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南米漂流
     農場戦記  (最終更新日 : 2022/09/04)
その1

その1 (2022/09/02) 大学4年の春、初めての海外旅行をした。
 ポルトガル語もスペイン語もまともに話すことができないにもかかわらず南米にいった。
 行先は何処でもよかった。そのころ、周囲の友人たちは就職活動でいそがしそうにしていた。ところが僕は何をしたらよいのかまったくわからず、焦りの中でぼーっと毎日をすごしていた。そんなぼくも日本からでればじぶんがやりたいことがわかるのではないかという藁にもすがるような気持ちがめばえた。そんな時、南米旅行をして帰ってきたばかりの友人の話を聞いた。その友人は目をかがやかしながら南米のすばらしさをきかせてくれた。別に行先はアメリカでもヨーロッパでもどこでもよかったのだが、友人に南米のはなしを聞き、南米にいってみようと思った。海外にいけば何かが分かると思ったのだ。ほんとうは、いきづまった状態からの単なる逃げであった。自分でも分かっていた
 旅行にいくためのお金をためるためにいろんなアルバイトをやった。短期間で稼げるバイトは当然ながら、どれもきついものばかりで、引っ越しアルバイト、道路の線引、・・・・・自分の能力、体力を超えるものばかりであった。このとき自分にはなにひとつまともにできないことを悟った。体力もなく、要領も悪く、人並み以上に手がのろいことを実感させられた。一生懸命勉強したのに、なぜ行きたい大学にいけなかったかがわかった。もちろん運不運もあっただろう、しかし、それよりも何よりも。受験勉強の要領がわるかったからだろう。
 幼いころからの夢は北海道で牧場を経営することだった。できればブラジルでこの夢をかなえたい。と最近、ぼんやりかんがえるようになった。
 ブラジルにきて30年。ブラジルのほぼすべての州で写真を撮った。その息をのむような壮大で広大な光景に何度も心震えるような衝撃・感動を受けた。
 もう、やりたいことはやりつくした感があった。いつ死んでも後悔はないとおもっていた。ところが、知人の農家からブラジルの土地はまだまだ安いから100万円あったら1ヘクタールの土地を購入できると教えられた。それをきいてむくむくと小さい頃の夢がよみがえってきた。
 ブラジルで農場を経営することはいつの間にか僕の夢から消え去っていた。というのはブラジルの治安は非常に悪かったからだ。治安の悪さは田舎も都会も変わらない。知り合いの農家などは、年に1回は強盗にはいられるそうだ。押し入ってきた強盗はねちねちと金の隠し場所を聞いてくるらしい。なので知り合いの農家は、はじめから渡すお金を用意していて傷つけられる前にお金をわたすようにしているという。農場を持つ夢は、これを聞いてあきらめていた。ところが、年を取り身体のいたるところがわるくなってくると、また農場の夢がむくむくとわきおこってきた。今をのがせば身体は動かなくなると思った。たとえ殺されてもいいさ、という捨て鉢の気持ちになった。かなり前にも知人の友人が後ろから頭を棒で殴られ殺害された。それを聞いても、死ぬ覚悟はできていたので、農場を持つ気持ちはおとろえなかった。
 日本にあるお金をかきあつめてなんとか300万円をあつめた。


内容 :
*その2 (22/09/04)

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