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     今日のブラジル 写真日記 (Photog...  (最終更新日 : 2023/01/16)
9・1 おじいちゃんの老い [画像を表示]

9・1 おじいちゃんの老い (2017/08/31) 今朝は曇っているものの雨は降っていなかったので、2日ぶりに犬の散歩に出かける。リベルダージ広場で折り返し、復路を快調に進んだ。アパートが近づき、ほっと一息ついたところでマリア像を担いで修行僧のように毎日散歩するおじいさんの後ろ姿が目に留まった。

僕が散歩を始めた6,7年前には、おじいさんは、60cmほどのマリア像を右肩に担ぎ右手手で抑え、左手には、鳩の餌用のパン屑袋を提げてしゃんと背筋を伸ばして歩いていた。ところが2年ほど前から右手に杖を持つようになり少し足をひきずるようになってしまった。こころなしか、背筋も曲がってきたような気がした。今年に入ったころからマリア像を肩からおろして休む姿がしばしば見られるようになった。そして4か月ほど前にはおじいさんの肩からマリア像が消えた。足を引きずるのもはっきりわかるようになっていた。右手に杖、左手に餌袋を提げ、はっきりわかるほど背が曲がったおじいさんの後ろ姿には人生の晩秋が感じられた。
 僕の犬の後ろ脚が萎えてしまい、一時期、超スロースピードで散歩をしていたことがある。このときは、もし散歩を止めたら犬が歩けなくなることが解っていたので、何とか少しでも歩かそうと僕自身も必死であった。そんな時、あまりに遅い僕らの様子を見て、おじいさんが立ち止まって声をかけてくれたことがあった。おじいさんの声が小さかったことと、僕も犬のことで頭が一杯だったので、何と言ったのかよくわからなかった。わからないまま「ありがとう」と言って通り過ぎた覚えがある。長い間、散歩のたびに、ほぼ毎日顔を合わせていたが、声を聴いたのはこのときが初めてのことだった。

 今朝も、一歩一歩ゆっくり歩くおじいさんに追いついた。後ろを歩いていると、最初は、足に隠れて解らなかったが、鉄製の杖が街灯に反射しきらりと光った。そこで初めて左手に新たにもう1本の杖が握られていることに気が付いた。自分が年をとるのも悲しいが、毎日見かける人が老いていくのを見るのも悲しい。老いが始まると急激においていくのが目に見えて解るので辛い。考えてみれば、うちの父の場合も老いを感じてからのスピードは速かった。老いというものはそんなものなのだろう。身体に潜んでいた病気が老いとともに弱くなった体内で急激に拡がるのかもしれない。
 昨日は、ブラジルで最もお世話になった人が、全く知らない間に逝ってしまったことが3か月後の昨日わかりショックであった。その方は肺炎で入院していて、たまたまガンが発見され、そのまま逝ってしまったらしい。肺炎で入院していたのは知っていたので、そろそろ退院したかな、と思い電話をした矢先にこの知らせを受けた。
 僕自身、20代の頃は35歳になるまで死ぬんじゃないかと思っていたので50歳を越えて未だ生きていることは思いもよらなかった。周囲の人が次々と亡くなっていくのを見て、自分の死が1日1日刻一刻と確実に近づいているのを感じる年齢になったのだ、と思う。

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犬たちも年をとった。雌犬アズミはヘルニア持ちだし、雄犬ニンジャは後脚がよれてほとんど歩くことができなくなったことがあった

 


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