8・26 ファベーラの思い出 (2020/08/25)
朝方、寒くて目が覚めた。見ると掛布団として使っていた夏用のシュラフがベッドの下に落ちていた。横を見るとリンは全く平気で丸まって, すやすやと眠っている。びっしりと毛で覆われている柴犬には、これくらいの寒さはまったく平気のようだ。彼女を見ていると日本がいかに寒いかが解る。だいたい日本犬は外で飼う犬であって家の中で飼う犬ではないと思う。短毛のジジババ犬(ダックスフンド)は、彼らにやった冬用のシュラフに潜って寝息をたてている。面白いことに、僕が今まで飼った短毛犬は毛布やシュラフに潜りこむが柴犬は潜り込んでねることはない。 携帯の温度をみると、9度。家の中は12,13°であろう。なんとなく風邪をひきそうな感じがあったので、プロポリスとアガリクスを飲む。 朝9時、メルカードにいく、途中セントロ街を通ると、配給の安毛布が町の角々に捨ててある。いくらただで配給してもらったとはいえ、こうもあっさり捨てられると、配給している側も嫌になるのではないだろうか? 捨てた人間はまた寒くなったらもらえばいいや、くらいにしか考えていないのだろう。今日の夜もきっと寒くなるだろうから、新しいのをもらいに行くのだろうか? はっきり言って、こんなことをする人間に、大事な税金で買った毛布を与えるべきではないと思う。 フェベーラでボランティアをする人が、「ファベーラの人間は、古着なんてきないの、新しいものじゃないと」と言っていたことを思い出す。自分のお金で新しいモノを買うのならわかるが、人からもらったものを古着だからいらないなんて何様のつもりだ! と当時思ったものだ。ある教会では、日本から送ってもらった中古服を激安で売るが、たいてい売れないで残るとなげいていた。ちょうど着るものが古くなっていたので安く買えたことを喜んだ覚えがある。 多くの貧しい人々は、自分では1レアルもしはらいたがらないが、他人が10レアル惜しんだだけでケチだとほざくのである。彼らは、金がある人が金を払うのは当然だとおもっている節がある。人が払う場合はたかが10レアルなのに自分が払うとなると、1レアルでもたいそうなお金となるのだ。 だから、人から金を盗んでも、モノを盗んでも悪いと思わない。なぜなら自分よりも金持ちから盗んでも構わないと思っているから。もちろんすべての住人がそうとはいわないが、多くはそうであると思う。中には、たくさんの子供を抱え、少しでも生活が楽になるよう懸命にはたらている人もいる。中には、自分より10以上年上の奥さんをもらい、昼間、奥さんは働きに出、自分は1日中ぶらぶらしている若い男性もいる。 一時期フェベーラに通って、それ以来、少し彼らにたいする考え方が変わった。
 | 2年後に行くと、多くの建物は2階建になっていた。地震がないので、人々は平気で建て増しをする |
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