6・2 友人へのメール (2021/06/02)
ネットもきれてしまいpcも壊れ、連絡する手段がなくなっていましたが、やっと光ファイバーをつけ、安いPCを買いなんとか連絡できる状態をもとにもどしました。 日本のようにかんたんにはできず、ほとほと苦労しました。 僕の日本語訛りのポルトガル語は電話ではうまく理解してもらえず、無理を言って息子にやってもらってやっとネットをつないでもらいました。 pCも日本円で7万円ちかくしましたが説明書もないレノボ製です。いろいろ不満をいっていたらきりがないのですがとりあえずなんとか仕事ができます。 今まではポルトガル語はきけて、手振り身振りを加えてなんとか理解してもれればいいと考えていたのですが、今のブラジル社会は何でも電話とネットでするようになっており、きちんと喋れて読み書きができないと何もできないようになっています。これを機にもう一度ポルトガル語の勉強です。あー、一人で生きていくためには仕方ありません。誰にも協調せず今まで好き放題に生きてきたつけです。
メニエル病がまた発症仕掛け、再び瘦せてしまい、さらにふけこんでしまいました。日系人にオジサン、ブラジル人にはセニョールとよばれるようになりました。 こんな感じが続けばさほど長生きはできないでしょう。やりたいことはほとんどやってしまったので悔いはありませんが。。。 武漢肺炎がおちついたら日本に一時帰国したいと思っています。もし、そのときおあいしたらあまりの老けように驚くかもしれません
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