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イタケーラ植民地
     農産物の変遷  (最終更新日 : 2004/12/03)
一九六〇年代以降

一九六〇年代以降 (2004/12/03)
一九六二~三年

 植民地内桃栽培の最盛期

 日系家族数は、コロノ歩合作者も含めて二百家族を越えていた。(パウリスタ新聞一九六三年十一月二十八日の記事には、中央メルカードに近郊より一日七、〇〇〇~一七、〇〇〇幾箱入荷。生桃八十万箱、缶詰用一五、〇〇〇トン出荷予想)
 この頃になると花卉栽培者も徐々に増えてきた。松本和夫、新垣松三、谷口千歳はグラジオラス栽培からカーネーション栽培に移った。菊は作っても墓場の花と言って買ってくれなかった。

 鈴木ジョルジが養鶉業を始めた。この頃の業者にコトブラスがあった。最初のヒナは、東山農場の山本喜誉司博士が一九五八年に日本より輸入して、それから増えた卵約二ダースを分けて貰って、孵化した。孵化器は遠藤野夫雄より買ったものを使った。又モジのブラスクーバスのイタリアーノから八十羽のヒナを買って増やした。まだウズラの卵を知らないブラジル人に食べて貰うべく、バールや其他の店に宣伝をして歩いたが、仲々売れない。サンパウロでは充分でないので、リオデジャネイロ迄売りに行った事もあった。試食した人達がこれはよいとの事で次々と注文してきたが、生産量の方が多く販売に苦労した。一時は二千羽飼育した事もある。三年間程続けたが、資金が続かなくて止めにした。止めて一週間後にリオから大量の注文が入り、まだ飼育を続けていた山岸又四郎の娘婿の溝口と小林久助は息を吹き返し、ウズラ飼育者はそれからだんたん経済的によくなっていった。

生産文化調査表
(1960年6月ヨリ1961年6月末日マデ)

總家族 213家族
地主 160家族
コロノ及歩合作者 53家族 人員1,379人 男666名 女713名
使用人(濁身者) 男113名 女29名

所有面積植民地内 290アルケール
所有面積植民地外 599 1/2アルケール
生食桃成木32,430本368,870箱本年豫想348,900箱未成木5,760本
加工用桃成木20,910本1,053.OOOキロ本年豫想1,077.500キロ未成木1,895本
柿成木7,815本33,535箱本年豫想36,225箱未成木2,135本
ビワ成木6,217本18,527箱本年豫想36,360箱未成木2,001本
ゴヤバ成木5,756本37,460箱本年豫想45,950箱未成木3,620本
ミカン成木3,505本13,327箱本年豫想13,290箱未成木3,482本
成鶏84,380羽玉子:42,262箱(30ダース入)      本年入レルヒナ数:121,000羽
野菜品種:高縄野菜      箱数:8,400箱

農具
トラットール大10台、トラットール小113台、灌水ポンプ69台、動力噴霧機77台、野菜裁断機54台、飼料配合機5台、モトル(モーター)用丸ノコ59台、其他1台

乗物
カミニョン(トラック)27台、カミニョネッテ(小型トラック)37台、アウトモーベル(乗用車)6台、ペルア(バン)4台、ジープ13台、オートバイ6台、自転車258台、カローサ(馬車)11台

家畜
牛22頭、馬10頭、豚203頭

雑誌類
農業雑誌73、養鶏雑誌3、大衆雑誌109、子供雑誌33、伯国雑誌14

新聞
パウリスタ97、サンパウロ41、日伯23、エスタード26、ガゼツタ14、、フォーリャ17、其他

文化器具
洗濯機54、冷蔵庫73、ガスフォゴン(ガスコンロ)169、電気コンロ31、電蓄ラジオ167、テレビジョン23、タイプライター11、ミシン236
イタケーラ共濟會殖産部


