1・2元旦のセントロ (2019/01/01)
クリスマス、正月・・・、次第にこうした行事からどんどん離れていっている自分を感じる。本当はこうした季節の行事を祝うのが好きなはずなのに。 独りで暮らし始めたこと、友人・知人がどんどん日本に帰国していなくなったこともあるだろう。ブラジル人の友人からしばしば誘われたが、行かないことが続くうちについには誘われなくなった。 昔は、人と行事を祝ったり、集まったりすることが決してきらいではなかったが、最近はすっかり億劫になり行きたくなくなった。人との出会いを大切にしなくては! と思うのだが難しい。 これでは彼女を作るなんて、夢のまた夢である。
元旦のセントロはどんな感じだろう? 窓から道路を見た感じでは、人も車も極端に少ない。静けさがセントロ一帯に漂っている。天気も曇りがちだし写真を撮りに行くのが億劫である。ストリートチルドレンや悪意を持つ路上生活者の集団に襲われたら警官もいないし終わりである。やめよう、と思ったが、今日を逃せばまた1年待つしかないという思いの方がまさった。
ビアヅット・デ・シャ(在住日本人は御茶ノ水橋と呼ぶ)を通り、いつも盗難携帯が路上で売られているジレイタ通りにはいり、セー広場へ。 バスの乗り場の中心地であるプラサ・デ・ラモスにはバスが5,6台止まっているがほとんど乗客がいない。上半身裸のラリッている男がフラフラこちらにやってくる。一瞬、どきっとするが、別に何をするでもなくすれ違った。汚れ破れた服を纏った路上生活者が目につく。普段は人が多く、さほど目だないのだが、これほど人が少ないとどうしても目についてしまう。 普段は歩行者がたくさんいるビアヅット・デ・シャには観光客とおぼしき3人の男女が写真を撮っていた。これほど人がいないとすがすがしい気持ちになると思ったが、すぐに、襲われると一巻の終わりという気持ちになった。 ジレイタ通りもすべて両脇の商店のシャッターが下ろされ、向から2人歩いてきているくらいである。ところがセー広場が近づくと、とたんに人が増えてきた。増えたと言っても路上生活者のような人ばかりである。それでも家族で小さな子供を連れているので危ないことはないだろう。 セー広場には思った以上の人がいた。中には牧師? 霊能者? のような黒服の男がいて男の頭を押さえていたり、銅像の下で固まって寝ていたり、何をするでもなく仲間と話をしたり、毛布に包まって寝ていたり、ゴロゴロ地面に寝転がったり・・・普段以上の人がいる。と言ってもまともな人はゼロと言っていいだろう。皆、この広場に吹きだまってきた人ばかりである。そういう僕もそのひとりであるが・・・。 普段は巡廻している数人の警官も今日は1人もいない。さすがに、この中でカメラをだして写真を撮る勇気はなかった。おそらくそんなことをすれば、見とがめた男達が一斉にやってくるだろう。 背中に視線をかんじながら足早に広場を立ち去った。
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