2・8植物学者、橋本先生の想い出 (2018/02/07)
植物学者、橋本梧郎先生が中心になって活動していたサンパウロ博物研究会の会館に数年ぶりに行ってきた。先生が亡くなって今年でちょうど10年。この間、数度いったきりであったから、建物は随分朽ちてしまっただろうな、と心配していた。しかし、会館は、現在の博物研究会の会長吉岡さんの管理が良いせいか、当時のままで変わっていなかった。 書庫や会館のロビーはそのままで、ひょっこり先生が顔をだしそうな感じさえあった。朽ちるのが早いブラジルで、10年もほぼ同じ状態を維持できたのは、吉岡会長と会員の尽力の賜物であろう。先生が存命中には毎年行われていたキャンプも未だに続けていると聞いて驚いた。当時と比べれば縮小はしているものの活動を継続している研究会を見て、まるで未だに先生が生きているようであったし、氏の影響力の大きさを感じた。 会館と住居していた家の周囲には、植物がうっそうと繁茂し、その一帯はまるで別の時間がゆったりと流れているようであった。当時、植えられたばかりだったソテツが青々とした葉を広げ大きくなっているのを見て、10年という長い時間が経ったことを改めてしらされた。 先生には、いろいろお世話になった。僕が知った頃の80数歳の先生は、紳士で博学、カッコいい老人だった。金のない僕に何かと気をかけてくれ、会館に行くと、近くのレストランに連れていってくれた。アルゼンチンのパタゴニア横断旅行にもご一緒させてもらい、なんとも印象深い日を体験した。 亡くなる何日か前に呼ばれて写真を撮った。きっと先生は、自分の遺影を撮っておこうと思って僕を呼んだのだと思う。もう、その頃は、まっすぐ椅子にすわることもできず、フォトショップで身体の傾きを修正した。その写真は妙に生々しかった。その時は気が付かなかったが、もしかしたら、死相がでていたのかもしれない。 先生が亡くなり、お葬式の前にその写真を現像してとどけた。しかし、お葬式に行くと、使われていたのは、お元気な頃に写していた写真であった。使われていないことにむっとしたが、死相の出ているような生々しい写真よりは元気な写真の方が、見る人にはずっと気持ちが良いだろう、と思い直した。別に腹を立てていた訳ではないが、そんなことがあって会からは自然に足が遠ざかっていった。
|