2・29 たかが犬の散歩といえど・・・ (2012/03/01)
たかが犬の散歩、しかしサンパウロの散歩は何が起きるかわからない。 昨日の朝日があまりに綺麗だったので、今日は撮影の準備をしてでかけた。しかし、苦労の割には思うような写真がとれず、少しむしゃくしゃしていたのだと思う。 ぼーっと歩いていると、1匹の野良犬のような犬が近づいてきた。叩く振りをすると、その犬はさっと逃げたので、再び歩き始めると、一人の小柄な男が何か言ったのが聞こえた。よせばいいのに、思わず立ち止まり「これはあんたの犬か?」と聞くと、そうだという。将棋のような角ばった顔に細い目をしたこの男は朝の果物でも買いにきていたのか? それとも路上生活者か、いまいち見分けがつかない。 「条例で犬は散歩するときでも、つながなきゃいけないことになっているだろう!」 「なんだと!」男が詰め寄ってきた。妙に目が据わっている「犬はつながなきゃだめだろ!」「なんだと」ともう一度いいながら、男はわき腹あたりをさぐっている。ズボンに差して拳銃かナイフを持っているのだろう。不思議にまったく恐怖感がない。自分の顔から血の気が引き、髪の毛ふわっと逆立つのが解る。けっして恐怖からではなく怒りから? ボクサーは出血してもすぐ血が止まるという。僕のこのときの血の引く感じもボクサーの闘争心に近いモノだったと思う。一発触発になりかけたとき、後ろからきた肝っ玉おばさんふうの女性が「さあ、止めて、止めて!」といいながら、ごたごたに巻き込まれるのを恐れる風でもなく、歩くスピードを落とすことなく通り過ぎていった。 ふっと緊張の糸がきれ、我に返った。相手も気分をそがれたのか何もしかけてこない。これを契機に、僕はそのまま家路に足を向けた。後ろではじっと男の視線を感じたが、あえて振り向くことはしなかった。 このとき、僕は死ぬならいつ死んでもいいと思っていた。それはそれでいいんじゃない、と思っていた。喧嘩も度胸もからっきしなのに、一度腹が据わると、何も怖くなくなるところが僕にはある。自分でも何故、そんな気持ちになるのか解らない。戦場カメラマンにでもなっていたら、一番最初に死ぬタイプだろう。帰り道、あのおばさんに感謝した。運がよかった。あの男が拳銃でももっていたら、大変なことになっていたろう。うまく心臓にでも当たってくれれば簡単に死ねるだろうが、外れれば半身不随や一生困る怪我を負ったかもしれない。ナイフででも刺されたら、それこそ痛いだけで簡単には死ねない。あの目の据わり具合、そしてズボンに挿した凶器を探る手つきといい、かなり手馴れた奴で、もしかしたら麻薬をやっていたかもしれない。あの男の様子から言ってかなり危ない奴だったことは確かである。 しかし、未だに実感がわかず、恐怖心も沸いてこない。ぼくのようなひ弱で喧嘩もしたことがないような男は、こうしたごたごたからできるだけ遠ざからなければならないのに・・・・。だから身を守るために恐怖心は必要不可欠なものなのだ。 明日の朝の散歩はどうしよう?! 災難の可能性を避けるには当然散歩は休んだ方がいいだろう。ブラジル人は執念深いから、待ち受けている可能性も十分ある。でもね~・・・。そんなことが解っているのならやめればいいのに、行ってしまいそうな自分があるのがちょっと怖い。
 | 昨日はもっともわーんとしたパンタナールでみるような朝日だったのに! |
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