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イタケーラ植民地
     青年会その他の組織  (最終更新日 : 2004/12/03)
青年会 [全画像を表示]

青年会 (2004/12/03)
青年会.jpg
一九三五年四月二十九日コロニア・イタケーラ運動会
青年会員及び賛助会員
上段より
渡井光雄、高垣忠兵衛、押本静夫、安田友次郎、井上仲助、菅谷賢、綿木、重田、渡辺芳人、乾俊衛、五十嵐清治、水谷眞三郎、五十嵐、不明、清水友一、乾正俊
中段より
柳生修平、渡井佳蔵、五十嵐小太郎、堀篭富衛、山内静雄、岡上友吉、長谷川栄吉、勝野元義、池森敏
下段より
宮坂、木村進、橋山多喜造、川村久賀須、滝田大、高村、山中傳一
会長 山内静雄
副会長 柳生修平
兼会計 柳生修平
運動部 清水友一


一九二七年

七月、イタケーラ入植三年目に青年会を創立
初代青年会長 藤田勝次
運動会はこの年に始まった。


一九二八年

会長 豊吉益次郎


一九二九年

会長 豊吉益次郎


一九三〇年

会長 山内静夫


一九三一年

会長 豊吉竹次郎


一九三二年

会長 押本静夫

青年会員が奔走して、植民地内に会館を建てた。
・会館の大きさは、七×十米
・会館建設費用は、四コントス五〇〇ミルレース
この費用は青年会員が植民地内を一軒一軒歩いて廻り、多い人は一〇〇ミルレース、少ない人は二〇~三〇ミルレースの寄付(当時の日当は、一日三ミル八〇〇レース)の寄付をあおぎ、青年会員の労力奉仕で会館が出来上がった。この会館は一九六二年、小学校移転時まであった。


一九三三年


一九三四年


一九三五年

会長 柳生修平


※一九三六年(昭和十一年)からの記録あり。それをたどって主な出来事を記す。


一九三六年(昭和十一年)

会長 渡井佳蔵

イタケーラ青年会会則
第一条本会ハイタケーラ青年会ト稱ス
第二条本会ノ目的ハ会員相互ノ親睦ヲ図リ心身ヲ練リ智徳ヲ磨キ青年ノ美風ヲ発揚スルニ在リ
第三条本会ノ会員ハ左ノ如クス
本会ノ趣旨ニ賛成シタル者満拾五歳以上無制限トス
本会ノ趣旨ニ賛成シ且ツ賛助セル者ヲ賛助会員トス
第四条本会ノ目的ヲ達スル為左ノ部ヲ置ク
一、運動部
一、辮論部
一、図書部
一、会報部
一、語学研究部
一、園芸部
一、音楽部
各部ニ部長ヲ置キ各目的ヲ達成セシム
第五条本会ニ左ノ役員ヲ置ク
会長
副会長
会計幹事
幹事
第六条会長、副会長、会計幹事は会員全部ノ互選ニヨリ之ヲ定メ幹事ハ会長ノ指名ニヨリ之ヲ定ム
第七条本会ニ顧問二、三名以上置ク(任期一ヵ年)
第八条本会ノ選挙ハ毎年拾弐月中ニ之ヲ行フ(定期総会ヲ開催)
第九条本会役員ノ任期ハ一ヶ年トシ其ノ任ニ選バレタル者ハ辞任スルヲ得ズ
第十条本会役員ノ掌務ハ左ノ如シ
一、庶務ハ会長、副会長之ヲ処理スルモノトス
一、会長ハ本会ヲ総埋シ副会長ハ会長ヲ補佐シ会長事故アル時ハ之ノ代理ス
一、幹事ハ会長、副会長ノ指揮ヲ受ケ細務ヲ處理ス
一、会計幹事ハ本会ノ総テノ会計ヲ處理ス
一、各部長ハ各部ノ総テヲ處理ス
第十一条本会役員ノ移動有リタル時ハ之ヲ再選ス
第十二条本会ノ経費ハ会費寄附金及ビ其ノ他ノ雑収入ヲ以ッテ之ヲ支払ス
第十三条会費ハ本会維持費トシテ全会員ヨリ毎月徴収ス
第十四条一旦納付シタル会費一切之ヲ返還セズ
第十五条毎年度ノ収支決算ハ定期総会時ニ之ヲ報告ス
第十六条毎年度ノ残余金ノ一部ヲ基本金ニ編入スルモノトス
第十七条本会会則ハ総会ニ於テ全会員ノ三分ノ二以上出席シ出席者ノ三分ノ二以上ノ賛成有ルニ非ザレバ変更スルヲ得ズ


