5・29 東洋人街から中国人街へ (2012/05/29)
東洋人街のリベルダーデが変わりつつある。10数年前には、日本人街と呼ばれていたと思うが、東洋人街と呼ばれるようになって久しい。 僕がペルー、ボリビアを経て、サンパウロに来た20年ほど前には、リベルダーデでは日本語が飛び交い、ポ語が全く話せなくてもこの街では日本語だけで十分やっていけた。ほとんどスペイン語もポルトガル語も話せない身には、南米諸国の旅行からたどり着いたリベルダーデはオアシスのように感じたものだ。 それが、だんだん韓国人が増え、次に中国人が怒涛のように押し寄せ、街で聞こえる言葉も日本語よりも中国語が増えてきた。中華レストランができ、続いて、中国人オーナーの雑貨屋、食品店、そして美容院までもでき、日本人はどんどんおいやられ日本人経営のお店はトンと少なくなってしまった。今では、中国の旧正月には盛大に中国のお祭りが行われる。 それでも、ブラジル人の間では、未だにリベルダーデはバイロ・デ・ジャポネース(日本人街、区)と呼ばれている。彼らにとっては、中国人も日本人も同じようなものだから、中国人が増えようが、日本人がすくなくなろうが、あまり関心がないのである。 つい最近、中国人がリベルダーデ中の土地を買いあさっている話を聞いた。現金で買い叩いているらしい。この現金攻勢に負け、ある日本人の土地持ちも売ったようだし、おそらく街の半分以上は既に中国人のものになっているのではないだろうか。 長年、サンパウロにすんでいる身には、日本人街が中国人街に変わっていくのを見るのは寂しいが、それも時の流れであるなら仕方のないことだろう。ちょうど、日本国の没落と中国の繫栄が、サンパウロの東洋人街でもおきているのである。
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