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     ブラジル漂流記 (Draft in Br...  (最終更新日 : 2021/01/13)
レシフェの女Ⅱ-最後の旅ー  woman of Recife Ⅱ

レシフェの女Ⅱ-最後の旅ー  woman of Recife Ⅱ (2008/12/20)
レシフェの女Ⅱー最後の旅ー







もう終わったと思っていた彼女に再び会ってしまう。そんな未練がましい自分がつくづく嫌になる。彼女との最後の旅は・・・

 何故、僕はこの旅に出る気になったのだろう・・・・・。
 サンジェラウド・バス会社の、レシフェ行きの長距離バスに揺られながら、昨日の電話を思いだ出した。
「・・・・・アロー、セニョール・アキ?」
 午前2時。ぐっすり眠り込んでいるときであった。
「・・・・・」
 再び遠慮うがちに
「・・・・・アロー、セニョール・アキ」
 やっと意識がはっきりしはじめたものの、ぼんやりした頭では瞬時に答えがでなかった。
「・・・・・僕ですが」
「私よ、アナ」
「・・・・」
 今まで頭の中にかかっていた靄が一機にふっとんだ。
「何故アメリカから帰ってきたことを知らせてくれなかったの!」
「・・・・・」
「実は婚約したんだ」
 自分でもびっくりするような嘘がすらすらと口から出てきた。

 彼女とは1年前にサンパウロからレシフェに向かうバスの中でしりあった。
 それ以来、北伯に旅するたびに家にいったり、電話や手紙を交わしていた。次第に関係が深くなり、気がつくと、僕は彼女から「アモー(直訳;愛する人、恋人どうしはこう呼ぶ)」と呼ばれるようになっていた。
 アモーと呼ばれるたびに、うれしい反面、少しずつ気が重くなっていった。将来への期待が、アモーと言う言葉の回数に比例してどんどん膨らんでいくのがじんわりと伝わってくる。そして、いつの頃からか、「バモス・カザー(結婚しましょう)と言う言葉が彼女の口から出るようになった。そのたびに結婚できない理由をとくとくと説明したが、その話を始めると決まって彼女は他の話にすり替え、聞こうともしなかった。決まった仕事もなく、バカブンド(怠け者)のような生活をしている今の僕には、とても結婚するような甲斐性はなかった。たまに仕事が入ると夜遅くまで出なければならないことがしばしばで、ブラジレーラの嫉妬深さと、疑り深さ、彼女の火のような激しい性格を考えると、とても結婚生活なぞ考えられなかった。なによりもお互いの考え方があまりにも異なりすぎ、絶対うまくいかない、ということが解っていた。離れると恋しくてたまらなかったが、一緒にいると、もう一緒にいたくない、と思うこともしばしばであった。
 男の勝手と言われれば何も言い返すことはできない。考えれば考えるほど自分がひどい男に思え、自己嫌悪に陥った。彼女に対してはできる限りのことはしたつもりであったし、彼女にとっても僕と別れることが良いと思った。そんな時アメリカに住む友人から2ヶ月ほど仕事があるから来ないか、という連絡が入り、「もう、帰って来ないかもしれない」と彼女に言い残してアメリカに旅立ったのであった。
 そんな訳で、ブラジルに帰ってきても連絡も何もしなかった。そんな時彼女から突然彼女から電話がかかってきたのであった。
 どうして、もう一度行ってみようなどと思ったのか? もう、自分の中では彼女のことはあきらめていたのに・・・・・。

