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南米漂流
     ブラジル漂流記 (Draft in Br...  (最終更新日 : 2021/01/13)
聖都漂流 その1

聖都漂流 その1 (2006/12/04)
あるストリッパーの死

マリアーナが死んだ。
 彼女の魂が僕の周囲を漂っているのだろうか。薄暗い、ストリップ劇場の中で、彼女のことを考えていると、気のせいか左胸に圧迫感を感じた。 

 1ヶ月ぶりに日本から帰ってきた。今回はなかなか時差ぼけが取れずに、帰ってきてからもずっと身体がだるく、1日じゅう眠たかった。東京で出費を減らすために、友達の家を4軒も転々とし、その気疲れと肉体的な疲れがたまっていたのだろう。
 女を抱きたかった。昼間からやっている風俗の店で一番てっとり早いのが、ストリップ劇場だった。マリアーナのツンとした形の良いおっぱいが頭にうかんだ。マリアーナに会いたい、そう思うと、いてもたってもいられなかった。レプブリカ広場の裏にある場末のストリップ劇場に向かう。日本でもそうであるが、ブラジルでもストリップ劇場には裏寂れた雰囲気が付きまとう。劇場のある通りに入ると急に人通りが少なくなり、場末の饐えた匂いが漂う。いつの頃からか、ストリップ劇場は、僕の癒しの場所となっていた。薄暗闇の中で、白や黒、コーヒー色などありとあらゆる肌の女たちがディスコミュージックにのって服を脱いでいく様子をぼんやりと見ながら誰にも邪魔されずに考え事をしていると、不思議にいらだちが消えた。
「オイ、ジャポネース、久しぶりだね。どうしていたんだい?」
劇場の前で豆タンクのような黒人のポルテイロ(門番)が声をかけてきた。
ブラジルでは人が集まる場所には、必ずポルテイロがいて、客が入る前に銃や刃物類をもっていないか身体検査を行う。女を争っての喧嘩が絶えず、すぐに殺傷事件になってしまうからだ。ここでは、カメラやビデオカメラの所持も禁止されているので、いつもカメラを肌身離さず持ち歩いている僕は、どうしてもポルテイロとはアミーゴになっておく必要があった。
 南米はアミーゴ社会といわれるが、確かにその通りで、物事をうまく進めるためにはいかにたくさんアミーゴがいるかが重要になってくる。ブラジルにきたばかりの頃、よく知っている散髪屋のおじさんが「ドロボーと分かっていても、声をかけなきゃならないんだ。アミーゴの関係を作っておかないとやられるからね。変だけど、それがブラジルのやり方さ」と言ったことを未だに覚えている。そんなわけで、テアトロに入る前はできるだけポルテイロににこやかに話しかけるようにしていた。その苦労あって今はフリーパスである。
「旅行に行っていたんだ」
 日本に行っていたなんてことをいうと、金をたんまりと持ってきたと思われ、強盗に狙われる可能性が高い。だから、余計なことはできるだけ言わないほうがいい。つい先日も、日本に出稼ぎに行って帰ってきた家族が惨殺された事件があったばかりだ。ブラジル女は簡単に売春婦になるが、男は簡単に強盗になってしまう。僕の住むアパートでも、知らない間に情報がつつぬけになっていて、知らない人間まで僕のことを知っていたり、旅行に出ていることまで知られていたり、驚かされることがしばしばである。とにかくブラジル人は世間話が好きだから、周囲には一切もらさないのが一番であり、身を守るコツである。

 いつものように後ろの席に座り、マリアーナがいるか確認するが、どうも見当たらない。多分今日は休みなのだろう、と思っているとちょうど僕の前に座っていた女が僕に声をかけてきた。「一杯飲ませてよ」
 彼女らは客にお酒を飲ませてもらい、その売り上げの一部を後で店からもらうようなシステムになっている。踊ることで店からは一銭もお金をもらえない。飲み物のコミッションと3階にある個室で客と一時を一緒に過ごすことによって彼女らはお金を稼ぐのだ。店は女と客との出会いの場を女たちに提供するのみなのである。
