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南米漂流
     今日のブラジル 写真日記 (Photog...  (最終更新日 : 2023/01/16)
3・14 コミュニダーデⅡ

3・14 コミュニダーデⅡ (2012/03/15) さらに、タチアの家に向かう。タチアは一時期麻薬におぼれて、ガリガリに痩せ、まだ40前後にもかかわらず50を越えているようだった。それが、麻薬の売人をやっていてしばらく刑務所に入った旦那が帰ってきて、お互いに薬をやめてまっとうに生きようということになったらしい。それから、ぴたりと麻薬を止め、体重も増えまるで別人のようになった。当時の写真を見せると、「まるで別人ね。信じられない!」と言って本人が一番驚いたほどだ。
 偶然、4人の子供たちを学校に連れていく彼女とであった。子供たちは、母犬にじゃれる元気のいい子犬のようで、以前とは想像もつかないホノボノとした光景だった。着ている服は決していいものではないが、以前とはくらべものにならないほどきちんとしている。いつも僕の顔を見ると、「飴! 飴ちょうだい!」とねだってきた女の子も随分大きくなっている。どの子も肌が白く顔が荒んでいないせいか、見ただけではファベーラに住んでいるとはとても思えない。
 僕はコミュニダーデの子供たちで、顔が荒んでいる子を見たことが無い。確かに皆貧乏で生活は下の下かもしれないが、母親は心から子供たちに愛情を注ぎ、子供たちはその愛情を一身に受けて育つ。日本で言えば、昔の長屋であるから、子供たちは朝から晩まで外でのびのびと遊べるし、荒みようがない。むしろ、ちゃんとした家に暮らす下級クラス以上の子供たちの方が、外で遊ぶこともできず、不健康でストレスを抱えて暮らしているかもしれない。半端に貧乏な人たちは、守る生活があり、守る家があるから、ついつい夫婦の喧嘩も増えるだろう。そうするうちに子供たちはますますストレスを感じ、家を飛び出しストリートチルドレンになってしまう子もいる。一方、コミュニダーデの人たちは、ほとんど守るモノがないし、クレジットカードが作れないからローンもない。コミュニダーデの生活は皆同じような貧乏生活だから貧乏を恥ずかしがる必要もない。とは言っても、子供たちの中には、成長するにつれ、貧乏の辛さをしるようになり犯罪に手を染めていくことも多々あるようだ。コミュニダーデに住んでいると解ると、なかなかちゃんとした会社では雇ってくれないのだから。
 タチアが「娘が帰ってきて家にいるから会ってやって」と言う。娘は麻薬を覚え、家を飛び出していたのだ。タチアの話では、セントロ付近で売春をしているようだ、と以前言っていたことを思い出した。僕もこの娘のことはよく覚えていた。一番最初にコミュニダーデに連れてきてもらった時に、ゴミ置き場のような家の中で写真を撮らしてもらったからだ。そのときの、やるせない彼女の寂しげな顔は僕の頭の中にずっとひかかっていた。
 彼女の腕には、ヘタクソな字で「TATIA」と刺青がしていて、これは誰の名前? と聞くと「ママイ(お母さん)」という答えが返ってきて、母親が大好きなのだな、と思ったものだ。その彼女が出て行ってしまったということを聞いて僕も心配だった。タチアも随分探したようだが見つからず、「自分には他にまだたくさんの子供たちがいるから、彼らの面倒をみなきゃだめなの。もう、あの娘のことは放っておくしかないわ」とすっかり諦めていた。その娘が帰ってきたのだ! 僕も嬉しくなった。
 小屋に行くと、娘が子供を抱いて出てきた。あの時折見せる、恥ずかしげな笑顔は同じだった。「お母さんは随分心配していたんだよ。僕も心配した」解っているという風に彼女はにっこり笑ってうなずいた。子供を見る彼女のまなざしは聖母様のように神々しかった。父親はしばらく一緒に住んでいたが、どこにいってしまったか解らないらしい。ふと、彼女の将来を考えてしまったが、今そんなことを考えてもしょうがない。前を向いて今を1歩1歩生きていくしかないのである。


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