9・29「魔が差した」 (2014/09/29)
日系人と日本人、3人で話している時に、サッカー試合中の人種差別ヤジですべてを失った女性について聞いてみた。 「あれは、当然でしょ! 」 「でも、サルとヤジを飛ばしただけで、職を追われて、家を追われて、皆でよってたかって追い詰れるのはおかしいと思うけど」と僕 「そういうことをされたくなかったら、そんなヤジを飛ばさなければいい!!」 「・・・・」 日本人の友人も彼に同調するようなことを言っていたので、僕の彼女を擁護するような考え方が一般的でないのであろう。 僕も決して人種差別発言・ヤジを擁護するつもりはない。しかし、サルと言っただけでここまで追い詰める人々の行動には異常な感じを受ける。ヤジにきれいな言葉のヤジがあるだろうか? でも確かにヤジだから汚い言葉を吐いて良いわけでは決してない。日本の、議会での中傷ヤジは僕も許せないがサッカー場でのヤジはまだ許せる。なぜなら、議員は大衆の代表的な人々で少なくとも人間的に立派な?人達であるはずだし、議会場はヤジを飛ばすようなところではない。一方、試合場は、野球にしろ、サッカーにしろ、敵チームにヤジを飛ばすのは普通だ。しかし、選手にとっては試合中の失敗のことならいざしらず、人種的な差別ヤジは辛いかもしれない。 彼女が「ついうっかり」サルのヤジを飛ばしたのかわからないが、ほとんど何も考えないでヤジを飛ばしたのだと思う。 僕は、ときおり自分でも思ってもしないようなことを口走ることや、行動をとるときがあるので、たいていのことは、1度は許すし、「魔が差した」、なんてことも十分ありえると思っている。 しかし、今の世の中は、「魔が差した」「そんな気はなかったんだけど・・・」「ついうっかり・・・」なんてことは許されないきつい~い世の中になりつつあるような気がする。十分気を付けなければ!
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