 その女はマナウス出身で、いつもお客の隣にするりと身をすべりこまし、うまくお金を稼いでいる。太っていて、すきっ歯で決して美人ではない。僕の嫌いなタイプである。彼女が狙いをつけるのは50歳以上の年寄りや、いかにももてない感じの風采のあがらない男、あるいは気の弱そうな男が多い。僕も後者の二つにあてはまったのか、最初の頃、彼女が良く隣の席にやってきた。見ていると、彼女の濃厚なサービスでたいていの男は落城されてしまい、3階にあがるか、後ろでドリンクを飲むはめになってしまっていた。
 当然のことながら、お金を持っているのは年配の客が多い。他の女たちも彼女ほどではないにしろ、年配の客に対する攻撃はなかなかのもので、白髪頭で歩くのもやっとといった白人の客が、まだ20代の若い女にちやほやされている光景をよくみかける。金の力だと分かっていても、男はうれしいのだ。ブラジルではバイアグラも処方箋なしに購入できるので、最近とくにこうした客が増えたような気がする。
 このマナウス女の舞台はひどいもので、ほとんど踊りもせずに席の間を歩き回って、身体を客に触らせて終わりにするという、超手抜きの踊りをするせいか最近は、店の人間があきれてしまい、彼女を踊らせなくなった。隣に座ると、しつこくお金をせびってくるし、僕はあまり彼女を好きではなかった。しかし、店の情報通で、彼女に他の女たちのことを聞けばたいていのことは分かった。
「今日は、マリアーナは来ていないの?」
「マリアーナは死んだわよ」あっさりと彼女は無感動に言った。
「嘘だ、そんなはずがない」あの娘が死んだなんてとても信じられなかった。
「本当よ。8月の始めに、恋人に殺されたのよ。胸をえぐられて、喉を引き裂かれていたそうよ」
彼女のいった言葉がイメージとなって僕の頭の中で映像を結び、暗闇のなかで頭の中に閃光が走りクラッシュした。
「何故!」
「彼女はポリシア(警官)と恋愛していたんだけど、その男が彼女に保険金をいっぱいをかけて、それで彼女を殺したのよ」
しばらく何もいえなかった。今まで僕の人生の中で身近な人間が殺されるなんてことは一度もなかっただけにその衝撃は大きかった。
サンパウロの死亡率は殺人の割合が高く、戦争地帯なみだと言われている。自分は一般市民でそんな話とはかけ離れていると思っていたが、たまたま出会わなかっただけで、実は身近な話なのである。
 マリアーナの死を知った後のストリップはちっとも面白くなくなってしまった。

 マリアーナを最初に見たのは2年前のことだった。アラブの民族衣装を身に着け、民族舞踏を踊る姿は、小柄ではあるが、背筋がぴんと伸び、決まっていた。色気はないが、白い引き締まった肌に、張りのあるツンとしたおっぱい、キュンとあがったお尻、知らず知らずに彼女の身体に目が引き付けられた。それから、何回も彼女の舞台を見て、かわいい女だなと思っていた。舞台前にアナウンスされるマリアーナという名前はしっかりと頭の中に刻み込んでいた。
 眼鏡をかけた、小柄な女が僕の座っているすぐ横に座った。見たことのある顔である。
「もしかしてマリアーナ?」「ええそうよ、どうして私の名前を知っているの?」
「君の踊りが好きで、覚えていたんだ」彼女は本当に嬉しそうな顔をして喜んだ。
 たいていの踊り子たちは踊りを褒められると喜ぶし、自分の踊りを見てもらいたいのだ。一度、ある女性にどうしても前の席で見てくれとせがまれ、いやいやながら見ていると、脱いだパンティをさーっと投げられ他の客に対して誇らしげな反面、パンティをもったままどんな対応をすればよいかわからず恥ずかくてドギマギした覚えがある。彼女らにとってストリップは、仕事であり、できるだけたくさんの人に見てもらいたいのだ。前衛の演劇なども裸のシーンも出てくるし、カーニバルではボディペインティングはするもののほとんど裸同然である。見ている人間は、恥ずかしくないのかと思うが、踊っている人間には、そんな意識はない。ストリップ=恥ずかしいこと、とずっと思っていた自分を恥じた。
 マリアーナは19歳、小さい頃にもらい子に出され、ずっとリオで育てられた。最近独り立ちし、生みの親が住むサンパウロに出てきたが、うまく仕事がみつからずこの世界に入った。眼鏡をかけ、ジーパンにTシャツをはいた姿はどう見てもごく普通の女の子であった。舞台での彼女の姿と舞台外でのギャップが大きく、客には初々しく見えるようで、結構お客はついているようだった。
