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南米漂流
     ブラジル漂流記 (Draft in Br...  (最終更新日 : 2017/07/20)
レシフェの女 woman of Recife [画像を表示]

レシフェの女 woman of Recife (2006/05/31)
レシフェの女

 


レシフェ行きのバスの中で偶然知り合った女性アナ、のこのこと身も知らずの彼女について行ったはいいが・・・・・。


paranagua.gif

アナは気性の激しいペルナンブッカーナ(ペルナンブッカーナ州の人々の呼称)であった。激情にかられると何をするかわからないような女だった。
 一瞬ベッドの上にあるカメラに目が入った。「まずい」脳裡に稲妻のような信号が瞬間駆け抜ける。彼女の手が伸びカメラを掴む様子が、ゆっくりスローモーションのように見えた。一度彼女の頭上にもちあげられたカメラは壁に向けて投げつけられた。黒い一眼レフはカラスが羽を翻すように、2、3度空中で回転し、レンズから赤いレンガがむき出しの壁に衝突し、ゴッツンと鈍い音をたてた。急激にエネルギー消失した黒い物体はそのままコンクリートの床に落ちると一度ごろりと回転し、やっとその動きを止めた。
 ちょっとした2人の間のいざこざが、どんどん膨らんでいき、極限まで達した。そして今破裂した。それがこの結果だった。