一九六六年

 今迄蘭栽培者は趣味で作っていたが、この頃より少しつつ増やして、花をサンパウロの花店へ売りに行った。この頃持っていた人は谷口千歳・清兄弟、渡井文治、林良次、勝野寿男、中曽根アントニオ、鈴木ジョルジ、前田戌八郎、城井松雄、松本和夫、田中晤、吉岡パトリシオで、一九六七年山口が蘭栽培専門で植民地に入って来た。これ以後蘭を売って生活する人と趣味で栽培する人が、年数が経つにつれて別れて行った。
 この年乾正俊が養鶉業を始めた。二年後に高垣ジュリオが仲間に加わり、だんだんと聖市でも卵やヒナが売れる様になった。乾正俊は金魚を聖市内に配達していたが、溝口のウズラのヒナを一緒に配達していて、多い時は一週間に五千羽売った事もある。


一九六七年

 産卵養鶏の最盛期

 その後卵価安、飼料高で以前の様な儲けはなくなり、だんだん肉用鶏飼育に変って行った。


一九六九年

《 第十七回桃祭 》
一九四九年に始まった桃祭りは、これが最後となる。この時に販売した桃は植民地外の方が多い。桃の跡に枇杷やゴヤバを植える人が増えてきた。

最後になった第十七回桃祭 イタケーラ桃祭賑わう
《 四日間で三万人の人出、桃売上げは一万八千箱 》
 イタケーラ桃祭は、州農務局、州観光局、市役所、それに地元共済会の共催で十一月二十九日、三十日、十二月六日、七日の四日間イタケーラ共済会会館で盛大に行なわれた。初日のイナグラソン(開会式)には州知事、農務長官、聖市市長、州観光局らの代理のほか名士多数が出席、盛大に幕開けした。十二月七日には農務長官自身が出席、野田次平市議も駆けつけ第十七回桃祭りに祝辞をおくるとともに、近郊農村の模範として輝かしい実績をあげた地元農界に対しそれぞれ賛辞を述べた。
 なお今年は七月の降霜のあと異常セッカ(旱魃)に見舞われ農家は少なからぬ打撃を蒙ったが、桃は幸いに損害は五%程度と言われ、生産者の顔は明るい。
 行事は例年通り桃を主体とする農産物品評会、桃祭りの女王の選出、バイレ(ダンスパーティなど多彩なプログラムを盛り込んで人気をあおった。
 今年は観光局が宣伝に力を入れた関係もあって、伯人間に関心が高まり、会期四日間を通じて人出は三万人、一万八千箱の桃を売り尽くすという予想外の盛会ぶりであった。日曜日には会場の周囲の道路は自動車で埋まり身動き出来ない状態であった。

桃祭りの主な役員
実行委員長:
真鍋 次郎
副委員長:
谷口 千歳、勝野 寿男
書記:
安田 稔、中村 秀臣、吉岡 アンナ、池森 アメリア
財務委員:
田中 晤、奥田 愼

桃祭り歴代女王
 1、一九四九年 岡田 和子
 2、一九五〇年 岩田 寿美子
 3、一九五一年 岩田 寿美子
 4、一九五二年 伊藤 真知子
 5、一九五三年 吉岡 澄子
 6、一九五四年 真鍋 幸子
 7、一九五六年 小島 美保子
 8、一九五七年 (女王選出なし)
 9、一九五八年 谷口 富士子
10、一九五九年 真鍋 京子
11、一九六〇年 安田 タカ子
12、一九六一年 市川 アリセ
13、一九六二年 平野 ヨシ子
14、一九六四年 工藤 トシ子
15、一九六七年 高村 アパレシーダ
16、一九六八年 荻原 アリセ
17、一九六九年 桂 静子


