5・3 高野潤「アマゾン漂流生活」 (2014/05/04)
高野潤氏の「アマゾン漂流生活」を読んでいる。凄い、おそらく、日本人でこれほどブラジルアマゾンよりさらに上流アマゾンを歩いた人はいないのではないだろうか? マナウスで以前、自分はアマゾンのほとんど歩きつくしたという日本人に会ったが、いかにもそのことを自慢している感じが強かった。「どこに行って来たの?」と聞くので「パレンチンスの奥のインディオの友人の所に」というと「そんなの全然すごくないよ。僕は・・」といわれた。別に僕は聞かれたので答えただけなのに、そんなにけなされるようなことは何も言ってはいないつもりだったので、急速にその人に対する関心が失われ、もうそれ以上話をする気にもならなかった。 高野氏には、かれこれ20年ほど前に、コロンビア、ボコタのホテルで会ったことがあった。同じ日本人だということで軽く頭を下げたくらいだった。僕より15歳上の方だから、その頃、氏は40代初めだったはずである。中肉中背で、なんとなく深い影、孤独を背負っているように感じた。人を寄せ付けない雰囲気があった。後で、一緒にいた、コロンビアに住む知人の日本人によると、「あの人は高野さんという人でカメラマンらしいよ。アマゾン奥地に入り込んでいるらしいけど、一体何をしているんだろうね? 麻薬にでも手を出しているのかもわからんよ」という話だった。日本にいるとき、ペルーの奥地に入って原住民の写真を撮った氏の写真集をみていたので、話をできなかったのが、残念であった。 サンパウロに帰ってきて、高野書店で高野潤氏の本を見かけたので、今は亡き主の高野さんに高野潤氏を聞いてみたところ「うん、ときどきここにも来るよ。変わった男だね~」と言って笑った。 「アマゾン漂流生活」を読む限りでは、写真を撮影するためにアマゾンに入っていたことは何も書かれていない。というより何をするためにアマゾンに入っているのか書かれていないのである。人を雇って、小さな支流などにも入り込んでいるようだから、植物か何かの調査をしていたような感じがする。これからさらに氏の書いた本を読み進んでいくうちに解るだろう。 今更、アマゾンの奥地やペルーの奥地に入り込むような体力も、若さも、勇気も、そして資金もない。もっとも、たとえ若くても、吸血虫や毒ヘビ、伝染病の溢れるアマゾン奥地に分け入っていくような勇気はない。情けない話であるが、サンパウロに住みながら、ときどきブラジルを中心とした南米の町をふらふらと旅行をするのが僕には精一杯である。それだけに、高野氏には強くあこがれてしまう。
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