 とにかく北のギラギラした太陽と泥臭い人々の、熱い生活に接したい。それが今回の旅のきっかけであった。
 まずレシフェまで行き、それから徐々にサンパウロに向けて下り、金の無くなった時点で帰ろう、と考えていた。ロードビアリア(バスターミナル)に着くと、つい先日まで100レアル(約5000円)だったバス代が140レアル(約7000円)に値上がりしていた。運賃だけで約150ドル、これはかなりいたい出費である。あと1万円、いや5000円分、余分にもってくればよかった・・・・・。もっとも預金はスッカラカンであるが・・・・。そんなことを考えながら、レシフェ行きの一番安いバス会社を探しているとサンジェラウド・バス会社に10時出発の便があった。それに飛び乗る。
 サンパウロ~レシフェ間約44時間。とにかくうんざりするほど長い。バスは走黷ヌも走れども、行けども行けども、レシフェの町はまだまだ遠い。
 座席は半分ほどしか埋まっていなかった。みんなこの長いバス旅行きるだけ居心地よく旅をできるように、枕、毛布など、しっかりと用意してきている。
 前の席はアフリカ系の20歳ほどの大柄な女性。既に斜め前に座っている男性がちょっかいをかけ始めている。横は、生後9ヶ月の赤ちゃんを連れた夫婦。そして後ろは眉毛がきりりとしまり、細面でなかなかかわいい20歳ほどの女性。
 挨拶代わりに後ろの女性に二言三言声をかけると、彼女も何もすることのないバス旅行にうんざりしていたのか、空いている僕の横の席にさっと身体をすべりこましてきた。
「シネース(中国人)?」
「ノン、ジャポネース(いや、日本人だよ)」
彼女の名はアナ。
サンパウロから2年ぶりに実家のあるレシフェに帰る途中である。よく喋る女性で、次から次へと話題を変えて喋りまくる。
「レシフェは本当にいいところよ。海はきれいだし、果物はたくさんあるし、カジューにマンガに・・・・。うちにはたくさん果物の樹があるのよ。家もわりに大きいからうちにこない」
 持ち金のことが頭に浮かんだ。ホテルに泊まって食事代のことなどを考える。最低でもホテル代は1000円、食費代及び交通費750円。1日1750円から2000円はかかる計算である。彼女の家に行けば、お礼をあげるとしてももっと安くすむし、ブラジルの田舎の家庭を見るいい機会である。この申し出は僕にとって非常に魅力的なものであった。しかし、この長い旅行中に彼女の考えも変わるかもしれない。それに、もっとよく彼女のことを知る必要がある。付いていって、気がつくと身包みはがされていたなんてことにもありえる。そう考えて今は返事をうやむやにして、バスを降りる間際に返事をすることにした。
 ブラジルの長距離バスは3時間に一回休憩所に止まることになっている。食事時の休憩は約30分、その他は約15分。その間に人々は便所に行ったり、買い物をしたり、シャワーを浴びたりする。時間が来ると運転手がクラクションを鳴らしてしらせてくれることになっている。
