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南米漂流
     今日のブラジル 写真日記 (Photog...  (最終更新日 : 2023/01/16)
11・10パーティ写真 [画像を表示]

11・10パーティ写真 (2013/11/11)  子供の1歳誕生日の撮影の仕事を終え、クタクタになって家に帰り着いた。それにしても今日はよく写真を撮った。
 僕の知人のカメラマンはこうした誕生日やパーティの撮影は写真がダメになるから断るという。確かに写真に妙な癖がついたりすることもあるので彼が言うことも理解できる。人見知りが強いので僕も、できればこうした写真はあまり撮りたくないが、なんとかやっと生活している身にはそんなことは言ってられない。写真を撮ることでお金を稼ぎたいし、写真を撮ることしかできない不器用な人間だから他のことは何もできない。
 パーティ写真を撮ることは、仕事というよりは修行のような感じである。どこまで手を抜かずに自分の写真を撮り切れるか、そう考えて撮ると結構面白い。納得いくまで、文句を言われることもなく人や子供の写真を撮れるし、いろんな試写をすることもできる。場面に応じて素早く対応できる経験を積むこともできる。こうした経験が、雑誌や新聞の仕事や作品用の、街でのスナップ撮影に生きるのである。さらに嬉しいことに、僕の撮った写真を、おそらくその家族は一生もっていてくれる。そう思うと、撮る価値は僕にとって十分以上にある。
 今までは、支払が悪いかったり、自分の使用人のような扱いを受けたことがあったのでブラジル人の仕事は受けていなかった。一度、日本人から紹介され、中流ちょい上クラスのブラジル人の仕事を受けたことがあった。その家族は僕に非常に気を使ってくれ、支払は撮影後すぐにしてくれたし、対応も非常に良かった。僕の写真を非常に気に入ってくれ、それから、その人の紹介でポツポツとブラジル人の仕事も受けるようになった。
 日本では普通のことであるが、僕は、時間に正確だし、熱心に写真も撮る。そのうえ写真のできも水準以上となると彼らにすれば安いモノなのだろう。逆に言えば、それだけこうした写真を撮るブラジル人のカメラマンのレベルが低いと言える。ほとんど素人に毛が生えた程度だと思う。
 人から見れば、僕はすごく熱心に写真を撮っているように見えるらしい。しかし、僕の頭の中では仕事として撮っているのではなく、自分の修行として撮っているのだから、自然に一生懸命になるのは当然である。自分のために撮っているのに、よく仕事をしているように見てもらえる、まさに一石二鳥である。

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壁とか飾り付け台との間にはスペースがあって、誕生日を迎えた子供や家族がそこに入り、作り物のケーキの蝋燭に火をつけて消すセレモニーを行う。招待された人々は周囲に集まり誕生日を祝う。セレモニースペースとでもいえばいいのか?

 


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