだ。キリスト教会にまで足を運びはじめた鷹彦さんを、神は救えなかったではないか。どうして鷹彦さんを見捨てるのか。天国に召されたのだ、などと詭弁を弄して、責任逃れをするのは卑怯だ、と柳子は考える。
鷹彦を宗教的に迷わせた須磨子への、嫉妬だとは思わなかったけれど、鷹彦を誘った須磨子を詰りたかった。
どうして教会に行く足を、病院のほうに向けさせなかったのか、と。
もう死んでしまっている鷹彦に、いまさら言ってもしようがないとは思わなかった。
叔父に薬代を負担させるのを心配した鷹彦が、病院に行ったとしても、もう手後れだから、これ以上の負担を掛けたくないと考えたことを、柳子は知らなかったし、死ぬものが経済的なことにまで気を遣うなどと想像できなかった。
柳子は、チヨのように、密かな涙はこぼさない。あくまで死に対して挑戦的だった。死を納得できなかったから、予告もなしに死が訪れるなど、どう考えても理不尽だと思う。
鷹彦さんは、この手紙も本も焼き捨てるようにと言ったけれど、わたしはそうしない。たくさん左翼的な雑誌なども貸してもらっているけれど、もし危険だと思えば油紙にでも包んで土に埋め、不条理の嵐が通り過ぎるまで待てばいい。とくにこの「絶望の逃走」と「無限抱擁」の二冊は、彼が形見に遺して逝ったものなのだから、ずっと持ちつづけるつもりだった。死の理不尽さを忘れないためにも。
「鷹彦さん」
柳子は声に出して、鷹彦に呼びかける。
もしもほんとうに、人の霊が存在するものならば、きっと鷹彦さんの霊は、まだこの辺りを浮遊しているはずだから、と思って。
すると、ぼうと鷹彦の姿が壁の辺りに立ったので、柳子はぎくりとしたが、見開いたまま閉じられなくなった眼に映るのは、ああ、これが霊というものらしい、と納得させられるだけのもので、ぼんやりした輪郭のない、強くもない、白い光のようなもので、恐怖心を抱かせるわけではなかった。
鷹彦の全身は、透明感と光沢のある、薄い青白い膜で覆われていて、その輪郭を白い光で取り巻いて、現実のものではないとわかっていながら、幻覚だとも思えなかった。
ああ、どこかでこれに似たものを視た。どこだっただろう。しばらく考える間もなくすぐに浮かんできたのは、安曇の家に帰ったときに視た蚕小屋での様子だった。
もう蚕が繭をつくるようになっている寸前の変容だった。それまで白く不透明だったものが、だんだん透明になってきて、それを蔟に移すと繭を紡ぎ、みずからの躰を外界から遮断してしまうのだ。そして頑なに蛹に変身してゆくのだ。
鷹彦さんの霊は、あれに似ている、と柳子は惟った。躰から魂が抜けたばかりの蚕のようだ、と。
しかし鷹彦さんは、蚕と違って、まだ呼び戻せるのではないのだろうか。誰に教わったわけでもないのに、そう思った。
「鷹彦さん」
柳子が呼ぶと、反応があった。
「死んで永遠なものになるなんて、わたしは嫌です。たとえ無限ではなくても生き返って、もう少しわたしとの時間を保ってほしいです。死なないでください、鷹彦さん。わたしをひとりにしないで。たったひとりの話し相手が居なくなったら困るもの。どんなに美しい自殺でも、死ぬのは卑怯だと思います」
柳子がそう言うと、鷹彦の霊が苦笑したように視えた。
鷹彦は、決して自死ではないといっているけれど、彼がわざわざそれを強調すると、かえって柳子は自殺だったのだろうと思ってしまう。そのくせ彼は、死にきれなくて、さ迷っているのではないのだろうか、こうしてわたしが呼ぶとすぐ、出てくるのだから。
死ねばすべてのことが御破算になると思うのはまちがいだ、と柳子は思う。生きているあいだにしたことは、した本人が死んでも現実社会に残るはずだ、と。
