9・27 父の老い (2015/09/26)
息子と一緒に電話会社に言ったおり、待合室の椅子がひとつ開いていた。息子が座れと僕に合図した。 つい前までは僕が息子を席に座らせていたのに知らない間に立場が逆転してしまった。気が付くと息子は、身長がぼくより10センチ以上高くなり、毎日ジムに通って筋肉質のがっちりした体つきになっていた。 もし息子が、譲らずにさっと座ったら座ったで、腹立たしかっただろうが、譲られたら譲られたで、自分の老いを痛感させられ、妙に寂しい気分になった。 極めつけは、バールでペットボトルの水を飲もうとしたときであった。固くて僕には開けることができなかったので、息子に渡すと、いとも簡単に開けてしまった。随分昔の同じような場面を思い出した。それはちょうど今日と同じように、僕と父とが出かけた時のことであった。父はペットトルの水を飲もうと蓋を開けようとしたが、僕と同じように開けることができず、ボトルを僕に渡してきた。蓋は簡単に開き、父に渡した。 このとき、20歳ころまで僕より力が強かった父が、いつの間にか僕より力が弱くなっていることをしり、寂しくなった。息子もこの時の僕と同じように寂しさを感じたのであろうか? 「ちょっと硬かったよ」とそういいながら薄笑いを浮かべた。
|