5・6 出産 (2007/05/07)
「生まれたよ」 仕事場に息子が電話をかけてきた。早朝の仕事を終え、家に帰り着き重い荷物をおろして一息つこうかと思っていた矢先のことであった。 息子の声は、いつもと同じ調子で、うわずった様子も弾んだ様子もなかったので、昨日言っていた映画「スパイダーマン3」に連れていってくれ、という電話かと思っていた。 「ちゃんと生きている?」 僕の方が思わず、大声を出してしまった。僕の勘ではここ2,3日という気がしていたが、ちょうど彼女のお客としてアパートにきた女性が獣医で診てもらったところ、わからいくらい小さいのが1匹いるようだ、との診断をしていたので、まだまだかかると思っていた。 「パパイの言っていた通り、生まれたね」 いつものトーンで息子がボソボソいう。息子は電話になると声のトーンが落ち、ボソボソ声になるのだ。 「今、生まれたの。逆子でなかなか子犬の頭が出なくて大変だったわ。最後はひっぱりだしたの。もう、こんなことをしたくないわ」 壁や、床についた血を拭きながら彼女がぶつぶつ言っている。僕はインターネットで十分犬のお産について調べていたが、彼女はほとんど無知であったので随分慌てたようだ。 オス犬のニンジャが別の部屋で落ち着きなく吼え、お産をした部屋の中にはイライラした雰囲気が漂っていた。 「ニンジャもいるし落ち着かないから、早く仕事場に連れて行ってよ」 子供が生まれて、もう少しうれしそうな顔をすればよいのに、彼女はもう見たくないような感じでいう。明らかに彼女もいらだっている。アズミも子犬のことは忘れたかのように僕にじゃれつき、血が床に落ちる。それを見て彼女もいっそう苛立つ。犬も初産だし、介護する人間も初めてで、訳が分からなくなっているのだ。 仕事場にしたもうひとつのアパートに^んで様子を見る。アズミは落着き無く子供の周囲を歩きまわるだけでいっこうに世話をしない。しょうがないのでアズミを僕のひざにのせ、子犬を彼女の乳首のちかくにおくと、やっと母乳を吸いだした。しかし、アズミは嫌がって、吸わせないようにする。もしかして、このままずっと拒否するのかもしれない。慌ててインターネットで見ると、生まれた子犬の世話を拒否する母犬もいるらしい。インターネットを見ている間も、母犬と子犬は僕の膝の上である。このままずっとこの状態でいくかもしれない。そんなことを思うと憂鬱になってきた。アズミは子犬の世話をまったくしないわけではなく、しきりになめている。大分おちついてきているし、僕もこの状態でずっと過ごすわけにはいかない。 用意したダンボールにバスタオルをいれ、子犬とアズミを入れてみた。最初は出てしまったが、子犬がミューミュー鳴きはじめると、中に入って世話をし始めた。しかし、まだ授乳は嫌がる傾向にある。 心配して息子がやってきた。 「最初みどりのモノが出てね。アズミは落着かなくて、うるさく吼えていたんだ。そうしているうちにママイが帰ってきて・・・」生まれるまでの一部始終を見ていた息子は詳細にうわずった調子で話し始めた。生の神秘を垣間見たわけであるから、彼にとって大きな体験である。 箱の中を見ると、アズミが授乳していた。やっとアズミも母の自覚を持ったようだ。
 | 「ここには連れてこないの?」しばらくして彼女から電話があった。落ち着くと、自分が介護した子犬がかわいくなったようだ。 この写真はまだ膝の上にいるとき。写真をとりながら途方にくれていた。 |
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