どこの休憩所のレストランもまずくて高い。500円以上はする。僕のバスに乗っているほとんどの人々は軽食や果物、ビスケットを食べる程度でレストランは使用しない。最低給与が今は350レアル(17000円ほど)に上がったが、大多数の人々はカードローンの支払いにヒイヒイ行っている状態であるから無駄遣いをする人はほとんどいない。もっとも僕の乗ったバスはコンベンショナルと呼ばれる一番安いバスだから、当然乗客も貧乏な人が多い。横の夫婦連れは鶏肉や米、ファリーニャ(マンジョッカ芋の粉)が入った大きなタッパーをいくつも持ってきていて、食事はすべてそれで済ましていた。
たいてい休憩所にはシャワーがあるが無料の所と有料の所があり、料金も場所によって随分と違う。エスピリサントス州の休憩所でアナはシャワーを浴びるためにバスタオルやシャンプーを用意して、バスが着くや一直線にシャワー室兼便所に走って行った。5分後彼女はプンプンしながら出てきた。
「ひどいのよ、ここでは3レアルも取るのよ。ドロボー!!!! バス代が高いんだから、有料なんておかしいわ」
夕方、前の席でアフリカ系の女性が小さな声でポピュラーソングを歌い始めた。どれもリズム感があり明るい曲である。あっているのか、ないのかわからないような音程で独り言をつぶやくように、エンドレステープのごとくいつ終わるでもなく続く。他の人の歌や話し声は耳障りでしょうがないのに、不思議に彼女の歌声は気にかからない。明るい歌を歌っているにもかかわらず、彼女の歌には寂しさが漂っていた。サンパウロでも哀しいことや辛いことがあると、一人ベッドで同じように歌っているのだろうか。歌が途切れたのでふと前を見ると、大きな枕を抱いて斜め前の男性の隣の席に移っていくところであった。薄いポリエステルの白いホットパンツから透けて見える彼女の肉欲的で大きな黒いお尻が目に焼きついてなかなか離れなかった。
この狭い密室の中に丸二日もいると、お客同士が顔見知りになり、まるで随分前からのお隣さんという感じになる。気がつくとほとんどの乗客と話をするようになり、あだ名がついた。夫婦者の旦那はパライーバ出身ということからパライーバ、アフリカ系女性の相手の男性は、白人系でドイツ人に似ていることからアレマン(ドイツ人)、そして僕はジャポネス。何故か女性は名前で呼ばれている。
サボテンやぺんぺん草、潅木が生える草原状のサバナ地帯からバナナやサトウキビ畑地帯に入る。人が住む風景が近づくに連れバスの中の人々はペルナンブーコ、レシフェ、レシフェと叫びながら騒ぎはじめた。
ここにいる人々は、どう見ても裕福そうに見えない。おそらくサンパウロでの裕福な生活に憧れて飛び出すようにレシフェから出てきた人がほとんどだろう。レシフェには、もう自分の居場所がないとわかっているのに、それでも故郷に帰って来ると心が騒ぐ。なんとなく解るような気がする。彼らにとってレシフェは故郷であり、最後のよりどころなのだ。
46時間後やっとレシフェについた。

