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南米漂流
     今日のブラジル 写真日記 (Photog...  (最終更新日 : 2023/01/16)
3・15コミュニダーデⅢ

3・15コミュニダーデⅢ (2012/03/16) 「いる?」がっちり閉められた分厚い木のドアをヨランダさんが軽く叩いた。この家は初めて訪問する家である。「誰?」家の中から、しわがれた女性の声が返ってきた。「ヨランダよ!」と彼女が答えると、ドアが開き、赤いパジャマのような上下の服を着た中年の女性がひょこり顔をだした。きょときょとと目の動きが速く、なんとなく普通ではない。
「もしよかったら、写真撮らせてくれないかしら」とヨランダさんが聞いてくれた。貧しい人たちのボランティアをしたいという人はおおいのだが、なかなか実際、貧しい人たちの家に1軒1軒足を運ぶのは難しい。貧しい人々がどういう生活を送っているのかをボランティアの人々が知るのこうした写真も役立つのだ。  
 ここの家には精神障害の女性が二人いて、年老いた母親が二人の面倒を見ながらほそぼそと暮らしていた。コミュニダーデでは、地方から来た人々が多く、地方にいる親類がサンパウロにいる親類を頼って来る傾向が強い。そうするとどうしても親類同士が固まってお互いに助け合いながら生活をするようになってしまう。そうするうちに、親類同士で結婚することも多くなり次第に血が濃くなる。そして障害を持つ子供が生まれる確率が高まってしまう。悲しい現実である。コミュニダーデにはかなりの確率で精神障害の人々がいる。貧しい生活の上に、障害者の世話になると大変だ。こういう家庭になると、写真を撮るのがどうしても躊躇われる。できれば、貧しい中でも明るく生きる人々、そんな写真を撮りたい。しかし、現実を人々に知ってもらうにはこうした写真が必要なのだ。最初に来たときには、興味本位ではなかったといえば、嘘になる。しかし、何回か通っているうちに単なる興味本位では写真を撮ることができないことが解ってきた。。人によっては、こんなシーンまで撮っていいのかと思えるシーンを見せてくれる。シャッターを押す指が重い。しかし、この写真で少しはお手伝いをできる可能性もあるのだ。特に、今回のコミュニダーデの訪問で写真を撮る意義を考えさせられた。
 30半ばから後半と思しき2人の娘は、鳥がさえずるような声を発しまるで別世界にいるようだった。時折、奇声を発すると、母親がやさしくさとした。近所の男が単に性欲を満足させるために、娘に悪戯をし、子供ができたそうだが、彼女は一切世話ができず、結局老母が世話をしているとのことであった。このような2重苦、3重苦の生活を強いられながらも、老母の雰囲気には品があり、とてもコミュニダーデに住んでいるような雰囲気は感じられなかった。こんな生活をしていたら日本人だったら、きっと無理心中を考えるだろう。宗教観の違いもちろんあるだろうが、ブラジル人の精神力の強さ、生命力の強さを感じた。
 久しぶりに行ったコミュニダーデにはいろんなことを考えさせられた。


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