9・12 お祭り (2018/09/11)
教会の活動資金を稼ぐためのお祭りがモッカ地区で先週の土・日あった。このようなお祭りはいろんな地域で行われている。うちの近くだと、ビッシーガ地区やコンソラソン地区がそうだ。 うちの近くのお祭りは数回行った覚えがあるが、モッカ地区は初めて。おそらく内容はさして変わりがないと思っていたが、より庶民的で見るだけでけっこう面白かった。 お祭りが行われていたのは袋小路で、イタリア料理を中心に売るテントが張られ、ちょうど学園祭の模擬店のような感じで教会の信者が料理を売っていた。 チケットを売りの窓口に長蛇の列でき、お祭りに来た人々は皆辛抱強くならんで買うのを待っている。並んでいるうちにしったのだが、各テントではお金のやりとりはなく、どうやら、プリペイドカードのようなものを使って各テントで支払をするようだ。それにしてもこの遅さ、果たしてカードシステムにする意味があるのだろうか?? ブラジル人は扱い切れないのに、恰好の良さだけで新しいシステムを入れたがる。しかし、このシステムを導入して数年たつと、やっと使い切れるようになり、それがいつのまにか普通になるから、導入する意味はあるのだろう。 食べ物のテントだけでなく射的や小さな子供ようの遊具まで出ていて、小さい子供はどきどきしながら両親に連れてきてもらっているだろうな、と思うと、幼い頃連れて行ってもらった花火大会や境内のお祭りを思い出した。 お祭りの帰り時にはすっかり暗くなってしまった。ファベーラ(貧民街)のようになった場所や、危なそうな若者に遭いながら、どきどきしながら帰った。その道をボリビア人の少女サッカーグループや子供連れが会話しながら通り過ぎていく。ほんとうはそんなに危なくない場所でも闇はいっそう危なさを助長するし、貧しい人々の住宅街を歩くと目立つように感じる。だいたい、東洋人は誰一人としていないから余計目立つようだ。 無事、バスに乗った時には、ほっとした。今度また来よう。そのときは明るい時間に!
 | 射的。今みると全然たいしたことがないが、幼い頃は胸がときめいた。 真っ赤なリンゴ飴が売っていた。日本の縁日が懐かしい |
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