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人物
(最終更新日 : 2004/06/28)
--- 人物 目次 ---
- 村の創設者 原田敬太の歩んだ道
- 今は亡き村の恩人6氏
今は亡き村の恩人6氏
今は亡き村の恩人6氏 (2004/06/28)
福博村では、十年毎に入植記念祭を行い、その都度、村の発展に尽くした人々を顕彰して来たが、中にはそれに巡り合う事なく他界した人が何人かいる。その人々の中から主だった六名の先輩をここに紹介してその冥福を祈りたい。
(大浦文雄記)
杉本 馬治氏
1931年11月、草分け原田敬太氏より八ヶ月おくれて入植、福博日本人会の前身である「日曜会」の会計、書記、ついで「恵比寿会」の専務として原田氏を援け、更に二五青年会結成に当っては、その定款作成に関与するなど、常に事務的な側面を担った。
1936年8月26日、作業中、毒蛇に噛まれ、手当ての甲斐もなく非業の死をとげた。村の草創期における傷ましい犠牲者の一人である。壮年四十五歳の男盛りであった。
石川 林蔵氏
1934年入植し、1935年に発足した福博日本人会の初代副会長として、原田氏を援け、爾来、幹事、会計の職を数年間務め、常にその進歩的な見識を以って、村の発展に寄与した。1951年6月の役員会で氏は婦人会の結成を提案されたがそれが実現したのは十二年後の1963年であった。
1952年、村内最初の訪日者として、母国を訪問。その折戦犯として勾留されている人々を巣鴨に訪問激励された事は隠れた逸話である。
1957年、七十二歳で逝去。
山藤 伝氏
力行会出身のインテリである氏は、教育設備が整っている事に引かれて1935年末に入植。以来自らも副会長に二期、学務員等を務め、村の文化向上に尽くした。邦字新聞の無かった戦時中、ポルトガル語紙を読みこなす数少ない一人として、青年達に世界の動きを伝える集会を自宅でもった事などは、隠れた事蹟である。
晩年、五十年間にわたるブラジルの生活を、自伝的に書いた原稿用紙三百二十枚に及ぶ記録が、世に出る機会を得なかった事は、かえすがえすも残念である。
1974年、八十五歳で天寿を全うされた。
児玉 兼次氏
原始林の茂るたたずまいに魅せられて、1936年入植。北米での生活を身につけていた氏は、理想主義的心情を常に持ち、1952年、村の青年達と意気投合して、1アルケールの土地を無償提供、現在の青年会館のある広場を作る事に協力した。自らも林に囲まれた劇場を建て、情操教育を中心とした日語学校を開くなど、村の文化運動に尽くした。
1955年には、日語学校の敷地寄贈されるなど、1957年3月13日、八十二歳で逝去するまで、美しい村を造る事への夢を最後まで持ち続けた。
瀬川長次郎氏
1950年、福博村二代目の村長として、原田敬太氏よりバトンを受け継ぎ、58年まで、村の中心人物として村政を司った。
包容力のある円満な人格をもって、村の融和発展を計る一方、1956年に始まり、58年に急迫した電気架設運動を展開した時には、総てを賭けて当局と渡り合い、時の州知事ジャニオ・クワドロス氏を動かして、架設費の半額を州政府より支出する事に成功、宿願の農村電化の先駆けを果した。その功績は永久に記憶されるべきものである。
1959年5月4日、村の運動会で、青年達と終日和やかに駆け廻って遊んだ翌朝、トラクター事故によって、四十九歳の若さでこの世を去った。
5月5日、村で初めての村葬として、スザノ墓地に埋葬された。
佐藤 静江氏
1963年発足した福博村婦人会六代目会長として、1968年にその職につくや、持ち前の誠実と実行力をもって信望を集めた。
1977年10月14日スザノ市の街路に於て、不慮の事故によって逝去されるまで、十年間、献身的に婦人会活動に尽力、その残された功績は大きい。
1977年10月15日、福博婦人会葬として、二五青年会館に於て、告別式が行われスザノ墓地に埋葬された。行年六十歳。
パウリスタ新聞(1981年12月12日)より抜粋
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