一九七〇年代 (2004/12/03)
一九七〇年
共済会会長 渡井文治
一九七一年
共済会会長 柳生 昇
一九七二年
共済会会長 近藤 実
一九七三年
共済会会長 竹内喜太郎
【老人会誕生】 初代会長・岡上与三助
一九七四年
共済会会長 真鍋次郎
一九七五年
共済会 会長勝野寿男
【五十年祭挙行】
入植五十周年祝う 〈桃の里〉で記念祭
聖市郊外イタケーラコロニア共済会は、今年入植五十周年を迎えたので、これを記念してさる八月二十六日午前九時から、入植五十周年祭典委員会(井上峯雄総裁)の主催のもとに、同共済会会館で盛大に記念祭典を行った。これには伊藤総領事夫妻はじめ、野村丈吾連邦議員、野田次平州議、小篠マリオ聖市配給局長らほか近隣の日系団体代表ら多数が顔をみせた。 記念行事として、まず在伯各宗仏教連合会の石本恵明師が導師となって先亡開拓者の慰霊祭、つづいて先駆入植者・高齢者らの表彰と記念品贈呈などが行われた。そのあとシュラスコを囲んで祝宴に移り、地元イタケーラの平和を祝福し、限りなき繁栄を祈って乾杯した。ついで正午から盆踊り、そのあと午後二時から演芸会に移り趣向をこらした多彩なプログラムを繰り広げて会場は賑わった。 なおそのあと午後六時から再び盆踊りの幕を開け、威勢のよい笛太鼓に合せて総出で踊りの輪をひろげ、華やかな盛り上がりをみせて午後八時盛会裡に五十年祭の幕を閉じた。 |
五十周年祭・祭典委員
名誉総裁 | 岡上与三郎、松本圭一、水谷真三郎、土地会社代表 | 名誉委員 | 菅谷威、押本瀧輔、岡田一美、山岸又次郎、富田実、三沢正人、乾正俊、吉岡省、吉岡太一、唐沢実雄、城井松雄、小林久助、押本静男、佐藤マリヤ、菅谷剛、服部秀吉、鈴木管雄、柳生昇、渡辺作蔵、五十嵐孝太郎、長束介次郎、アドリアーノ・ベルトーゼ | 総裁 | 井上峯雄 | 副総裁 | 川下亀雄、川口孝太郎 | 祭典実行委員長 | 勝野寿男 | 副委員長 | 真鍋次郎、竹内喜太郎 | 書記 | 松本和夫、竹内冠 | 会計 | 奥田慎、渡井光雄 | 企画 | 谷口清、近藤実、三宅州邦雄 | 渉外 | 近藤実、真鍋次郎、谷口清、渡辺猛、森田勝、名切元弘美、水谷真一、井出勇一、桂重政、池田宗五郎、沢田昌明、大宮重見 | 受付 | 中村英臣 | 慰霊祭委員 | 山岸又四郎、安田稔、北出安次郎、村中俊明、橋本宰一 |
ごあいさつ
本日、当イタケ-ラ植民地五十年祭の祝典に当り、僭越なが、ら当地在住者一同に代りごあいさつ申し上げますことは、七十年に近い私の生涯において最も光栄且つ喜びとするところでございます。 顧りみまするに、五十年の歳月は短いようで長く、人生五十年という言葉もあります如く、人間の一生涯を意味する長い年月でございます。 この長い開拓の途中において、不幸にして病気や事故のために亡くなられた多くの人達の英霊に対し、まず謹んで哀悼の意を表します。こうした先輩の方達の尊い犠牲によって今日のイタケーラ植民地が築かれたことを思い、衷心より感謝の誠を捧げるものであります。 更に、当植民地の草分けとして入植され、五十年の長い歳月を闘い抜かれ、いまなお矍鑠として活躍しておられる先駆者並びに高齢者の方々の苦労を偲び、感謝感激の拍手をおくりたいと存じます。なお、本日の祭典を盛んにするために進んでご協力くだされ、ご多忙中にもかかわらず遠路ご出席くださいました各官庁、銀行、商社その他の有縁の方々に厚く御礼申し上げます。 当イタケーラ植民地五十年の歴史を述べますと長くなるので省略致しますが、先聖者諸氏は、適応作物の発見に苦しみながら堅実に営農をつづけ、戦後一躍「桃の里」として全伯的に有名になり、過去二十年間にわたり「桃祭り」を開催してまいりましたが、最近サンパウロ市の急激な発展にともない工場地帯として変りつつありますことは、一面淋しく感ずるものでありますが、大きな観点に立って眺めますれば、大サンパウロ市の発展はブラジル国の発展に連らなっていますので、祝福すべきことと存じます。 当植民地は、桃やゴヤーバなどの生産において先駆者の役目を果したために、現在モジダスクルーゼスやアチバイア、マイリンケなどが第二、第三の桃の里として、桃をはじめ優良果実の生産をなしつつありますことは、私達の最も喜びとするところであります。 次に当植民地で生まれた二世、三世が農業のみならず政界や教育界その他あらゆる分野において華々しい活躍ぶりをみせ、さらに多くの若い学生諸君がよりよき明日のブラジル国建設をめざして学びつつありますことは、われわれ一世移住者の最も心強く感ずるところであります。皆様のご協力とご厚意によって挙行いたしましたこの祭典を意義あるものとし、楽しんでいただくため万全を期したつもりでございますが、いろいろと手抜かりがあると思われますので至らぬところはご寛容くださいまして、本日はゆっくりおくつろぎくだされ、一日を楽しく過ごして頂きたいと念願するものでございます。誠に粗略ながら一言お礼と所感を述べて私のあいさつといたします。 イタケーラ五十年祭委員会総裁 井上峯雄 代理 川下亀雄一九七五年八月二十六日 |
 | 入植五十周年を祝いボーロ(ケーキ)にナイフを入れる元の地主夫妻と勝野寿男祭典実行委員長(一九七五年) |