「よく、お客にいわれるのよね。ストリップをするように見えないねって」そういって、にっこり笑った。何回か話しているうちに、彼女の誘いに乗ってしまいついつい関係を持ってしまった。彼女は思っていた以上に小さく、胸以外はまだ幼さが残っていた。自分を抑えることなく夢中になるようで、事が終わった後はしばらくぼーっとし、別世界にいるような顔をしていた。そんな彼女の初々しさに惹かれた。しかし、僕に振り向いてくれることはついになかった。
彼女には日系の彼氏がいて週に1回会っていた。「離れると会いたくなるんだけど、会うと喧嘩ばかりでね」それでも彼氏が失業すると彼女は随分と助けていたようだ。たいていのことは拒まなかったが、キスだけは許してくれなかった。ほとんどの夜の女がそうであるが、彼氏がいる女は、セックスはしてもキスはしない。僕は彼女らのそんな操を立てるところが好きだ。あるときマリアーナが、彼氏が撮った写真を見せてくれた。そこにいる彼女は生き生きとした表情していて明らかに僕に見せる表情とは違っていた。僕はきっと彼女をこんなにかわいく撮ることはできないだろう。軽いしっとを覚えた。
 最初の頃は実の母の家から通っていたが、劇場のオーナーが持っているアパートで他の女たちと暮らしていた。「ママイはお金をもらうときだけ優しくて、それ以外は他人のように冷たいのよ。だから喧嘩して家をでちゃった。でも一緒に住む女の子たちは人のモノを盗むから、いっときも油断できないの。すぐモノがなくなるのよ」
マリアーナはストリップに対してプロ意識を持っていた。外から有名なダンサーがやってくると、お客そっちのけで見ていたし、研究熱心でいつもどう踊れば色っぽく見えるか、格好よく踊れるかを考えていた。
 ここの劇場には常時20人ほどの女がおり、1日に3,4回踊らなければならない。衣装や音楽はすべて自前である。見ていると、楽しみながら踊っている女といやいやながら踊っている女がはっきりわかって面白い。色っぽくて、露出度の高い女や、熱の入った踊りをする女にはヤンヤの喝采が行われる。一度、喝采や、スポットライトを浴びると、病み付きになるようで結構楽しみながら踊っている女が多い。彼女らは誰に教えられることもなく、自分で見様見真似で踊るそうで、いつもながらにブラジル人のリズム感のよさには驚いてしまう。ブラジル女性と結婚した友人宅には3歳になる女の子がおり、彼女は親が踊る姿や、テレビを見て、一緒になって腰を振りながらいつも踊っている。すでに3歳にしてである。リズム感がまったくない僕は文化の違いを痛感してしまう。
 女たちの間には、踊り方、音楽、毛のそり方にも流行があるようで、最近はリズムのいい音楽で、キレの良いステップを踏みながらの踊り、そして下の毛はつるつるにそるのが流行っている。「あの女は人の真似ばかりよ。嫌よね、ああいうのって。私のはオリジナルよ」
確かに、彼女のストリップは他の女と違い、足の開き方ひとつをとっても微妙に違っていたし、何よりも踊りにキレがあった。
 この劇場では女が嫌がらない限り、客は踊り子を触ってもいいことになっていて、かぶりつきに座った男たちは、女が近くによってくると立ち上がり女の身体をさわりまくる。瞬間50本ほどの指が女体をまさぐる。男たちが声を発することもなく真剣な顔をして手に全神経と全想像力を集中させ、もくもくと触る姿は一種異様である。一応、暗黙の了解でお尻や、内股を軽くさする程度になっているが、中には秘所にかまわず指を突っ込む男もいる。
「汚い手で触ってくる男もいるのよね。痛いっていうこと知らないバカな男は、無理やり指を突っ込んでくるの。傷つけられるから、私は絶対さわらせないわ」と言ってマリアーナはむっとした表情になった。通いつめている男達は、女の行動にあわせてさっと立ち上がり、彼女らの表情をみながら少しずつ、繊細に大胆に指を身体に進入させていく。女の身体に触るのも実は結構難しく、タイミングが悪いとなかなかうまく触れない。
