3・28 母の思い出 (2022/03/27)
学生の頃飲めば泥酔という時期があった。店のマスターから何度も追い出され、入店禁止となった店がいくらあったことか。ちょうど、そのころ母が亡くなった時期であった。表面上はなんのショックもなかったし、自分自身でも大きな傷になったということに気が付いたのは数年たった後だった。おそらく母がいきていればきちんと日本で就職したし、ブラジルに来ることもなかったと思う。 母が亡くなったときにはきがつかなかったが、母の存在は僕にとっておもっている以上大きな存在だったのである。確かに僕は幼いころから母親っこであった。それは自分でも認める。その母が亡くなったのだから、それは、それは大きなショックだったはずである。ところが、僕自身はそのことに全くきがついていなかった。いまならわかる。母がぼくのこと如何に大切にしていてくれたかが! 今では母の年齢を通り過ぎ、これから未知の年齢になる。まさか、こんなに長生きするとは自分でもおもわなかった。 僕の中では、母はとうじのままである。たとえ自分の子であれ、僕も母のように強い印象を他人に植え付けるのであろうか。あっさり、誰にも惜しまれずにしんでいくのが楽のようなきがする。
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