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(最終更新日 : 2003/11/01)
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会の沿革
会の沿革 (2003/11/01)
社会福祉法人救済会の前身である「聖市カトリック日本人救済会」は1942年6月にその事業を開始した。当時日伯両国間の外交関係は断絶し、日本人は敵性国人としてその行動に制限を受け、諸事万端、極めてデリケートな立場に置かれていた。従って事業を大規模のものとせず、関係者も少数にかぎると共に、救済事業に理解を有するカトリック教会の援助を仰ぐ方針を採った。
そこで、当時のサンパウロ大司教ドン・ジョゼー・ガスパール・フォンセッカ・シルバ猊下に面謁して支援をお願いしたところ、猊下は即座にその援助を快諾せられ、事務を大司教付書記官パウロ・ロリン・ロウレイロ神父に、会計をニコラウ・コンセンチーノ神父に命ぜられ、クーリア・メトロポリターナ(大司教館)が直接に事業を監督することになった。救済事業開始当時及びその後における大司教猊下の御恩情、御支援は救済会関係者一同の肝に銘じて忘れ得ないところで、もしも猊下の御援助がなかったならば、救済会は今日あるを得なかったと言わねばならない。不幸にして、猊下は1943年8月27日航空機事故のためリオ・デ・ジャネイロにおいて急逝せられた。救済会は大司教猊下の御恩情を永久に記念するがために、1953年の改組に当り、ブラジル語の会名をアシステンシア・ソシアル・ドン・ジョゼー・ガスパールと称することにした。このように救済会はカトリック教会と縁故の深いことが判るが、決してカトリック教会の事業ではない。むしろ救済会の定款にもあるように、人種、宗教の如何を問わない団体である。
救済会の方針及び希望としては、
①純然たる民間団体として終始すること、
②宗教・宗派をちょうえつした団体であるべきこと、
③政治的色彩を帯びないこと、
④基金を募集して財源を豊かにすること等で、
すべて1953年3月の評議員会兼総会の決議したところである。
以来、日系人を対象とした救済援護事業を行って来たが1958年5月老人ホーム憩の園を開園して後、その福祉事業の殆んどを憩の園の経営に注ぎ今日に至って居る。
『憩の園』の役わり
“高齢化に伴いお年寄りにどんな障害が現れても各自が認められ愛され、その可能性を活して最後までその人らしく生きられるよう、良い環境づくりと良いお世話に専念する”
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