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     今日のブラジル 写真日記 (Photog...  (最終更新日 : 2023/01/16)
5・28ファベーラ取材Ⅱ

5・28ファベーラ取材Ⅱ (2009/03/01)  友人のお母さん、ミエコ・ヨランダ・ニシムラさんは高知からの移民2世。ファベーラの人たちのボランティアを始めて、もう40年になるという。僕も高知出身なので、彼女と彼女のボランティア活動の紹介を通じてブラジルの貧困生活者の窮状を高知の人、日本の人に知ってもらおう、そしてうつうつと過ごしている自分自身の突破口になれば、と思い取材を頼んだのであった。
 彼女の住んでいるサンパウロ近郊のファベーラは、着の身着のままでサンパウロへやってくる東北伯からの出稼ぎ人の多くが最初に住み着く場所である。彼女の子供が幼い頃は、畑が広がっていたそうである。サンパウロの都市化が進むにつれ、貧乏な人々が公有地などに勝手に小屋を立て住み着くようになり、ファベーラはどんどん膨張していった。それにつれ麻薬組織なども入り込み、貧困からくる犯罪の温床となりブラジル1治安が悪いファベーラとも言われていたこともあったらしい。4年ほど前から大分治安は良くなったものの、それでもまだまだ危険なことは変わらない。
 ミエコさんは、小柄ではあるが、いかにも芯の強そうな清楚な女性である。もちろん日本語、ポルトガル語とも流暢に喋る。かすかに土佐弁の残る話し方で、「ちょっと、行ってみましょうか」と言われ、まさか今日早速、ファベーラにまで行けるとは思ってもいなかったので、驚いた。
 待ち合わせ場所の学校から5分ほど行ったところで「この辺でちょっと車を置いておいた方がいいかもしれんね」と彼女がいう。見慣れぬ車だと駐車中に盗まれることがしばしばあるらしい。一緒に行ってくれた友人が車で待つ、と言ってくれたのでファベーラ近くまで行くことになった。車を止めた場所から道を1本隔てただけで、風景ががらりと変わった。それまのペンキやセメントで外装がきちんとした家から、レンガやブロックがむき出しで、板やビニールを無理やり貼り付けたような小さな小屋がぎっしりと密集している。まるで倒れるのをなんとかお互いがホローし合っているようである。人がやっと通れるような道が迷路のように入り組んでいる。まったく知らない人間だと入り込むと出てこれないだろう。道の横には下水がそのまま流れ、ドブ川の腐ったような臭いをかすかに放っている。
 彼女は1軒の小屋の前で立ち止まると、半開きになったドアを少し開け、「こんにちわエリザベッチ、いる? ヨランダよ、入ってもいい?」と声をかけると、中から声が返ってきた。「 ヨランダ、入ってもいいわよ」彼女の小さな身体がドアの中に消え、慌てて僕も後を追った。中はテニスコート半分ほどの広さで、半分には空き缶や、電気製品などゴミがそのまま投げたような状態でつみあげられ、コンクリートや石の瓦礫がごろごろと転がっていた。そのゴミの中に気の良さそうなこげ茶色の、中型の雑種犬が寝そべっていた。その奥に板とビニールで何とか作りましたといった感じの小屋があり、2人の女性が、洗濯をしていた。
「エリザベッチは?」と聞くと奥から声があった。「ここよ、入ってきて」
さらに奥にいくと一人の痩せた女性が、壁によりかかって1歳ほどの子供に乳を飲ませていた。彼女の痩せた身体と青い血管の浮き出た乳房に吸い付いている姿が視神経を刺激し脳裏にへばりついてきた。「写真を撮ってもいい?」ミエコさんが聞いてくれた。彼女はあっさりとニコニコしながら応じてくれた。乳飲み子を放して、身づくろいするかと思ったが、彼女がまったくそんなことをする様子もなかったので、改めて「撮ってもいい?」聞きなおした。「いいわよ」彼女は身動きもせず答えたので数枚シャッターを切った。乳飲み子が乳首に吸い付いたまま、驚いたように、眼を見開いてこちらを見ている。
 小屋の中には、電気製品はおろか、ガスコンロも何もない。唯一ベッドがあるだけであった。入り口近くに2つのブロックがあり、そこで炊事をしているのか黒いく焦げた後があった。
「泥棒が夜に入ってきて、フォゴン(ガスコンロ)から何からもっていちゃあたのよ」
 こんな何もないところに、入るような泥棒がいるのか? 驚いた。後でミエコさんに聞くと麻薬を買った代金を払わないのでその形に持っていかれたらしい。
 エリザベッチはもうかれこれ10年、この小屋に住んでいるらしい。6人の子供がいて2人は、もう別のところにすんでいる。夫は出て行ってしまったまま帰ってこないらしい。
 僕は、今まで何度かファベーラに行ったことがあるし、センテーラ(土地なし農民)の中で1週間ほど過ごしたこともある。しかし、これほどの貧困生活は送っていなかった。ただ、どこの子供も荒んだ目をしているのに、何故かエリザベッチの子供の笑顔はすさんでいない。何故だろう。
 エリザベッチの小屋を出ると、ミエコさんが「もう一軒行ってみる? それとももういい?」と聞いてきた。僕としては見れるモノはすべて見たかったし、写したかった。「お願いします」と答えると、彼女は頷き、更に奥に
進んでいった。
 


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