10・17 悪い癖 (2017/10/16)
長い間毎日使っていたモノが動かなくなるのは悲しい。それはモノの常なのだろうが・・・。 人の身体でさえ、何十年も生きていると具合が悪くなったり、機能しなくなるのだからそれは仕方がないことである。 今日は、古いカメラをとりだして、夕の散歩撮影に携帯していく。時には、サブカメラとして持っていくこともあるから、行った先で動かない何てことになると大変なので確認しておく必要がある。一応、サブカメラとして持っていく前に、動作を軽く確認しているが、時々は実際に外で写真を撮ることも必要だと思ったからだ。 以前使っていたこのカメラはまだまだ現役で使えるものの、今のものと比べると2世代ほど古い。何枚か写真を撮って見て、カメラのモニターの色が悪くて驚いた。一眼レフカメラはデジタルの時代になり一時は日進月歩といった感じであった。最近は技術がほぼでつくし一眼レフの進歩は遅くなったが、このカメラを買った時は技術の進歩がまだ速かったころだから余計そう感じるのかもしれない。イメージはPCで見て見ないと解らないがどうだろう。このカメラの画素数は1200万画素で現在使っているカメラは3600万画素と約3倍もあるから、当然画質も今使っているカメラの方が良いだろうが。 僕の悪い癖で、古くなって使わなくなったカメラは家の中でずっと置きっぱなしでホコリを被っている状態になっている。以前は人に差し上げたりしていたが、それが売られていたことを知ってそれも止めた。もう、あげたものだから、売ろうが捨てようが、それは貰った人の勝手である。解っているから何もいわないが、大事に使ってくれると思ってあげたものが売られていたのを知って悲しかった。 自分が売ることもできないので、結局手元に置いて、それこそ朽ちていく。そして動かなくなる。まったくのゴミとかしてしまう。元の製品としては良いものだからブラジルなら、捨て値同然なら売れる可能性もある。しかし、そのカメラがうまく機能しない点など癖を知りつくしているから人には売れないし、愛着がしみ込んでいるからやはり売れない。しかし、ゴミとなるよりは、動かなくなるまで誰かに使われていくのが器械にとって幸せだろう。 結局、いまのところ、人にあげる踏ん切りも、売る踏ん切りもがつかないから、できるだけ持ちだして使っている状態である。悪い癖である
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