11・11 感動 (2008/11/12)
本当に楽しいということが無くなってきた。つまりは感動することが無くなってきたということだ。これはいかんことである。こころが震えるような大きな感動をここしばらくしたことがないような気がする。歳をとってきたせいかな、と思うがこればかりは年齢に関係ないと思う。 今、ほとんど家にこもっりきりだから、もっと積極的に活動するべきなのだろう。でも、家にいても、小さな感動は一杯ある、例えば、動物達の成長や植物の開花や芽ばえなど・・・。しかし、こころが震えるような感動となると難しいような気がする。では、今までそんな感動をしたことがあるのか、と考えてみたが、それほどあったわけでない。知床岳の頂上にたった時、パタゴニアの大平原で無を感じた時、アマゾン川のほとりでちっぽけな自分を感じた時など、たいていは、大自然との遭遇の中でだった。また、同じような感動をしたいな、と思うが二度と同じ感動はないだろう。 しかし、感動の度合いは、実際、自分の気持ち次第であろう。どんな小さな出来事でも自分の気持ちが、解放された柔軟でピュアな気持ちであれば大きな感動はあるだろうし、どんなすばらしい出来事にあっても心が閉塞されていれば何も感じない事もあるだろう。 今僕の心はストレスや怒り、悲しみなどで固くガチガチになっているのだろう。感動できる心をいつももてるような自分でありたい。
 | いつも清清しい気持ちでいたいがなかなか難しい。人間が頑固すぎるのか |
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