11・17 見えなかった自分 (2007/11/19)
使っていない初期のデジタル一眼レフカメラ、ニコンD100と使い古したズームレンズがあっので息子に貸してあげることにした。本当はあげたいのだが、もし、今使っているカメラが故障したら、このカメラを使わなければならないのであげるとは言えなかった。 古いコンパクト・デジカメをあげたときには、大して喜ばなかったが、今回は気に入ったらしく、ずっと首につけっぱなしである。ただ、古いモノとは言っても、ブラジルでは子供が持ち歩くようなモノではないので、外には絶対持っていかないことを約束させた。 このカメラをすっかり気に入った息子は犬や彼女、僕をバシャバシャと撮りまくる。レンズを向けられることがこんなにうっとうしいものだとは思わなかった。僕も、息子をいつも撮っているので文句はいえない。本当は写真やビデオを撮られるのが大嫌いなのであるが..... 撮るたびに彼は画像を見せる。自分の顔を見る度にがっかりしてしまう。もう、明らかにオジサンである。見ているとため息がでてしまう。さらに、自分がこんなに普段機嫌の悪そうな顔をしているとは思ってもみなかった。精神的に落ち込んでいたこの2ヶ月は、もう本当にひどい顔だったろう。今でも見ていて不愉快な顔をしている。本当にひょうえ~、という感じである。 自分では見ることできなかった自分を知ることができ、ある意味よかった。これからはできるだけ明るい快活そうな顔をし、写真を撮るときは人に不快感を与えない撮り方を試みようと思っている。
 | カメラマン気分で写真をと撮りまくる息子。うっとうしいが普段彼を撮っているので文句はいえない。 以前から思っていたのが、息子に撮られていて、僕の目指す写真は、忍者のように自分自身を消して撮れるようにならないと、いい写真は撮れないだろう、ということを再認識した。 |
|
|