4・26 古い写真 (2019/04/25)
うちは貧乏であった。そんなことを気づきもせず、進学校の中・高で勉強させてもらい、そのうえ予備校にまで行かせてもらった。そんな、両親と援助してくれた人々には感謝しかない。恥ずかしいことであるが、それを知ったのはブラジルにきてずいぶん経ってからで、父がなくなってからであった。 知らなかったとはいえ、そんなにまでしてもらったにもかかわらず、ブラジルにきてしまったし、まともに会社に就職しなかった。大学時代の友人・知人は皆就職し、すでに老後に入る体制にはいっている。今、考えると僕が大学を卒業したころは、バブル末期とはいえ、幾らでも会社に就職することができた。人並みのことをできなかったことを反省している。当時の僕の生活は今考えるとはめちゃくちゃであった。未だに当時の友人知人が、僕のことを、飲んだくれで、毎夜毎夜遊び歩いている、てきとうな奴だと思っているのも仕方がないことである。もし、ブラジルにきて成功をおさめ、牧場主にでもなっていたら、こんなことは思わなかっただろう。 こんなことを考えてしまったのも、掃除をしたおりに、ブラジルに来る前に撮った古い写真がベッドの下からでてきたからであろう。
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