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南米漂流
     今日のブラジル 写真日記 (Photog...  (最終更新日 : 2023/01/16)
3・21 お金を渡すむずかしさ

3・21 お金を渡すむずかしさ (2017/03/21) ノーベ・デ・ジュリ大通りに架かっている陸橋を渡っていると、向かいからやってきた日系人らしき眼鏡をかけたおばあちゃんが近寄ってきた
「セニョール、セニョール・・・」
別段、危険な感じはなかったので立ち止まると
さらに近くにやってきて、周囲を見渡し,まるでこそこそ話をするかのように話しかけてきた。「ちょっと助けてくれない?」いかにも人目を忍んでという小さな声だった。
青いカーディガンに茶色のズボン、決してして貧乏じみた格好ではない。一瞬、10年ほど前にメトロ・パライゾ駅で日系人にお金を請われて2レアルわたしたことを思い出した。その頃はちょうど昼時間で、彼は、これじゃー飯も食えないといい、僕からさらに3レアル巻き上げた。この時、僕は10レアルしか持ってなくて、結局、僕が昼飯を食べることができなくなった。図々しい男に、言われるままにさらに3レアルも渡したことに、後になって非常に腹立たしかった。何故、じゃーあげない、といえなかったんだ! 自分の気の弱さが、彼に腹を立てる以上に腹立たしかった。
 このときの苦い思いが蘇ったのだ。むっとした顔をして何も言わずにそのおばあちゃんを通り過ぎた。おばあちゃんに声をかけられて大分して、後悔しはじめた。やっぱり少しでもあげたら良かったんじゃないかな? しかし、ここでまた別の考えが頭をもたげた。今まで、きちんとした格好の人にお金を請われ、何度かお金をあげようとしたが、彼らは高額のお金を要求してきた。1レアル、2レアルくらいなら出す気もあるが、数十レアルなんて渡す気はさらさらない。そのまま渡さずにその場を離れたことが何回もあった
 しかし、考えれば考えるほど、過去の経験の思い出はお金をあげなかったことへの言い訳ででしかない、という気になってきた。もし、このおばあちゃんに1レアルわたしたら、大喜びしてくれたかもしれない。1レアルでも2レアルでも渡せばよかった。そう思うと、お金を渡す前にあれこれ考えてわたさなかったのは、僕の間違えだった、言う結論にいたった。
 普段は、請われれば、できるだけ渡すようにしている。渡すと言っても小銭ばかりではある。僕もやっと生きているような状態であるから、渡すのは、多くてもせいぜい2レアルである。それ以上は渡せないし渡さない。
 単にお金を渡すだけなのだが、タイミングが意外に難しい。できれば、あげているんだぞ! という感じでなく、相手に気を使わせない程度に、そっけなく渡したい。貰う側の人間は何も考えていない、と解っているのだが考えてしまう。小さい頃から、人にお金を渡し慣れていないので、くだらないことをつい考えてしまうのだろう。 麻薬や酒を買うストリートチルドレンや酔っぱらいにも渡さない。そういうことを考えているとつい渡しそびれてしまう。


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