一月一日
遙拝式行う

一月五日
第六回定期総会開催午後六時開会。欠席者一名の他全会員出席。柳生会長兼会計係より開会の挨拶と会計報告。役員改選の結果、次の者当選す。
一、会長 渡井佳蔵
一、副会長 五十嵐清治
一、会計係 木村進
一、幹事 清水友一・柳生修爾・乾正俊・石原小太郎
引き続き新年宴会を行い全会員意気大いに上がり、一九三六年度青年会祝福の為乾杯す。
役員事務引継ぎ今週土曜日決定す。
十時閉会。

二月一日
本年度第一回月例会開催
開会午後八時半
欠席者四名
協議事項
敬老会開催に付全会員の賛否を定む。全会員の賛成の元に来る二月十六日(日曜日)に決定す。
本年度青年会顧問を次の者に依頼する。
乾俊衛・岡上与之助・水谷眞三郎
モジ、スザノとの陸上競技対抗に備える為、毎月一回日曜日を運動練習と定む。
閉会十二時半。

二月十六日
敬老会開催婦人娘子軍の働きにより料理仕度予定通り済。
出席者揃はず止むを得ず開会午後三時半。
会長、顧問、主賓挨拶済み、老人達皆喜び非常なる大成功の中に午後六時閉会す。
午前六時、リモン(レモン)畑除草開始。四分の一済ます(会館横の市村より無償で借りている)

 敬老会は毎年の様にしており、リモン畑は青年会の活動費用捻出の為、これも戦後迄続けている。
 又運動も盛んで五月十日にセントラル線陸上大会が行われるが、それに先立って四月二十六日、陸上競技大会の予選をイタケーラ運動場で行った。若人の意気高らかに午前十一時より予選開始。選手決定次の如し。
(百米)清水、菅谷
(二百米)清水、菅谷
(四百米)川村、菅谷
(八百米)高村、小島、山岸、川村
(千五百米)高村、小島、山岸
(四百米リレ1)清水・菅谷・乾・川村
(千五百米リレー)高村・菅谷・小島・川村

五月一日
天長節祝賀運動会
遙拝式午前六時
運動会開始午前八時半
全イタケーラ植民者が和気アイアイの内にて無事済ます。
引き続き夜シネマ(映画)開催。
全員満足の様子で散会する。


一九三七年

会長 笠井孟

五月二日(日) 運動会
 昨日の雨の為中止やむなきに到った運動会、朝から雲行き悪きも午前八時より遙拝式挙行。午前九時より運動会開催。今年は青年会発足十周年なり。午前中は観客少なく、種目進むに従い漸次其の数増える。昼食前よりサンパウロの観客見え、接待係此れに務む。
 遙拝式が遅れたる為競技も遅れ、プログラムの変更を昼食時に策を練る。正午、花火を合図にアルモッソ(昼食)。食後、剣道のデモンストラソン(デモンストレーション)ありて、午後一時より運動会再開。午前中より約倍数の観客、イタケーラ小学校の先生達も外人多数含め見ゆ。
 子供達を加え運動会も真盛りとなり、次第に終りに近付きしが観客多数の為、整理困難。種目を縮減し午後五時半、無事閉会。後シネマ、午後七時映写開始。題名は「瀧の白糸」と「魔の大都」であった。いづれも機械の調子良く、午後十二時閉映。青年会員一時迄後始末、終日の活躍に疲労を癒すべく帰途につく。

九月十八日(土)
 イタケーラ日本学校教師新たに赴任さる。共に懇談会を開催す。会員出席十二名。
 今夕は顧間高垣氏出席、共に種々有益なる話に一同感謝せり。木下先生指導の下に、夜学開始の件、満場一致賛成。期日は当分農繁期中なりし為、毎週月曜日夜八時より十時迄と決定す。
 植民地機関紙、名称決定。投票の結果『覚醒』と決まり、来月二十日頃発行の予定。


