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南米漂流
     今日のブラジル 写真日記 (Photog...  (最終更新日 : 2023/01/16)
1・7 できそこない [画像を表示]

1・7 できそこない (2008/01/08)  リベルダーデに買出しのついでに、いきつけの日本食レストランに行った。
 店のオーナー、パウロさんとは、僕がブラジルに来て以来からのつきあいであるから、もうかれこれ15、16年になる。今日は客もほとんどいないので、ずっと話し込んでしまった。
「もう何年も日本に帰ってないでしょ。そろそろ帰りたいでしょ」と僕。
「母ちゃんも、仲の良い人は皆死んでしまったから、別に帰りたくもないね」シャコシャコと包丁を研ぎながらパウロさんがいう。
「へ~、そんなもんですかね」
「俺の兄嫁なんか、俺が帰ると露骨に嫌な顔をするしなー、母ちゃんなんか、うちの近く(福岡)をウロウロせんでくれ、なんていうし、大阪や京都にまで遊びに行ったもんよ」
「そんなこといわれたら、やっぱりショックですよね。そういえば、僕もMINHA VIDA( http://www.100nen.com.br/ja/akinori/000144/index2.cfm )の写真集を高知の書店においてもらったら、結構反響があって、まあまあ売れたんですよ。姉は最初は喜んでくれたんだけど、多分中身を読んだんでしょうね。電話がかかってきて、楮佐古の名を出してくれるな、っていうんですよ。あのときは腹が立ったな~。嫁に行った奴にそんなこといわれたくない、っていうと、楮佐古の名前は滅多にないから、すぐにわかるから、っていうんですよね。ショックだったな」
 写真集には、麻薬関係の事や女性関係のことなどを書いてあるので、それを見た、くそ真面目でごくごく普通の人間である姉は、ぶったまげてしまったのだろう。後で考えると、姉の言い分は十分理解できたが、僕は楮佐古晶章という自分の名前が気に入っている。姉に言われてから、一時真剣に別名を使おうと思ったが、やっぱりこの名前で行きたいという気持ちが強く、誰になんと言われようとこの名前でいこうと、このとき決心した。
「お前も俺もできそこないなんだよ」パウロさんはしみじみそう言った。

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遠くにかすかに入道雲らしき雲が見える。日本にいるときも入道雲を見るのが好きだった。夏は好きな季節だが、最近のサンパウロの暑さは地面から熱が立ち上ってくるようでちょっと異常のような気がする。

 


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