バスを降りると、先に降りたアナが待っていて、
「私の家に行きましょう」とうむを言わせない態度でどんどん僕の手を引いて出口にいく。
彼女を待ち受けていたのは、がっしりした感じの、なかなかのハンサム男。バスの中での彼女の話から察すると、カラテマンの兄に違いない。そして、彼女の姉らしき女性とインディオ風の小太りの男、どうやら姉のナモラード(恋人)のボリビア人のようだ。
ポカンとしていると
「私のナモラードよ」
と僕のことを紹介した。一瞬兄のカラテマンの顔が強張った。彼らの顔を見ているといまさらナモラードではないといえない。モゴモゴと口ごもっている間に紹介は終わってしまった。何事も流れである。この流れに乗ることに決めた。
メトロに乗り、セントロに向かう。さらにバスに乗り換える。窓の外は先ほどまでのビルディングや教会などの大きな建物が次第に少なくなり、バラック立ての家が増えていく。
「アナ、君の家はセントロだったんじゃないの」
「セントロに住んでいたのは、私が15歳の頃よ。今は町のはずれに住んでいるのよ」
なんとなく不安になっていく。バスの乗り換えのために停留所でバスを待つ。暗い影のあるサルサ風の情熱的な音楽がガンガンと流れる中、すぐ目の前をタンパン姿の、はだしの男がガスボンベを頭の上に載せて歩いている。鶏が餌を探しながら歩いている。そして人々の間を痩せた犬が尻尾を丸めてこそこそと徘徊している。当然、東洋人なんかいるわけもなく、みんな物珍しげに僕を見ていく。まったくえらい所にきたものである。
そして泥道をバスに揺られて20分、やっと彼女の家に着いた。

確かに彼女の家は大きかった。居間に5つの寝室。そして庭にはさまざまな果樹があった。しかし、僕の考えていたものとは大きくかけ離れていた。
家に入るなり、カラテマンが
「貧乏でびっくりしたでしょう」と恥ずかしそうに声をかけてきた。
一般にブラジルの家は外側は汚くても中はびっくりするほど綺麗である。しかしこの家は外観も中も同じであった。居間の床は土、やっと映っているような年代ものの白黒テレビ、半分傾きいつ壊れてもおかしくない棚、破れたところにさらに布を張った長いす。ヘラヘラ笑いながらそんなことはないよ、としかいえなかった。
アナの家族は、母親、カラテマンの兄、姉夫婦と9ヶ月の赤ん坊、出迎えてくれた次女とナモラードのボリビア人、そしてまだ小さい女の子二人に男の子一人の10人家族であった。
子ども達が興味津々で、恥ずかしそうに笑いながらそろりそろりと居間に入って来た。彼らに顔を向けると、にっーと笑う。どの子供も驚くほど目が澄んでいる。肌の黒い女の子がモニカ、白い子がルシアナ、そして半黒の男の子がジョアン。アナとはあまりにも年齢がかけ離れ、肌の色が違うことから、初めは近所の子ども達だと思っていた。
「パパイは私が15歳の時に殺されちゃったの。小さな子供たちはパパイが他の女との間につくった子ども達なの」
とアナがあっけらかんと話してくれた。
ママイは長い貧乏生活にもかかわらず、品のあるゆったりした雰囲気の女性でだった。いつもにこにこと笑顔を絶やさない。ただでさえ苦しい生活なのに自分の子供でもない、それも夫が他の女に産ませた子供の面倒までみるなんてまるでマリア様のような優しい女性なのだ。ママイの偉大さをしっているから、この家の者はみんな彼女のいうことだけは素直に聞いた。いつもは気の強いアナでさえもママイには甘えっぱなしで口答えすることさえもしなかった。この複雑な家庭も彼女がいるからこそ成り立っているといえる。
兄のカラテマンのルイスは26歳、無職、空手は緑色の腕前。自分でいうには「本当は黒帯の実力があるのだが、お金がないので昇段試験を受けれないのだ」と僕に説明してくれた。空手の型を見せてくれたが、どこかぎこちなかった。僕がこの家にいる間一度も腕立て伏せや蹴りの練習を見たことがなかったので真の実力は???である。しかし上半身は見事にビルドアップされ、強そうには見えた。彼は近所の子ども達に1ヶ月10レアルで8人に教えている。手に入れる80レアルのうち50レアルは家にいれているそうであるからから彼の1ヶ月の小遣いはわずか30レアル。そのお金で彼は毎晩パケーラ(ナンパ)に出かけるのだから大したものである。

