5・25 あの頃 (2010/05/26)
最近、一眼レフを買って写真を撮り始めたという友達にあった。ほぼ毎日セントロを写真を撮って歩いている、というと是非連れて行ってくれ、という。以前、日本からきた友人を、セントロを案内していて、襲われたことがあった。やはりカメラなんか持っていると狙われる可能性が高いので、メルカードムニンシパル(市営市場)に連れて行くことにした。去年あたりまでは、メルカードの写真撮影をうるさく禁止していたが、今年に入って規則が変わったのか何もうるさく言わなくなった。 カフェを飲んだ後、場内を歩く。思ったほど写真を撮ろうとしない。もういいのかな、と思っていると、「あなたはこれからどうするの?」と聞いてきた。もし、良かったら、もう少し街歩きをつきあおうかな、と思っていた。 「やっぱりそうなのね。私も一人で写真を撮るのがいいみたい。私、もうすこしここで写真を撮る。」と自己完結していたので、これで僕は帰ることにした。確かに写真は一人で撮るのが好きであるが、仕事でいつも人と一緒なので僕にはさほど気にかかっていなかった。別にここに来たのは自分の撮影のためではないし・・・。多分友人は僕のリズムが合わなかったのだろう。さっと撮ってさっと離れるという癖がついているので、よっぽど気に入った被写体がない限り、じっくり撮ってということはしない。街中でそれをしていると危なくてしょうがないし、仕事となると、時間とのおいかけあいなので、さっとポイントを選ぶ癖がついていた。 もう少し、友人のリズムに合わせてあげればよかったのかと、反省しながら一人残して、街中を自分の撮影しながら家路についた。 写真を撮り始めた頃は僕もあんな感じだったかな? と思いをはせた。撮るのも書くのも精神的な自分のお師匠さんと勝手に思い込んでいる人と一緒によく町歩きをした。二人でいつも写真を見せあい、ああだこうだと批評しあったモノである。彼も写真は撮り始めたばかりであったが、非常に感覚が良い人で常に僕より情感たっぷりの写真を撮り、悔しい思いをした。このころの訓練が今にも生きていると思う。本当にこの頃は写真に没頭しており、いつもカメラを枕元に置いてねていたし、考えることは写真と女のことだけであった。次第に自分でもいいな、と思える写真が撮れるようになり、お師匠さんにも「感覚がいいよ。でも感性だけだね」と言われ、非常に嬉しかった覚えがある。今では、そのお師匠さんは日本に帰ってしまい音信不通である。何度か連絡を取ろうとしたが、どこにいるのかも全くわからなかった。彼は今でもヘンテコリンな小説を書き続けているのだろうか?
 | すれ違う時に、母親に抱かれた子供の、僕をじっと見た大きな瞳が印象的でずっと後をおいかけたが、2度とそのチャンスは訪れなかった。残念! |
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