7・5 形見のテーブル (2011/07/06)
ずっとお世話になっていた方が亡くなった。亡くなったことを知ったのは葬式から2週間もたってしまってからであった。つい1ヶ月前に電話で話した時には、そんな兆候もなく元気そうな声だったので、なかなか信じられなかった。もともと心臓の具合が悪く、何回も救急病院に担ぎ込まれていたが、その度に生還していたので、ちょっと具合が悪そうだ、ということを聞いていたが、今回も大丈夫だと思っていたのだ。 ちょうど、その方と共通の知り合いにガルボン通りでばったり出会い、亡くなったことを知らされた。 「まだ若かったのにね。でも名前は残したからね~」その知人の言葉が耳に残った。 その方は、木の輪切りのテーブルを作っていた。日本の駐在員がたくさんいた80年代には、たくさんのテーブルを売り、バブル景気に乗り日本にも随分送ったようだ。このテーブルの木はエンブイヤといういわゆるブラジルの銘木で、樹齢数百の木で作った、厚さ15センチはある極厚のテーブルは深みがありなんともいえぬ味を出していた。僕も小さなテーブルをひとつもらっていた。 「もう、すべて処分しているから、好きなモノを持っていってもいいよ。もういいモノはないけどね」90年代に入り、駐在員は少なくなり、日本のバブルもはじけ、テーブルを買う人が激減してしまっているころであった。このテーブルが欲しくてたまらなかったが、とても僕には買えるような値段ではなかったので、飛び上がりたいほど嬉しかった。 今となっては、このテーブルが形見となってしまった。鈍い光を放つ、重厚なテーブルを見るたびに、大塚さんの明るい笑顔を思い出す。
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