 44時間のバス旅行

 レシフェ行きのバスは満員であった。時間間際になると、次から次へと乗り込んでくる。横の席が空いていれば楽なのになー、とわずかな希望を抱きながら出発を待っていると、インディオの血をこくひくと思われる、ブルドッグのような顔をしたおじさんがドカンと隣の席に座った。
 同郷の人間だという気安さからか、1時間もすれば周りの人々はお互いに話し始めた。白人系の人間は45人中わずか5人しかいない。東洋人の僕は、ここではどう考えても余所者であるし、とても仲間に入る心境ではなかった。面白いことに子供連れの夫婦が多い。それも、どの奥さんも、16、17歳ほどである。
 隣のおじさんは通路を挟んだ隣の席のモレーノとさしつさされつピンガの酒盛りを始めた。ピンガの甘い香りがふんわりと漂ってくる。酔うにしたがって彼らの声も大きくなってくる。その声に誘われるように、小柄なめがねをかけた青年が前方からやってきた。彼はちゃっかりその酒盛りに加わり、しばらくすると、
「アミーゴ、席を交換しようぜ。俺はさー、タバコは吸うし、酒も飲むしな。前の席では、子供づればかりでタバコも吸えないんだ。なっ、いいだろう(現在はバスの中では禁煙)」
 ブラジルでも喫煙者は煙たがられる存在になっているのである。僕にしてもその方がありがたかった。夜中、すぐ横でこのような酒盛りをされたのではたまったものではない。思わぬ申し出にほっとした。
 レシフェまで44時間。おそらくそれ以上かかるだろう。3時間ごとにパラーダ(休憩所)でバスはとまる。それでもまる2日ちかくもバスにのりっぱなしだとかなり辛いものがある。
 4回目のパラーダで、酒盛りの連中はさらにピンガを1瓶購入し、もっと盛り上がろうとしていたらしい。誰かがちくったのか、そこにバス会社の監視官員がやってきて、その瓶を見咎めると顔をまっかにして怒り始めた。
「バスの中ではアルコールは禁止になっている。もし飲むのならポリシアを呼ぶぞ!」
 酒盛りの連中は酒の勢いを借りて抵抗するかと思ったがポリシアを呼ぶと言われて恐れをなしたのか、監視員の怒りに負けたのか、しゅんとしてしまった。喧嘩沙汰にでもなるのかと思って見ていたのにまったく拍子抜けである。先ほど席を替わったにいちゃんが慌ててやってきて、
「監視員が席を替わっちゃダメだってさ」
 お互いの了解があれば席を替わろうが問題ないはずである。ゴタゴタからさっさと逃げるタイミングのよさといいまったくこずるい奴である。一瞬迷ったが、夜中にこれ以上ああだこうだと言い合いをして周囲に迷惑をかけるのも嫌だったので、何もいわずに元の席に戻った。
 後ろの席に戻ると、ブルドックのおじさんは、気分が悪いのか身体を二つ折りにして、今にも吐きそうな雰囲気である。隣のモレーノはぐうぐうと鼾を立ててすでに寝ている。
 せまい空間の中で、約40人近い人間が2晩にわたって一緒にいるのだから次第にストレスが溜まっていくのも当然である。その皆のストレスをもろに受けたのが、僕が席を替わった、調子の良い小柄な青年であった。しまいには皆から「マカコ(サル)」と呼ばれ、特にブルドックおじさんは、彼から常にタバコをせびられたものだから、最後の方は近づいて来るだけで顔をしかめて怒るようになった。彼のあまりの怒り様を見て、青年の唯一の味方であったおばさんが、「かわいそうに、そこまでしなくてもよいものを」と嘆いた。
 ブルドックおじさんは涙もろい性格なのか、鼻を拭き拭き、青年がいかにひどい奴なのかを並べ立てた。それからも、マカコ男は何処に行ってもつまはじきにされ、見ているほうがかわいそうになるくらいだった。
 バスは1度故障したものの48時間後に無事レシフェの町にたどりついた。

