6・27 貧しい生活と自由 (2016/06/26)
アパートの前にいる路上生活の男は、なかなきちんとしていて、毎朝掃き掃除をして落ち葉やゴミなどを集めている。他の路上生活の男たちは日向ぼっこをしながら、うだうだと文句を垂れている。人は見ないようで、結構みているものである。たぶんそのうちに、この気まじめな男に誰かが仕事を回すのではないだろうか。 一時期、貧民街の人々の写真を撮りに通っていたことがある。もう数年前になるがその入り口ではいつも数人の若者たちがたむろし、貧民街に出入りする人を監視していたような感じであった。治安の悪化で、敵対する麻薬組織の攻撃や警察の手入れがもっと激しくなっているだろうから、今はもっと厳重であろう。住民たちの写真を撮って紙焼きしてあげたらよろんでくれた。皆気のいい人たちで行くとコーヒーを進めてくれたり、声をかけてくれた。しかし、お金のことになるとそんな彼らも一変した。 いろんなボランティアが食料品や毛布などを援助してくれているようで、そんな状態に慣れた多くの人々は、日がなぶらぶらしていて働かないし、食料品をあげるから、取りに来てと言ってもとりにも来ない人も結構いるようだった。面白いことに、年上の妻を持ったぶらぶらしている若い夫が多かった。「奥さんは?」と聞くと、「働きにいってるよ」と退屈そうに答えてくれたものだ。貧民街に住んでいると、なかなか良い働き口がないことは確かである。あるのは掃除夫や家政婦などの3K仕事や嫌われる仕事ばかりで、そんな仕事はいやがって働かない人もいた。ボランティアの人に聞くと「仕事を探してあげても、盗みをはたらいたり、きちんと働かなかったり、で、結局、彼らを人に勧めることができないの」と顔を歪めた。 僕が見ただけでも、何もしないで、ボランティアの人たちが援助を持ってきてくれるのを待っているような人が多かった。とはいうものの、僕の通っていた貧民街ではあまり多くなかったが、朝から晩まで懸命に働いて、少しでも生活を向上させようとしている人ももちろんいた。 誰にも束縛されない貧乏の暮らしになれるとある意味本当に貧民街での生活は暮らしやすい面もある思う。子供たちも、中流クラス以上の家庭の子供たちは誘拐などを恐れて外で遊ぶこともできないが、貧民街の子供たちは路地を駆け回って元気に遊んでいる。お金がなくてままならない大変な生活だし、麻薬組織が牛耳っていて危ない生活だが、良い面だけを見ると江戸時代の長屋のような気やすい自由な生活があることは確かだ。
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