一九三八年

会長 石原幸太郎

一月一日(土)
 午前十時打上げられたる花火を合図に、日本人会と共同にて厳に遙拝式を挙行せり。式後イタケーラ青年会祝福の為、万歳を三唱、直ちに打揃って高垣、菅谷両顧問宅に新年の挨拶の為訪問。意気揚々と散会せり。

五月八日(日)
 かねて待望の〈スザノ対抗陸上競技大会〉が、スザノグランドに於て開催された。全会員十八名。九時十分にスザノ着。直ちに運動場に入り、一〇〇米決勝より熱戦の火ブタを切った。此の日当チーム非常にコンディション良くトラックに善戦した。
 新進選手・岡上、富田、乾、夏見、岡田、川村弟の諸君、大いに奮闘。各自記録を更新した。老巧・清水、菅谷、高村、木下の諸君さすがにいかんなくそのカを発揮。当チームの応援、敵スザノチームにも及び、観衆を感嘆せしめた。
 一般にグランドのコンディション悪く、トラックは記録が悪かったが、特にめざましい種目は、一〇〇(一二.六)、二〇〇(二五.八)優勝の菅谷君四〇〇(一.〇六)、八○〇米(二.一八.八)優勝の高村君四〇〇米リレー(五三.〇)菅谷、富田、清水、木下走高(一.五七)、砲丸(九.○○)、円盤(二七.四五)優勝の清水君
其他優勝を逸したとはいえ走巾の木下(第二位)、走高の木下(第三位)、三段の岡上(第二位)、棒高の夏見(第四位)で何と言っても当日の白眉は岡上の棒高で、(三.二〇)の記録を持つ敵将井上と並び自己の記録を破り、遂に優勝引き分けとなった。
 午後五時半終了。午後八時の列車に乗り帰途につく。

五月十四日(土)
 青年会経費捻出の為のバタタ(ジャガイモ)収穫。
午前十時集合バタタ掘にかかる。全員奮闘。夕方全部掘り終る。

五月十八日(水)
 午後二時役員集合。バタタを選り分ける。夕方迄に終らず、アルコールランプの下で八時頃終了。
◇今回の収穫量 バタタA十一俵/バタタB 十一俵/バタタC 四俵 合計二十六俵
日支事変中にてそれに関する色々な行事有り。

十月十五日
 午後八時より通常例会開催。出席者十四名。
次の件提案協議す。
一、来る十八日午後十時十五分を期し、日本に於る靖国神社臨時大会に当り、国の英霊に対し敬虔なる一分間の黙祷を行う事を決定。
一、今回未曾有の非常時に直面。銃後青年会成立に当り、本会に於ても植民地一般より募集運動を開始すること。
一、今回新設野球部発展に力を入れ、其の強化策に対し運動部内野球部係長を一同より推薦す。平岡君承諾す。

十一月三日
 明治神宮遙拝をなす。
 午後四時より〈第一回全イタケーラ辮論大会〉を開催す。
 本日は第一回の催しであり一般聴衆少なく淋しき感あれど、辮士諸君大いに意気撥剌たる元気にて雄辮を奮う。出席辮士-五名審査の結果、次の三名当選す。
一等 在伯青年の叫び 七百七十点 川村久賀須
二等 在伯青年は何処 七百五十点 笠井堯
三等 時局を認識し生業に励め 七百三十点 笠井孟
終りて笠井氏のお話あり。午後六時閉会。

十一月十九日
 ブラジル語の小学校開校午前十一時一同集合、開校式に参列す。午後一時半より開始二時半に終了。


一九三九年(昭和十四年)

会長 川村久賀須

元旦
 午前八時半、青年会主催日本人会参加の下に、新年遙拝式を挙行せり。式後イタケーラ青年会万歳三唱せり。出席者青年会二十名、日本人会松本氏、森田氏。
式後〈第二回辮論大会〉あり。

