1・6母の思い出 (2019/01/05)
最近でこそ、身体にいいからという理由で野菜を食べているが、もともと野菜類は嫌いである。フェイラでおばさんに「人参はきらい、ハヤトウリは嫌い、里芋きらい・・・」というと「まあ~」と言って驚かれる。 自分では感じたことはなかったが、3人兄弟で、上と下が女だったことから甘やかされて育ったのだと思う。あまり野菜を食べなさい、食べなさい、と言われた覚えがない。幼い頃、僕は野菜を食べていたのだろうか? 掃除も小学生の頃から苦手で部屋をよくちらかしていたように思う。今も大の苦手で、これも甘やかされて育ったせいだと思う。僕の中では甘やかされて育った覚えはないが、姉・妹に話を聞いたり、今の自分の癖や食生活を考えたりしてみると思い当たる節がある。 母は宗教をやっていたせいか、土地を借りて畑を耕し、野菜や芋を作り、子供たちに無農薬野菜をたべさせてくれた。今でこそ、小さな土地を借りて野菜を作る日曜菜園をする人も多いが当時はほとんどいなかった。また、クリスマスケーキやお菓子をなんでも自分で作って食べさせてくれた。インスタントラーメンなどは身体に悪いと言って1か月に1回しか食べさせてくれなかったし、駄菓子屋の合成着色料を使った色とりどりのお菓子を食べさせてもらえなかった。それにズボンやセーターまで手製であった。当時は野暮ったい手製の服を着るのが嫌いであった。大学生になって独り暮らしを始めて、初めてインスタント食品を毎日食べるようになった。それまではほとんど自然食品での純粋培養だったといえる。 その影響だと思うが、今でも薬は極端に嫌いだし、例え高くても無農薬と聞くと買ってしまう癖がある 母は愛情いっぱいに育ててくれた。しかし、当時はそんなことを一切理解していなかった。いやできなかった。 母は僕が大学生の頃、ガンでなくなった。もし母が生きていればちゃんと日本で就職しブラジルに来ることもなかったと思う。
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