ないないずくしの生活が始まった。
一番困ったのが便所である。離れに便所らしきものがあるのだが、まだ建設中である。どうしようもなくなって、どうやって用を足すのかアナに尋ねると、洗面器にスーパーの白い袋を覆って持ってきた。
「この上でやって、終わったら呼んで。肥溜めまで持っていって捨ててあげるから」
日本ではしょっちゅう山に登っていたから、外でするのはさほど気にならなかったが、自分の大便を人に見られるのはやはり耐えられない。アナが捨ててくるというのを断ってバナナの木下に掘った直径30センチほどの穴に自分で捨てた。神経質になったのかそれから2日間大便が出なかった。
「今週中にはできる予定よ。じつわね、前にルイスがナモラーダを家に連れてきたことがあったの。彼女が便所に行きたくなって、ルイスに何処に便所があるの、って聞いたんでルイスはあの木の後ろを指したのよ。彼女はあきれて帰っちゃった。それから、ルイスは頑張ってこの便所を造ったのよ」
アハハハとアナは笑いながら話してくれた。男の僕でさえ躊躇するのに、女ならましてやである。
朝起きると、ルイスが井戸から水を汲み出し、台所の出口のすぐそばに置いているドラム缶に溜めていた。この水で食器を洗ったり、歯磨きをしたり、洗濯をするのである。そのドラム缶の中を覗き込むと数匹のボウフラが気持ち良さそうにムニュムニュと身体をくねらせていた。さすがに「ハイ、これ」といってドラム缶から汲んだ水の入った缶詰の缶を手渡されたときには、一瞬、コレラや肝炎が大丈夫か心配になった。
家族が多いこともあり、食事はみんなで食べることはなかった。もっともみんな揃って食べられるようなテーブルなんかない。子ども達はめいめいマーガリンのプラスチックの容器にご飯とフェジョン、そしてちょっとした肉などをいれてもらって外で食べたり、居間で食べたりしている。お客さんとしてもてなされた僕はいつもガラスの皿に山盛りの食事を食べさせてもらい、子ども達や他の兄弟に悪くてしょうがなかった。
「こんなに食べられないよ」
「残ったら子供にあげるから心配しないで」
ブラジルではいつも大人が中心で子供は二の次なのである。いつも子供が中心の日本とは根本的に考えが違う。
 一枚の皿に、ご飯、フェジョン、肉、生野菜などを全部一緒にいれて食べるため、食べ終わる頃には小さな肉片や野菜、煮汁などが混じりあいごちゃごちゃになってしまう。犬や猫にあげるというのなら、平気で残せるのだが、さすがに自分の残飯を子供に食べさせる気にはならない。ここでの生活でこれが最も苦痛であった。
食事のメニューはたいてい鶏の煮物にご飯、そしてフェジョン、2,3枚のレタスである。鶏はブロイラーではなく地鶏なので肉がしまっており、噛めば噛むほど味が出てきておいしいものであったが、毎日毎日鶏料理だとさすがに飽きて牛肉や魚が食べたくなってしまった。町に行った際に牛肉を買って来ると、みんなうれしそうな顔をして料理が出てくるのをじっと待っていた。サンパウロではごく普通に食べる牛肉もここではごちそうなのだ。あるときママイが僕のために、魚を買ってくれた。それは、もうすっかり変色し、新鮮という感覚からは程遠いドス黒くなったサバであった。一瞬大丈夫か? という考えが頭を過ぎったがせっかくのママイの好意を裏切るわけにはいかない。
「ありがとう」といってできるだけ嬉しそうな表情を試みた。ママイが心を込めて料理したサバの煮物は僕の悪い期待を裏切り、思っていた以上においしいものであった。
ルイスがちょっと来てみろというので庭の隅にある瓦が山積みされた所に行くと、瓦を一枚一枚めくり始めた。4,5枚めくったところで、ギャアーギャーと動物のわめく声が聞こえる。中を覗くと、瓦の間にオポッサムのような体長40センチほどの動物が真っ赤な口をあけて威嚇している。
「いったいどうするんだい。これ?」
「食べるんだよ。まだ痩せているから、もう少し太ったら食べるつもりだよ。ムイント・ゴストーゾ(おいしいよ)」
と言ってルイスはチャックするように口の前で指を引いた。ブラジル人のおいしいものを表現するときの行為である。この動物は、人家に住み着いて、夜、果物や残飯をあさっているようだ。しかし、檻にもいれないで太るのを待つ方も待つ方だが、逃げないで食べられるまでいる動物も動物である。このどこか抜けているところが十分通用するところがブラジルなのである。
僕はこののんびりした生活がすっかり気に入り、アナと結婚して、小さな雑貨店でもやりながらここで生活しようかなと、結構真剣に考え始めていた。しかし、一見平穏そうに見えるこの家の生活も、一枚の電気金代が届いて一変した。みんなお金がないのである。誰がこの電気代を払うのか? その言い争いで、家庭の中はツンツンとした張り詰めた雰囲気が漂っていた。結局、僕が滞在費として渡したお金でまかなわれたようである。お金は魔物である。あんなにのんびりした暖かい家庭の中も、たった1枚のわずかな電気代で激変させてしまうのだから。真の貧乏の辛さは恵まれた日本で育った僕にはわかっていなかったのである。僕のわずかな所持金なんかあっという間につきてしまうだろう。それにこの付近の人々は500円のものを買うときでも分割払いにするそうである。そんなので商売ができるわけがない。自分の甘い考えが吹き飛んでしまった。