五月十二日(金)
〈汎セントラル青年連盟創立総会〉
・名称〔日伯青年産業文化協会〕
午前十一時より役員選挙あり。選挙の結果は次の通り。
理事長 モジダスクルーゼス 高橋
副理事長 スザノ 杉本一二
第一会計 モジ 藁谷
第二会計 イタケーラ 川村久賀須
アルモッソ(昼食)後、モジ市長及び各界名士出席数名あり。一時より華々しく開会。尾崎氏挨拶ありし後、モジ市長及び名士の祝辮あり。日会長加藤氏、熱ある希望の言葉あり。

六月十八日
 朝七時より集合、会員約半数。午後よりよく集まり運動場整備、約半分モンテを取り会員よく働けり。この日より木下事務所出張し、外国人登録及び鑑識手帳を受付けり。当日集合人員約百名。


※昭和十四年八月より十九年八月迄の記録なし。


一九四四年(昭和十九年)

会長 岡上幸一

八月十日
 かねて総会に於いて決定したる精神講話拝聴の事。愈々本日より〈第一回〉開催す。
 午後八時より会館に於て、上坊先生より「家」と題するお話を聴く。出席者多く、午後十時半散会。

八月二十四日
〈第二回精神講話〉
 午後八時から半田先生より、第二回修養講話を拝聴せり。「道徳」と題する頗る有益なる講話であった。

九月七日
〈児童運動会〉
 本日は伯国独立記念祭であり、共済会学務部ではこの日を祝すると共に児童を楽しませるため、運動会及び学芸会を催すことになり、本団も之に参加協カする事になった。
 午前七時迄に全会員殆ど集合し、コースを引き旗を張り来賓席を設ける。折から空は曇りパラパラと雨が降り、運動会は懸念されたが幸い雨は止み、運動会には絶好の日和となる。
 十時頃視学官グルッポの先生方、雨の中を自動車にて到着。警官の出張もあって午前十一時より学芸会を開催す。
 雨天にもかかわらず来観者多数にて校内は人で一杯となり、午後一時学芸会は終り、直ちに運動会を開始す。
 プログラムに大人の競技もありて大変愉快に過ごし、午後六時過ぎ盛会裡に運動会は終りぬ。

十一月九日
〈第一回発表会〉
 出席者二十九名午後八時半より会館に於て、上坊・唐沢両先生の出席を得て、第一回の発表会を開催す。開会前一同起立し、皇軍戦没将兵に黙祷を捧ぐ。九時、会長より開会の辞ありて直ちにプログラムヘ移る。
 プログラムは次の通り
一、体質的に観たる日本人と白人 柳生昇
二、波吠ゆる太平洋〔詩吟〕 中村孔一
三、濁唱 荒城の月 松山政永
四、一分間演説 吉岡太一
五、発表会聞催について 安田実
六、言葉と考へ 菅谷賢
七、日本人としての自覚 唐沢文彦
八、雄弁に就 谷口清
九、日本の五十人の英雄 市村喜三郎
十、或月夜の時局感 仁張誠一
十一、創造性ある日本人 岡田利明

以下自己紹介等あり。終りて後両先生の批評あり、第一回としては上出来であったと言われた。十一時副会長の閉会の辞ありて一同散会。

十一月十六日
〈修養講座〉
 午後八時から唐沢先生より講話を聞く。
 過日、青年宮本君等共済会役員会開催中、五、六名の青年と共に村の青年としての立場から、青年の問題に対し注意あらんことを述べた事件あり。
 先生は青年の一部に最近或る傾向に向かって動きつつあることを喜ぱれ、青年会の向上発展は会員各自が愛の油を注ぐことであると言って、会の向上についてお話して下さる。
 午後十時散会 出席二十名。


一九四五年(昭和二十年)

会長 岡上幸一

二月八日
 〈レコードコンサートの会〉
上坊先生出席される。最初の試みである故か出席多く、にぎわいを呈せり。十一時散会。

二月十五日
〈第二回国史講座〉
 上坊先生より第二回国史の講座を受く。神武天皇御東征まで。出席二十五名。

三月十八日
〈レモン園の除草〉
集合三十五名
 午前十一時からレモン園の除草及び学校へ通ずる道路の除草を行う。二時迄に草取りを終えレモン採取。八俵の収穫ありて四時仕事終る。
 タ方より学校の井戸水をかえる。