レシフェ

 レシフェは、あいも変わらず暑かった。アグア・デ・ココ(椰子の実)売りのおじさんはボンヤリと人通りを眺め、少年たちは、声を張り上げてバスの客に向かってポップコーンやオレンジを売りつけている。熱帯地方特有の気だるさの後ろに、貧乏が染み付いた町、それがレシフェである。
 さてこれからどうするか?
 サンパウロを出るときは、バスの中で決めればいいさ、と思っていたが、結局、彼女に何をしたら良いのか? どうすれば彼女のためになるのか?、解らなかった。やはり自分自身の踏ん切りそれだけなのか・・・・。やっぱり来るんじゃなかった。
 時間を見ればもう3時を過ぎている。彼女の話では、彼女の家までのバスは強盗が頻発しているとのことだったから、あまり夜遅く行きたくなかった。レシフェの町に帰ってきてからホテルを探すことにしよう。
 しかし、どのバスに乗れば良いのか? 彼女といつも一緒だったから、まかっせぱなしでぼんやりとしか覚えていない。だめならだめでこのまま帰ってくればいい。むしろその方が・・・・・。
 何とかバスを乗り継いで彼女の家に着いたときは日もかげり始めた頃だった。
 嘘ではあるがアメリカに婚約者がいて、昔の彼女の実家にいくのだから自分自身はいったいどういう神経をしているのだろうか。とにかく来てしまったのだから仕方がない。
 赤レンガにスレートをのせただけの簡単つくりの懐かしい家が見えてきた。1度来たときはのんびりとしたなんていい所だろう、なんて明るい家族なんだろう、何もないけれど皆のびのびと生活している、もしかしたらこれこそが人間の生活なのかもしれないと思った。2度、3度来るうちに家族の間にも、嫉み、何とか家から出たい、貧乏から抜け出たい、という姿が次第に見えるようになった。誰しもいい生活をしたい、それは当然である。しかし、どこかで人は自分の器、あるいは自分を知り、それに満足をしなければ、それは不幸である。
 家につくと、まずアナの小さな兄弟たちが出迎えてくれた。その後を追うようにゆっくりと通りの向こうからアナが目をしばたせながらやって来る。ずいぶん老けた感じがする。目の下にうっすら隈ができて顔に疲れが見える。
「エウ サウダーデ デ ヴォッセ(あなたに会いたかった)」
 彼女の声が震える。
 彼女の潤んだ目が日暮れ前の強い逆光に反射して光っている。僕に飛び込んできた彼女の身体はかすかに冷たく、暑さにもかかわらずさらりとしていた。
 周りにいた兄弟や隣人が微笑ましげこちらを見ている。どういう態度をとればいいのだろう。彼女の兄弟たちに軽く挨拶をし、逃げるように彼女の部屋に入る。やはり来るんではなかった・・・・・・。彼女のママイがやって来た。いつもの気安さはなく、笑顔も硬い。
「ママイは何て言ってた?」
 アナに尋ねると、
「男を信じちゃダメだって。特に外国の男はね」
「・・・・・・・・・」
 ここにきて僕は何をするつもりだったのだろう。全くバカなことをしている。 
 アメリカのこと、今後のこと、ぽつりぽつりと彼女に話す。彼女は自分なりに昇華ができているようで、取り乱すようなことはなかった。むしろさばさばしていた。そして、どのくらいここにいられるのかを聞いただけであった。
「婚約指輪はどうしたの?」
「・・・・・家においてきた」
 一度ついてしまった嘘は坂から転げ落ちる雪だるまのように、どんどん膨らんでいく。ああ・・・・・。
 とにかく早くここを去らなくては。外はどんどん暗くなっていく。僕の気持ちをすばやく察したのか、アナはシャワーを浴びろとか、飯を食べろとか時間稼ぎを始める。そうするうちに外は真っ暗になり、30分ごとにセントロに向けて出るバスは次々に家の前を通り過ぎていく。
ここまで暗くなっては、セントロに行って、荷物を担いだままホテルを探すのは少々怖い。
「今日はここに泊まらせてもらうよ」
 うすっぺらなスポンジのクッションのベッドの上で、疲れている身体に反して頭の中は薄い膜がはったまま妙に冴えなかなか眠れなかった。

ペトロリーナで

 俺はいったい何をしにきたのだろうか。
 今日もこの問いで1日が始まった。結局彼女に対して何もできないことがわかっただけである。このままここにい続けてもどうしようもない。
「ペトロリーナの友達のところにいくよ」
「じゃー私も一緒に行くわ、いいでしょう?」
「だめだよ。別れる時が辛くなるから」
「ねっ、いいでしょ!」
 最後の最後まで、彼女は乞い続け、だんだん涙声になってきた。ついには、いいよ、と言ってしまった。なんてバカなんだろう! とうとう許してしまった自分を心の中で叱責する自分があった。
 家の前をバスで通り過ぎるときに、もうこれでここには2度と来ることはないと思うと名残惜しい。