 客が少なかいときや、お金が必要なときには、マリアーナから電話がよくかかってきた。電話にでると「どうしているかと思って。元気、じゃーね、また」そんな感じである。そのあっさりした電話が妙にかわいく、かなりの確立で彼女に会いに行った。この頃になると彼女は随分とプロ的な考えになり、セックス=お金という意識が強くなっていた。客も増え、いつも3階にあがっていることが多かった。そうするうちに、服装もジーンズにTシャツというごく普通の服装から、ブラジャーとホットパンツというような、セックスアピールが強い服装になっていった。
「きちんとした服をきている人は結構ケチが多いのよね。サンダル履きでよれよれのTシャツ、そんな服装の客の中に金払いがいい男がいるのよ。変なものね」といって笑った。
もうこの頃になると、劇場では古株になり、踊りといい人気といい、売れっ子になっていた。
仕事が忙しく、しばらくぶりに行った劇場は、女の顔ぶれもがらりとかわり新鮮だった。通路にいた彼女を呼び止めた。
「元気」「元気よ」いつものように身体に似合わない太い声。なんとなく色っぽい。
「妊娠しちゃった」とうれしそうに言った。
彼女のお腹を見ると、少し膨らんでいるような気もする。
「誰の子供」
「勿論、ナモラードよ」
「生むの?」
「ええ、彼は堕ろせっていっているけど。私は生むわ」
 今までいろんな女を見てきて、子供を抱えながらのこの仕事は大変なことを知っていたが、彼女が嬉しそうだったので僕も励ますしかなかった。その後、またしばらく彼女に会う機会がなく、再びあったのはそれから2ヵ月後の事だった。
「流れちゃった」
 もう、随分たつようで、彼女の言葉からは、大きな哀しみは感じられなかったが、ただどことなく空虚な部分があった。結局、流産がもとで彼氏とも別れたらしい。彼女も多くは語りたがらなかった。久しぶりに見る彼女の身体は、張りがなかった。胸から腰にかけての線が微妙に崩れていた。踊りにもキレがなく、彼女全体が薄い膜が張られているようにボンヤリした印象があった。今まで舞台では、いつも真剣な表情で踊っていた彼女が、いやらしそうな薄い笑顔を浮かべながら客に身体を触らせコビを売っていた。誘われたがとてもそういう気にはならなかった。今考えると、このときには既に、彼女の運命は死へと向かっていたような気がする。
 それから、イグアスやアマゾンの旅行が続いたこともあり、彼女のことをすっかり忘れていた。
「元気?」
「誰?」 
「マリアーナよ。来ない?」なんとなく舌が回っていないような感じであった。久しぶりに劇場に行ってみるのも悪くない。幸いなことにその日は友人との約束も何も入っていなかった。
彼女の目はほとんど焦点が定まらないほど、酔っ払っていた。
「もうカクテルを5杯ものんじゃった」彼女はふらつきながら僕の隣の席に座った。「出ない? でましょうよ! 満足させてあげるから。写真も撮らしてあげる」一瞬迷ったが、何故か出る気にならなかった。「今日はいいよ」そんな問答を数回繰り返し、彼女はとうとうあきらめ、ふらふらと立ち上がり、別の客のところに行ってしまった。一瞬惜しいことをしたかな、と後悔したが、乱れた彼女を見るのが嫌だった。今日の劇場はガラガラで女たちも暇そうに舞台を見ている。かぶりつきで客が触ろうとすると女がハイヒールで蹴ろうとするふりをした。客はあわてて手を引っ込めた。そんなやりとりを横目でみながら、ぼんやりとマリアーナを見ると、既に他の客を口説いていた。すっかり気分がそがれ、その日は陽が沈みかけた肌寒い秋の夕暮れ時の家路を急いだ。バス停では、寒そうに身体を丸くした黒人の男がじっとバスの来るのを待つ姿がいかにも寂しげだった。
 この劇場にはマッサージタイムといって、音楽が2曲の間、お金を払えば、後ろの席で女を触れる時間がある。15分くらいの間、女たちは裸になって、客にお尻をすりつけたり、胸を触らせたりする。女によっても値段は変わるが20レアル(1000円)が相場である。日本の人から見ればたいしたお金ではないかもしれないが、ブラジルの一般市民にとって、15分、20レアルという金額はけっして安いお金とはいえない。
