7・17 「昭和」的人間 (2014/07/16)
日曜のフェイラでの出来事を、友人に話すと「ブラジル人に対応できるように努力した方がいいでしょうね~。そうじゃないと腹が立つことだらけで、ブラジルで住むのは辛いですよ」 つまりブラジル人に慣れろ、ブラジル人に溶け込め、ということである。さらに突っ込んで少し大げさに言えば、「日本人的意識を捨てろ」と言う事である。はっとした。僕は、ブラジル人の中に溶け込むために、日本人的感覚を捨てるつもりはさらさらない。むしろ、大切に残していきたいと思っている。そう考えると、ブラジル人からみれば、卑屈に見える行動も、日本人的な行動といえないでもない。確かに、ブラジル人の中で暮らしていて、彼らの考えのないずうずうしさ、利己主義に腹を立てるなら、自分もブラジル人的にやって行けば、腹の立つことも少なくなる。友人の言い分も、もっともなことである。 しかし僕は、日本人としての良さはずっと自分の中に残しておきたい。そのためなら少々ラジル人に腹を立てることになっても仕方がないと思う。もっとも、日本の日本人自身がどんどん変わり随分利己的な人間が増えているようだし、実際、日本に帰る度に「変わった」と感じることが増えている。 「日本的て?」と問われれば困ってしまうが、敢えていうなら、僕が産まれ育った「昭和」的なということになる。今の日本の若者から見れば、「昭和」日本人の感覚とブラジル人の感覚が交じりあった僕は現代日本人の感覚からは程遠い「変な日本人」になっているのかもしれない
|