 レシフェからペトロリーナまでバスで12時間。直通のバスかと思っていたら、いたる所で止まり、人が次々に乗り込んでくる。通路まで一杯になり、2,3人の人はそのまま通路にごろ寝している。これでは便所にも行けない。ブラジルでこんなにひどい長距離バスに乗ったのは初めてである。バスはひたすら葉の一枚もない潅木の波の中をぶっ飛ばしていく。
 朝8時、やっとペトロリーナの町に到着した。思ったより大きな町である。道はほとんど舗装され、四角いコンクリートの建物が整然と並んでいて、田舎町にしては妙に冷たい感じがする。後で聞くとかなり新しい町だとのことであった。道行く人には貧しさからくる荒んだモノは感じられないが、田舎特有の人なつっこさがない。
 以前、新聞で、マリファナの栽培でペルナンブッコ州は州の利益の70%を上げているという記事を読んだことがある。その産地のひとつがこの辺りなのだ。しかし、表面上はそんな様子は感じられない。
 レアルが底をついていた。とにかくドルを両替しなくてはならない。つい数ヶ月前に友人からどんな田舎でもドルは交換できると聞いていたから、心配はしていなかった。道行く人にカンビオ(両替所)があるかと尋ねたが誰も知らない。マリファナと闇ドルはきってもきれないはずだから、無いはずがない。最後の手段に、客待ちのタクシーの運転手に聞いたが、この町にはカンビオも、両替をする旅行社もないようである。この近くで、最近農場の経営を始めた友人の青井さんに電話をするために入ったドロガリア(薬局)で、角を曲がったパペラリア(文房具屋)で替えてくれるかもしれないということを教えてもらった。
「ここで両替してくれるって聞いたんだけど。主人はいるかい?」
めがねをかけた店番の娘に尋ねた。彼女は一瞬怪訝そうな顔をしながらも、主人がいるもう一軒の店を教えてくれた。ドルの売買は許可なしでは法律上は禁じられているから彼女も教えていいものやら迷ったようだ。
 教えられた店は前のより大きな店だった。15分ほど待たされやっと主人が現れた。このおかしな二人連れはいったいなんだろうと、探るような目つきでしげしげと眺めながら、
「何か?」
「ここで両替してもらえるってドロガリアで教えてもらってきたんですけど」
 一瞬、僕の方に目を向け、周囲を見渡し、人目をはばかるように小声で、
「私は今必要じゃないけど、どのくらい替えたいの? 良かったら友人に聞いてあげるけど」
すぐ彼は連絡してくれた。
「今、旅行者の日本人がきて両替をしてくれないかって・・・・・・」
 ここでも日本人は絶大な信用があるようだ。やってきたのは50歳ほどの大柄な白人系の男であった。もちろんレートは知っているのであろうが、いくらで交換したいのかとぶっきらぼうに尋ねてきた。昨日のレシフェのレートを言うと何も言わずにポケットから輪ゴムで止められた札束を取り出すとおもむろに数え始めた。文房具屋の主人と比べると態度は偉い違いがある。この町の店は彼らのような数人の白人によって握られているのではないだろうか。この町の裏には何かあるような感じがする。
 やっとひとつ問題が片付いたが、今度は友達に電話しなければならない。町には圧倒的に公衆電話が少ないのである。やっとみつけたが、何回かけても通じない。バールのおじさん住所を見せると、サンフランシスコ川を挟んだ隣町ということであった。いくらかけても通じなうわけである。隣の町のジュアゼイロは隣の州のバイア州なのである。州がちがえば専用の青電話しか通じない。州内用の赤電話でさえこんなに少ないのだから青電話なんか奇跡でもない限りみつからないだろう。もう、探すことが面倒くさくなって隣町に行くことにした。