 対外的にはブラジルは世界の食糧生産地として輸出が好調で、景気が良いように見えるが、それは一部の大企業や大農家のみで、世界有数の高い税金に苦しめられ、さらに急激に浸透したクレジットカードローンの甘い罠に捉えられた一般市民はローンを組んで車、家具、電気製品を次々と買い込み、クビも回らない状態の人々が多い。そんなわけで、他の客が女の身体を触っているのを男たちは指を咥えて、見るのがほとんどである。もっとも最近は、ほとんどマッサージを行う客はいなが・・・・。マリアーナがしつこく、マッサージをやろうと言ってきた。人が見ているところで女の身体にさわったりするのは嫌であった。やはり女の身体に触ったりするのは、ひっそりと二人だけで楽しむか、人にわからないように触ると興奮するが、みんなの見ている前で触ってもまったく快感もないし、単に恥ずかしいだけである。じゃあ10レアルでいいからということで、あまりのしつこさに根負けしOKした。彼女はすぐさま、服を脱ぎすっぱだかになって、お尻を摺り寄せ、胸を触らせ、抱きついてきた。しかし、僕の頭の中は冷め切っていて、何も燃え上がるものがなかった。「やはりやるんじゃなかった」と後悔していた。2曲目も終わり、3曲目も終わった。彼女は辞めようとしない。僕は今までの付き合いからサービスだと思っていた。そして4曲目、
「じゃー、これで終わりね。20レアルよ」
「10レアルっていったじゃない」
「だって4曲もやったのよ、20レアル」一瞬10レアルで押し通そうとしたが、他の男たちも見ているし、事を大きくしたら、損なのは僕の方だ。もちろん僕は彼女にとって単なるお客の一人だと分かっていたが、お客以上の付き合いをしているつもりだった。嘘をついた彼女に腹がたった。
「嘘をつく奴は大嫌いだ。もう、二度とおまえとは関わらない」そういってお金を渡すと、彼女は一瞬考えるような表情をしたが、お金を受け取り、僕のそばから去っていった。
それから、何回か劇場には行ったが、彼女を無視し続けた。しかし、それでも彼女は、いつも僕に声をかけてきた。「行かない?」そのたびに断った。自分でも思うが僕は頑な人間で一度嫌になるともうダメなのだ。今考えると、おそらく彼女は、麻薬をやっていたのだろう。この頃はいつも目がとろんとし、酔っ払っているようだった。目の下には隈ができ、明らかに生活が荒れているのが分かった。とにかくお金が欲しかったのだろう。お客を一人一人回り、客を取ろうとしていた。一度、一番後ろの席で彼女が男をひっぱたき、床に寝かせ、ヒールで踏みつけにしていたのを見た。男はマゾだったのだ。彼女の身体が少しふらついていたので、麻薬をやっていたか、酔っ払っていたか、少なくとも普通には見えなかった。それから彼女はいつも酔っ払っているようで、どんどん荒れていった。
 彼女とは少しずつ話はするようになっていたが、それ以上何もするきはなかった。
あるとき、いつものように、考え事をしながら一人で見ていると、後ろから、女が抱き着いてきて、突然キスをし、するりと舌を滑り込ませてきた。一瞬びっくりして振り向くと、マリアーナがニヤニヤ笑いながら立っていた。昔は、決してキスは許さない女だったのに・・・。「やんない?」
ぬるりとした彼女の舌の感覚が一瞬蘇り、火がつきかけた。しかし、自分の気持ちとは裏腹に、僕の口から出た言葉は「やんないよ」だった。「そう、またね」
それが彼女にあった最後だった。あのとき彼女にもう少し優しくしておけば良かった。未だに少し悔が残っている。

 8月の寒いある日、マリアーナは恋人の警官に惨殺され、その死体はサンパウロから10キロのオザスコの山の中にゴミのように捨てられていた。彼女を殺した男はその後捕まり、服役中。当時彼女は20歳だった。
 彼女の人生は、人から見れば不幸な一生だったかもしれない。しかし、彼女は自分の力で20年を生き抜いた。僕を含め多くの男たちを癒してくれた。彼女が懸命に踊った人生という舞台に拍手を送ってあげたい。
 今でも、ストリップ劇場に行くたびに、彼女が後ろから抱き着いてくるような錯覚を覚える。


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