10・23 ブラジルの心な信者たち (2017/10/22)
いつも、朝の散歩で出遭っていたおじいさんをみなくなった。マリア像をいつも担いで歩いていたから覚えていたのだ。見なくなって、もう、かれこれ2週間ほどになる。 去年あたりから、このおじいさんは、足を悪くしたのか、マリア像を担がなくなっていた。片方の手にハトにやる餌のパン屑が入った白い大きな袋を下げ、もう一方の手で杖をつきつき歩いていた。その後、さらに足が悪化したのか、杖は2本になり、両手で杖をついて歩いていた。それが、最近みなくなってしまったのだ。もしかしたら、杖をついて長距離を歩くのが難しくなったのかもしれない。元気に暮らしていればいいのだが。 散歩の途中に、いつもジョン・メンデス広場にある教会前を通る。この頃、教会の前で、一心にお祈りするおばあさん見かけるようになった。150cmほどの小柄なおばあちゃんが、まだ明けきらない光の中で、胸の前に手を置いてお祈りしている。小柄なおばあちゃんだが、教会の前には何もないので目に付く。何か困ったことでもあるのだろうか? 僕は、宗教の信者ではないが、その人がお祈りやお布施をして、気分がすっきりしたり、明るい気持ちになれるのなら、それは良いことであると思う。ただ、信者からのお布施を宗教の上層部の人間が自分の欲望のために使用したりするニュースを聞くと腹立たしい。ブラジルのような荒れた国だからこそ、宗教は必要なのだろう。こいつは、良い奴だな、と思える人間はたいていどこかの宗教の熱心な信者である。知人のブラジル人と話していると、カトリックの信者や、プロテスタントの信者である人が意外に多い。友達に言わすと、こうした宗教の熱心な信者が少ないながらもいるから、ブラジルはなんとか成り立っているのだ、という。路上生活者に炊き出しをしたり、古着を配ったりする人を見ると、確かにそうだ、と思ってしまう
 | この陸橋でおじいちゃんは、いつもハトにパン屑をやっていた |
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