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一九七六年
共済会会長 勝野寿男
運動会について
一九二七年に始まった運動会も、今年(一九九六年)で六十七回を数えるに至った。戦中戦後のゴタゴタで途中中断したこともあったが、よくもここ迄続いたと思う。 現在、当日になると朝早くから植民地で生れ育った人達が近隣遠路より家族連れで多数集まり、久し振りに顔を合わせ肩を叩き合う姿が方々で見られる。運動場の周囲に作られたバラッカは一杯で、おそく行くと場所がないこともある。
第一回運動会は、一九二七年四月二十九日に行われた。これは前年(一九二六年)の四月二十九日の天長節の日に集まった青年達が、日本で行っていた運動会を思い出し、来年の天長節に我々も運動会をしようではないかと云うことになった。 そして、一九二七年に青年会が組織され、当日は先ず、天長節の式を挙行し、その後運動会を催した。これが運動会の始まったいきさつであると言われている。しかし、運動会開催日としての四月二十九日が何時の頃か学校が休みになる五月一日に変わった。(一九三六年度は五月一日) |
次に第四十七回イタケーラコロニア運動会のプログラムを記す。 ※ 一九七六年五月一日・午前八時より
No | 種目 | 参加 | 回 |
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01 | 入場・開会式・体操 | 02 | 一〇〇・二〇〇米競走 | 少女15才まで | 6 | 03 | 一〇〇・二〇〇米競走 | 少年15才まで | 6 | 04 | 魚つり競走 | 幼年女子6才まで | 2 | 05 | 魚つり競争 | 少女 | 5 | 06 | 魚つり競争 | 幼年男子6才まで | 2 | 07 | 魚つり競走 | 少年 | 5 | 08 | 二人三脚 | 少年 | 5 | 09 | 二人三脚 | 少女 | 5 | 10 | 障害物競走 | 青年男子 | 3 | 11 | サッコとび競走 | 家長 | 4 | 12 | ビンつり競走 | 青年女子 | 4 | 13 | ビンつり競走 | 婦人 | 4 | 14 | 借物競走 | 少女 | 5 | 15 | 鈴わり | 婦人 | 1 | 16 | ビンつり競走 | 青年 | 4 | 17 | 五〇米競走 | 幼年女子 | 2 | 18 | 五〇米競走 | 幼年男子 | 2 | 19 | 四〇〇米競走 | 青年女子 | 1 | 20 | 一〇〇〇米競走 | 青年男子 | 2 | 21 | 借物競走 | 家長 | 4 | 22 | みかん運び競走 | 幼年男女 | 4 | 23 | 宝ひろい | 3才まで | | 昼食、盆踊り、フォークダンス(30分) | 24 | 猫に紙袋 | 少年 | 5 | 25 | 仲人競走 | 家長婦人男女青年 | 4 | 26 | 玉入れ | 少女 | 1 | 27 | 綱引き | 家長 | 1 | 28 | 綱引き | 婦人 | 1 | 29 | 嫁探し競走 | 青年男女 | 4 | 30 | 玉入れ | 婦人 | 1 | 31 | ボールけりリレー | 家長 | 1 | 32 | 宝探し | 70才以上 | 1 | 33 | 札合わせ | 幼年女子 | 2 | 34 | 札合わせ | 幼年男子 | 2 | 35 | ラッタたたき | 家長 | 1 | 36 | カングルー | 少女 | 5 | 37 | 風船わり | 婦人 | 1 | 38 | 魚つり競走 | 青年女子 | 4 | 39 | カングルー | 少年 | 5 | 40 | 借物競走 | 婦人 | 4 | 41 | 夫婦競走 | 家長婦人 | 4 | 42 | タイヤコロガシ | 青年男子 | 1 | 43 | 魚つり競走 | 家長 | 4 | 44 | 玉入れ | 少年 | 1 | 45 | 望遠ボールケリ | 青年男女 | 1 | 46 | 家族リレー | 家長婦人45才まで青年少年少女15才 | |
47 | 閉会式(四時半) |
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一九七七年
共済会会長 奥田慎
一九七八年
共済会会長 井上英雄
〔フェスタ・デ・ベルデを挙行、三年間続いた〕 一九七四年から始まった観葉植物(主にサマンバイヤ)栽培も果樹栽培が下火になるに従って増えて来た。そうなると、果物に代わる栽培作物として、イタケーラ・コロニアを観葉植物の里にしようと云う夢をもった人達が集まって共済会(日本人会)を動かし、フェスタ・ベルデを開催することになった。しかし一九七八年十月二週間にわたって行ったフェスタも会館が幹線道路より入った所にあって眼につき難いこととイタケーラ以外の地に栽培者が増えて以外とお客が少なく、三年間続いたフェスタを中止せざるを得なくなった。その後フェスタのバラッカに入った人達はアクアリオ(岡上)のバラッカで一九九六年現在商売は益々繁盛している。
一九七九年
共済会会長 森田勝
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