ジュアゼイロで

 地図で見ると、サンフランシスコ川がペルナンブッコ州とバイア州の州境になっており、ペトロリーナの対岸にジュアゼイロが位置する。ペトロリーナのセントロから乗り合いバスでちょうど15分ほどである。
 サンフランシスコ川に沿ってこの一帯では果物栽培が盛んで、メロン、ブドウ、マンゴーなどがヨーロッパ、アメリカ向けに輸出されている。ブドウなどは年に3回も収穫でき、果物の宝庫としてブラジルでも有名な地である。また、マッコーニャ(マリファナ)の産地でもあり、道路から離れた場所で密かに栽培されているらしい。1ヶ月に1度飛行機で飛んで捜査が行われ、見つけ次第地上部隊に連絡され、すべて燃やされる。しかし、犯人が捕まることはほとんどないとのことである。
 友人の事務所に電話したが、今、彼の車は故障していて会うのは難しいとのことであった。
 荷物も重いし、腹がすいてきたのか、彼女の顔もだんだん引きつってきた。彼女は買い食いが好きでシュラスコ(串刺しに売っている焼肉)が売っていればすぐに食べたくなるし、ポップコーンが売っていると、すぐそれが食べたくなる。中でもコッキーニャと呼ばれるココの実を砂糖で甘く煮詰めたお菓子が大好きで、これが売っていると、もう買うまで前を離れない。
 前を歩いている2人連れの男にホテルを尋ねると、少し言ったところにあるリオ・ソル・ホテルがいいという。
 早速行ってみると、リオ・ソル・ホテルはできて間もないまだ真新しいビジネスホテルであった。受付の生真面目そうな女性が、ツインで30ドルであるが、20%割引してくれるという。疲れていたし、このホテルに即決した。
 この町の道路はすべて石畳で、冷たい感じのアスファルトの道と異なり、温かみが感じられる。長年車や人が通ることにより石の角が磨り減り丸っこくなっている。少し道を歩いただけで、この町が好きになった。道行く人々の顔はのんびりしているが、内陸の田舎町にしては活気が町に感じられる。学生風の若者が多いことと果物で町がうるおっているおかげであろう。
とにかく日差しが強い。ASA100セットしたカメラのメモリが跳ね上がっている。ホテルから10分ほど歩くとサンフランシスコ川につきあたった。ヤギと馬が川岸でゆっくりと草を食んでいる。さらに少し行くと、レストランやショッペリアがあり、極めつけは昔使われていた外輪船が改装され、洒落た雰囲気のレストランになっていた。これで夜が楽しみなってきた。ここで飲むビールはさぞかしうまいだろう。アナもレシフェと異なる町並みや、雰囲気を結構楽しんでいる。二人で町のすみずみまで歩き回った。僕も彼女もこれが最後の旅と感じ、お互いに気を使いっているせいか、ほとんど喧嘩することなく時間が過ぎ去っていった。
 3日間、この町で過ごしたが飽きることはなかった。最後の日にやっと友人の青井さんに会うことができた。
「いやー、ごめんなさい。車が故障しちゃってね」
やはりサンパウロで会う彼とはずいぶん雰囲気が違う。少々疲れているように見えるが、笑顔はいつも通りだ。早速、川岸のショッペリアにビールを飲みに行く。彼女はどうしてもノベーラ(連続ドラマ)が見たいというのでおいていく。
 川から風が吹いて気持ちがいい。
「ここの名物はヤギの肉なんですよ。食べてみますか?」
 ヤギの干し肉は硬かったが、どことなく塩鮭の風味があって非常においしい。ビールが1本また1本とあいていく。その度に、ボーイのおじさんは、砂地にひょいひょいと投げていく。どことなく格好をつけているのが解る。わざと、オーというような表情をすると、彼はにやりと笑った。
 肉のにおいに誘われて子猫がチョロチョロとテーブルの下を徘徊しはじめた。そうするうちにニャーニャー鳴いて肉をくれと要求するようになった。青井さんは足元に1匹の子猫が来た瞬間、足の甲に乗せるようにしてポーンと蹴った。ネコはびっくりして、ギャーッと悲鳴を上げ逃げていってしまった。彼は照れくさそうに、にこりと笑い、
「うちにもよく野良犬が来るんだけど、家の中に入ってくると、棒でたたくんだ。そうしないと癖になっちゃうからね」
 これを聞いて妙に安心した。
 もう20年以上農場をやっている人に何が一番大変か聞いたことがある。
「ブラジル人を使うには、ダメなものはダメだとはっきりした部分がないとやっていけないよ。1歩踏み込ませると3歩踏み込んでくるからね」
 あの、いつもやさしい青井さんが逞しくみえたし、ブラジルの地にしっかり根を張り始めている青井さんがうらやましかった。

 ついに別れの日になってしまった。彼女はレシフェに、僕はこれからサルバドールに行く。辛いし、寂しい・・・・・。この3日間、本当に楽しかった。彼女と知り合って、一番楽しい時間だったかもしれない。
 バスターミナルで、彼女は僕の胸のポケットからボールペンを取ると小さな字で袖に
「never forget me ,I love you」と書いた。バスが出るぎりぎりまで外にいた彼女は運転手に出発することを告げられると、最後の軽いキス僕にするとを何も言わずに乗り込んでいった。車窓から僕の方をじっと見ながら、軽く手を振った彼女の目には涙が光っていた。
 サルバドール行きのバスはテレビ、エアコンつきの快適なものであったが、僕の心は曇ったままであった。


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