七月二十日
〈夜学開始〉
 上坊先生指導の下に日常書翰文の認め方を習う。生徒は二十名なり。柳生昇、谷口清、柳生弘、岡田利明、松山政永、竹内喜太郎、渡辺猛、渡辺一人、勝野寿男、渡井文治、長谷川文雄、井上英雄、仁張誠一、松林功、田中照夫、菅谷順、半田保夫、半田久夫、梅田猪一郎。

八月十四日
〈日米戦争終わる〉
 情報不足により日本国の敗戦を勝戦と思えり。

九月九日
〈戦勝祝賀式〉
 過去八年有余年に亙った大東亜戦争も、去る八月十四日を以て終結を見たり。此の間我が将兵は海に陸に空に稀有の大戦果を挙げて皇軍の大勝に帰せり。斯の如き史上空前の大捷も素より天皇陛下の御稜威の然らしむ所に依るが、又我忠勇義烈なる陸海将兵と銃後一億国民の一死報国の賜である。依って我等青年会は茲に戦勝祝賀会を挙行せり。
 午前八時 出席会員三十八名
一、護国の英霊に対し衷心より感謝の黙祷を捧ぐ。
一、国歌 君が代
一、閉式の辞

十二月九日
 共済会学務部主催の児童運動会へ本会協カ援助す。

十二月十六日
 午後四時より会館に於て、「本年度定期総会」を開催す。
 会長の開会の辞終りて一同起立し、皇軍戦没将兵に対し一分間黙祷を捧ぐ。
 本年度会計決算報告あり(安田会計)。各部長より部門の事務報告ありて、審議事項に移る。
◇審議事項
一、会員義務の怠慢の者に対しての処置。
一、労力作業等に出頭せぬ者に対しての罰則。
審議終って役員の改選。
会長-岡田利明、副会長-中村孔一。
 改選終りて新役員の挨拶ありたり。
安田実君家事の都合上の理由を申し述べて、辞任せり。次点者岡上幸一君が会計に新任。依って野球部長は勝野君となる。
 午後七時半、本年度定期総会終りて慰労会に移る。時節柄御馳走はサンドウィッチにサイダー、ビール等あり。一年の労はこれにていやせり。午後十時盛会を極めて一同散会せり。


一九四六年(昭和二十一年)

会長 岡田利明

元旦
遙拝式挙行、会長 岡田利明
 戦勝に輝く皇紀二千六百六年の元旦を迎えり。我等青年会、午前七時を期し校庭に集合、遙拝式を挙行す。午前七時国旗を掲げ一同整列最敬礼をして、団長より開会の辞あり。一同護国の英霊に黙祷。次で君が代合唱。終って上坊先生より勅語奉読あり、奉答歌奉唱、会長より新年の祝辞あり。終りて一同大日本帝国の萬歳を三唱す。閉式の辞をもって午前七時四十分一同散会す。参列会員三十九名なり。

三月二十八日
臨時総会開催
 剣道の練習を終えて午後八時半より左の事項協議のため、臨時総会を関催す。出席三十五名、委任五名。
一、前総会に於て協議なせし運動会開催の件、再審議す。その結果「戦争勝敗間題で植民者間で争っているような現状では、決して植民地の空気を融和し一般の慰安にはならず、又祖国の同胞に対しても慰安などと言って騒ぐ時ではない」との意見あり。石原指導員よりも意見ありて、運動会開催は取止めるに決議なせり。一、女子会の希望に依って敬老会開催と決定。準備のため委員を六名選出す。委員は次の諸君
〔松山、渡辺、岡上、柳生、竹内〕の五名と定む。委員は女子会と相談の上で事を運ぶ。
一、義務怠慢の不正会員の処置に関して、会長一同へ問う。
一、語学部の計画
適当な指導者あれぱ珠算の練習を始めたいとの申し出あり、一同賛成。依って部長は先生と相談し決めることにする。
一、運動部よりタイム時計を買い度しと申し出る。「上等のものは一コントス以上もするので、中古で、峯氏に当って手頃のものあれぱ買うもよし」と答う。
一、会計より報告あり
過日のシネマ「杉野兵曹の妻」と「東京の女性」其他の入場券の賣上四コントス二七五ミル、支拂三コントス五〇〇ミル、残金七七五ミル。