一九七〇年

 花は、今迄よく売れていた。グラジオラス、カーネーション、バラが少なくなり、長持ちする菊が売れる様になってきた。


一九七四年

 観葉植物(主にサマンバイヤ)栽培始まる。

 中曽根アントニオがセアザ(中央市場)ヘ蘭の花を売りに行っていた時、お客からサマンバイヤを持って来てくれないかとの話があり、その頃セアザに出荷していたイビウーナの斉藤から苗を分けて貰い、栽培を始めた。谷口清もサンパウロの花店へ蘭を配達していたところ、店から要求され栽培を始めた。シンビはボンスセッソの泉より苗を分けて貰いそれを増やした。しかしセアザでは、イタケーラの生産者のものは量がまとまらず、日曜日にサンパウロの人達がカルモ公園岡上養魚場等を経て帰って行く通り道の、イグアテミの道路わきで売り始めると、だんだん客が増えて、日曜日の夕方には道路がまともに通れない程になった。サマンバイヤではないが、上坊良夫はまだ誰も店を出していない時から、パステスやミーリョベルデを売っていた。
 その後、仁張誠一が、観葉植物の鉢やシャシン其他鉢物の付属品等を売り始めた。そして次々とコロニアで観葉植物を栽培している人達が店を出し始め、日曜日の午後は色々な店が集まり、道路はまともに通れない程賑わった。


一九七六年

 イグアテミの道路を広げる事になり、よく流行った観葉植物の市も引揚げざるを得なくなり、岡上家の外の道路わきで店を出したが、それは当局から許可されず困っていた所へ、岡上幸一から自分の土地を貸すからセルカ(塀)の内側へ入ってはどうかとの話があり、みんな喜こんで入らせて貰った。
 岡上家では、一九三八年頃日本から金魚を取り寄せて売っていた人がコンソラソンにあって、店の名は(CASA MOTOMU)と言い日本人であった。そこから六匹の金魚を買い、翌年二〇〇匹に増やした。二年ばかり稚魚をとることを知らず、二〇〇匹ばかりづつ増やしていたが、そのうちに飼い方を覚え何万匹も稚魚を増やすことができる様になった。鯉は、同じ頃アグアブランカより約一ダース買ってきて増やした。
 岡上与三助より二年程おくれて、隣の乾正俊がリオの池森より金魚を取り寄せて飼育を始めた。岡上家では一九八五年迄養魚を続けたが、奥にビーラ(集落)ができて水を汚染し水質が悪くなり、稚魚が育たなくなった。現在養魚で残っている者は、岡田利明と岡上幸一の二人だけである。
 又、鯉は生き血が肺の病気に良いことがわかり、毎週土曜日曜日は鯉の生き血や金魚、それに最近始めた熱帯魚やサマンバイヤ等を目当てに、行楽客が列をなす有様である。
(釣堀から始まった鯉の生き血は、一九五五年頃から始まる)


一九八八年

 水族館が開館され、人が人を呼んで、最盛期の桃祭以上の人出で賑わっている。一九八八年現在、サマンバイヤの所には三十六のバラッカがあり、その内十四はサマンバイヤを売るコロニアの人達である。


一九九五年

 一九九五年時点でのイタケーラ植民地内の農業者は、

◎果樹栽培に奥山正雄・秀雄兄弟、池森サトシの娘婿の前田ジュリオ、池森ジョゼ兄弟、池森ミルトン、吉岡省、池田宗五郎、池田豊三、松林貴、中村秀臣、渡井ロベルト、岡田利明。

◎花卉は、菊の鉢物が尾利ジョン、ハウス栽培者は森田勝、井出勇一、新垣松三。

◎観葉植物は、勝野寺男、川口一郎、水谷パウロ、菅沼久人、渡井文治、谷口千歳、上村開助、松本和夫、池森ジョン、吉岡パトリシオ、近藤イワオ、亀岡一男、池森ミルトン、堤義夫、井上英雄。

◎蘭栽培は、鈴木ジョルジ、谷口清。

◎フランゴ養鶏は、竹内喜太郎のクニャード(義理の兄弟)谷口弘、九区の峯憲司。一九九〇年迄飼育していた亀岡一男は養鶏業も止めた。

◎採卵養鶏は「子供の園」のみ。

◎養鶉業は、大きい順より鈴木康夫、増川勝美、中丸敬、牧野久、三沢ベルトリーノ、小坂誠。鈴木康夫と小坂誠は幼雛の飼育もしている。

◎野菜作りは水谷ぺードロ、梅本修二、新垣松善、大内義男、江渕友次、愛沢力、愛沢ロベルト。

◎シイタケ栽培は、松本信夫。

▽其他、植民地内に住みながら、街で商業をしている者多数あり。


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