だからそれを清算せずに死ぬのは、卑怯な行為だと思う。
人間が死ぬことについて、柳子自身がはっきりわかっていたわけではなかったが、鷹彦があっさり死ねるのは、わたしに彼を引き止めておくだけの魅力がなかったからではないのだろうか、と考えたのだ。
彼女の勝ち気な性格が、自分自身の誇りを傷つけられたようにも感じたからだった。
しかし、それも決して、彼女を落胆させるものではなかった。
「わたし、もっともっと教養を高めて、鷹彦さんと対等に話ができるように努力するから、生き返ってほしい」
柳子が、神聖なものに誓うように手を挙げると、鷹彦の霊は、少し微笑んで消えてしまった。ああ、まだ言いたいことがいっぱいあるのに、と柳子が思っても、鷹彦の霊はもう再び現れなかった。
やっぱり完全に死んでしまったんだなあ、と柳子は納得するしかなかった。
そして、ふと、いま夢から醒めた感じがしたが、鷹彦の死を機会にして、ほんとうにもっと教養を積んで、人間的に魅力の在る存在にならなければならない、と勁く決心する。
鷹彦さんは、ほんとうにわたしのことを思っていてくれたのだろう、彼自身の死によって、わたしに精神を厳しく持たなければならないことを教えてくれたのだから。
そうだ、女は本来受身なのだからと思って、男の積極さを待つだけではいけなかったのだ。もっとこちらから積極的に働きかけてもよかったのだ。自分自身の感情に正直に。発作的だったけれど、ペドロにキスして行ったように、鷹彦さんにも積極的に、そして勁く、キスしていけばよかった、と思う。
もう過ぎたことを考えてもしようがない。鷹彦さんは、永久にわたしの傍から離れないと言っているのだし、わたしが呼ぶと、すぐ姿を顕わすのだから、生きているのと変わらない。これからずっと、鷹彦さんはわたしの力になってくれるだろう。
父は、わたしが鷹彦さんと交際するとアカになると思って嫌ったけれど、とうとう鷹彦さんは、生きていては思いを達成できないと思って、死んでわたしに取り憑いたのだから、お父さんがやれやれと安心するのはおかしいんだ。これで双方の意思が結実されたことになるのだから。
柳子は、鷹彦の死を悲しむことはなかった。寂しいと思ったが、永遠に愛しつづけてくれるというのだから、死をそういうふうに解釈すれば、生きているときよりも、いっそう激しく、勁く、濃く、生きているものに影響できるのだとわかった。
もしもそうならば、鷹彦さん、あなたが見誤っていた秋子さんにも影響してやってください。彼女の肉体は娼婦型でも、精神は文学的なんですよ。短歌や俳句を作ったと言うし、近松の文学を理解してるんですよ。わたしもそこまで彼女を理解しないで鷹彦さんに取り持つようなことをしたけれど、彼女が隠している教養は、鷹彦さんと同じレベルで話のできるほどのものだとわかったんです。わかるのが遅すぎたけれど。
もちろんそう考えるのは、常識人には理解できない、常識的には逸脱した、気性の激しい柳子だったからだろうけれど、人情の機微をわきまえるほどに成長してきていたからでもあっただろう。
 そして無限にとも思えるほど広大なブラジルの大地を感じながら立っていたからでもあっただろう。これが東京の煩雑さのなかにいたならば、知り得なかったものだったかもしれない、と惟った。
 朝はすっかり明けていた。外気の爽やかさが小屋のなかまで流れ込んできていた。
 柳子は急いで鷹彦の手紙を折り畳み、封筒に捻じ込むようにして入れ、枕の下に差し込んで、外へ飛び出すために、寝巻きを、いつもの白いシャツと黒いズボンに着替えた。
「花の碑」 第九巻 第四六章 了
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