レシフェは16世紀にオランダ人によって作られた商業都市である。その頃にはブラジルでもサルバドールに次ぐ都市であっただけに、いたる所に教会や博物館、大学などの古い建物が残る。そんな中に高層ビルが林立している。
暇を持て余しているルイスにレシフェの案内を頼むと喜んで引き受けてくれた。
セントロでバスを降り立つとオレンジやトウモロコシを売りに数人の子ども達が大声で「ラランジャ、ラランジャ(オレンジ)」などと叫びながら駆け寄ってきた。北ブラジル方面への長距離バスの停留所などでは良く見かける光景であるが、普通の乗り合いバスではサンパウロでは見かけない光景なので驚いた。
路上生活者はサンパウロに比べて非常に少ない。
「レシフェではそんなにお金がかからないからさ。服は年中暖かいから半そでで十分だし、食べ物も家賃もサンパウロほどは高くないからね」とルイスはいう。もっと良い暮らしがしたい、サンパウロに行けばいくらでも仕事があるだろうと期待を膨らましサンパウロに向かう人が多いが実際はそう甘くない。サンパウロでも失業者があふれる状態であるから、田舎からきたろくに学歴もない人々にはほとんど仕事はないといっても過言ではない。
メルカード(市場)や人がごちゃごちゃ集まる所を中心に案内してもらった。僕はこういう所が大好きで、旅に出ると必ずメルカードは行くことにしている。レシファで一番大きいといわれる魚専門のメルカードに連れて行ってもらったのだががっかりしてしまった。11時という時間のせいかもしれないが、売られている魚は少なく、どれも新鮮という言葉からは程遠いものであった。港町だからいろいろな魚が売られ、活気にあふれていると思っていたからだ。売られていたのは1.5メートルほどのマグロ、そして小さなタイやボラなどであった。まだまだ冷凍技術が行き届いていないので魚を食べる人自体少ないのであろう。
魚に比べ、果物は豊富にあった。カジュー、マンゴー、各種バナナ、パンの実、スイカ、メロン、そして北ブラジル独特の名前もしらない果物。これらの果物は露天で売られ、強烈な太陽光線が赤や黄色の原色の果物をいっそう引き立てている。売っているおじさんたちはまったく商売気がなく、ぼーっと佇んでいるだけで、客が来てもこれが欲しいといわない限り、近くにもよってこない。サンパウロのフェイラでは少しでもたくさん売ろうと大声をだして客を呼んでいるのに偉い違いである。
ひたすら歩きに歩き回り、喉の渇きを癒すために飲んだ道端に売っている良く冷えた椰子の実ジュースはびっくりするくらいおいしかった。これいらいすっかり病みつきになりのどが渇くと、椰子のみジュースを飲むようになった。
町の散策をほぼ終えるとルイスがちょっとつきあってくれと言った。彼らの父親は路上でチューインガムやチョコレート、飴などを売って生計をたてていた。今まで気にもかけたことがなかったが、路上の駄菓子屋もこれで結構儲かるのだろう。何しろ、彼らの父親はアパートを持ち、土地を買い、さらには他に女までいたのだから。ルイスは父親の跡をついで路上販売をするために、菓子を仕入れるつもりだったのである。
菓子の卸屋を3軒廻って一番安いところで彼は買うことに決めた。ガイドのお礼に20レアルを渡そうとすると、横に居たアナが烈火のごとく怒り始めた。
「なんでアキはお金を彼に払うの。そんなのおかしいわ。彼は好意でやったんだから。彼にお金を払うんだったら、もう私は2度とアキに会わない」
と言って外に飛び出して行った。そんなアナを無視して僕はルイスにお金を渡した。このくそ熱い中を1日中つきあってくれたのだから当然の報酬である。お金を渡そうとした瞬間ルイスの目が輝いた。しかアナが怒ったことから一瞬にしてその光は消え、戸惑いの表情に変わった。無理やり彼の手にお金を握らすとアナの後を追った。なんとかなだめすかし、ルイスが出てくるのを待った。ルイスが怒ったような顔をして僕に20レアルを返してきた。何もいわずにそれを受け取るしかなかった。
暗い気分で帰り着きドアのない部屋に入ると、きれいに整理整頓されていた。
「私hがきれいにしたのよ。これかわいいでしょ。」
とニコニコ笑いながら、どこから持ってきたのか雑誌の切り抜きを、小さな木の枝を押しピンがわりにして壁に刺していた。彼女のかわいい親切と笑顔がのおかげでうつうつと心の中にもやのようにかかていたものが消えた。

その夜から急に悪寒がし、熱が出始めた。朝おきても身体がだるく熱は下がらなかった。軽い日射病にかかったようだ。そんな状態だったこともあり、僕の気持ちも高ぶっていた。ちょっとしたことがきっかけになり、どんどん大きくなり二人ともお互いに後に引けない状態にまで達してしまった。事件がおきたのは、一人でその辺の写真でも撮りにでかけよとカメラをベッドの上に置いた直後のことであった。アナはカメラを投げつけたあと、部屋を飛び出して行った。
投げつけられ、レンズが凹んだカメラを拾い上げながら、この家を出ることを考えていた。荷物を全部かばんの中に入れ、さあー出用としたときにアナの姉が入ってきた。
「ごめんなさいね、こんなことになって。アナはまだ子供で・・・・」
もう何もいうことはなかったし、言葉もでなかった。
帰りのバスの中でいろんなことが次から次へと頭の中を過ぎ去っていく。アナのこと、彼女の家族のこと、カメラのこと・・・・。
行きはあんなに長く楽しかったバス旅行も、帰りはほとんど寝るだけで、時間はあっという間にすぎざり気がつくとサンパウロについていた。


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