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南米漂流
     今日のブラジル 写真日記 (Photog...  (最終更新日 : 2023/01/16)
3・7 朝の散歩に見る人生のはかなさ

3・7 朝の散歩に見る人生のはかなさ (2018/03/06)  毎朝、同じ時間に同じ道を散歩していると毎朝出会う人々がほぼ同じになってくる。挨拶を交わす仲でもないが、しばらく遭わないと、「あれっ、どうしたのだろう」と、ちょっと心配になる。向こうの方にしてもダックスフンドを2匹連れて歩く東洋人は目立つようで僕の事を覚えているようだ。
 最近、みかけなくなったのが、1mほどのマリア像を担いで歩いていたおじいちゃんだ。もう、大分のお年だったようで、去年の年始ころまではマリア像を担いで杖をついて歩いていたが、夏ごろにはマリア像が肩から消え、10月ごろには両手で杖をつきながら歩いていた。そして年末あたりから姿をみかけなくなった。急激に衰えていったようだから亡くなったのかもしれない。
 バナナを手押し車に一杯いれて売り歩くおじさんも見なくなった。僕好みのちょっとまだ青いバナナはなかなかおいしそうで、会う度に今度はお金をもってきて買おう買おうと思っていたが気が付けば見なくなった。
 大分御年のおばあちゃんが両手で杖を突きながら、1歩1歩噛みしめるように歩いていたがこのおばあちゃんもいつの間にかみなくなった。やはり亡くなってしまったのかもしれない。
 ブリガデイロ大通りの角で果物を売っていた40ほどの男性も消えてしまった。リンゴの木箱を縦にしてその上にプラスチックの浅い容器をおいて薄くきったパイナップルを小さなビニールに入れて売っていた。彼はいつも傍の街路樹の横で人の来るのを待っているだけであった。こんなので商売になるのかな、と思っていたが朝食代わりに買って行く人がいたようで結構売れていた。しかし、長引く不況でどこかに行ってしまった。
 いつも見かけていた人がまた一人、また一人と消えて行ってしまうのは妙に寂しいが、代わって新しい人々を見かけるようになった。
 自分で作ったリヤカーで寝起きする4,50歳のゴミ回収男性は、僕が横を通る度に、「ボニートな犬だね」と犬たちを誉めてくれる。カラフルなスェットシャツを着た2人のおばさんは毎朝、健康のためにウォーキングをしているようで、僕が散歩を終える頃にすれ違うようになった。
 変わらぬのは路上で古着を売るおばさんだ。顔がいかにも意地悪っぽく態度も横柄なので、おばさんの横で雑貨を売っていたおじさんも反対側の歩道に移ってしまった。僕もできるだけ関わらないように横をあるいている。
 僕は人見知りをする閉鎖的な人間なので、これらの人とはほとんど挨拶も話もしたこともない。しかし、毎朝、会っていると、人の衰えていくさま、あるいは変わって行くさまがいあやでも見えてしまう。朝、ほんのわずかな時間ではあるが、そんな様子を見ていると、人生のはかなさを感じずにはいられない。


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