六月十八日
〈第二回討論会〉
出席者二十二名
 午後八時より、第二回討論会開催せり論題は回章で通知したる「金力と智力」であったが、変更して、「ブラジルが住みよいか、日本が住みよいか」と言う題にした。審判員の欠席の為勝敗は問題とせず、誰でも一口でよいから討論する知識を磨くと言うのが目的である。八時過ぎて高橋部長より開催の辞ありて討論会を開く。
 先ず、ブラジル側より舌端を開く。
 高橋君立ちてブラジルの住みよき点を挙げ、曰く、
「ブラジルは気候暖かくして広大なる土地を有し、地味が肥沃で作物がよく実り、民は経済上恵まれて衣食住には何等の不自由もない。人口はいくら増えても、まだまだ開拓せらるべき土地は無限にあります。」と論じ、これに対して日本側は、
「成程ブラジルは経済的生活に於ては、日本より恵まれて居るでしょう。然し真に人間が楽しき生活をするに左様な経済的安全であるとか無いとかできるものではない。ブラジルは弱肉強食の社会であって、金持ちの金の有るにまかせて勝手横暴なる事をする。社会秩序が乱れて法律が履行されない。これに対し日本は社会の秩序整然としており、国民は法律をよく守る。又精神的生活に於ては全く雲泥の差である。生活の慰安となる娯楽機関多く、言語に於ても何等不自由を感じない……」
と応酬、斯くして約二時間余に亙って論議を戦はせり。
 但し四、五人の者のみに限られ討論せる弊があった。午後十一時散会す。


一九四七年(昭和二十二年)

会長 渡辺猛・一月~四月/高村時好・五月~十二月

五月一日
〈大運動会〉
 今月久し振りに大運動会を盛大に催す。
 イタケーラ青年会創立二十周年記念なりしにより、六年振りの久しきにわたり本日の如き大運動会開催したく、ここに植民者の絶大なる援助によりて無事に終了せり。
 さしもの運動場も参観者でうずめたり。
 賞品不足でイタケーラ迄、乾氏のカーロ(自動車)で、半田が取りに行った。

七月三十日
〈敬老会〉
 本日いよいよ敬老会。当日、男子及び女子青年準備に午前七時頃集まる。
 一時間餘遅れて始めたり。先ず会長挨拶、来賓の答礼ありて後、我々男子及び女子青年の踊りに移る。
 午後五時頃一同記念写真を写す。敬老四九名(六〇才以上)。記念品としてハンカチに敬老と刺繍し表彰状を贈る。午後八時頃終了。

八月十七日
〈演芸会〉
 今日はいよいよ演芸会の日である。
 午前八時集合にて周りの囲いや昨日の残りの仕事をし、十二時頃迄に準備大体終れり。今迄数回、夜集いて練習したる成果を発揮する時間せまりぬ。
 三時頃観客未だ少なかりしが始める。昼の内に少女の出演するだしもの、夜に男女青年が演ずる。夜になると観客多数集りて、我々の拙い芸に満足を与えられた様子で、会員諸君にも慰められ、愉快に今日一日を過せり。主に踊りで芝居は、軍国子守唄、化地蔵、ピストル強盗、嬶天下の四種類。寸劇三種類であった。
 十一時に終え、会員片付け、十二時一同散会せり。九名会館に一泊す。

十一月三日
 本日は畏くも明治大帝の御降誕あそばされた目出度い日であります。本会に於ては大帝を偲び奉りて厳かに遙拝式を挙行す。
 午前七時開式の辞ありて君が代、勅語奉読、奉答歌、今事変に於て護国の人柱となりし戦没将兵に対し一分間の黙祷を捧げ、厳かに遙拝式を終了せり。
 終りて青年素人角力大会を行う。本日は残念乍ら天候に恵まれず甚だ遺憾なるも、元気撥剌たる青年は雨をものともせず、此処に角力の幕は切って落とされた。
 行司は岩田氏にお願いし石原氏も協カして下さった。


一九四八年(昭和二十三年)

会長 井上英雄・一月~二月/渡辺猛・三月~十二月

一月二日
 青年会一行二七名、女子青年と共にサントスヘ遊行す。天候に恵まれ一同愉快に過ごせり。

一月十五日
 本年度最初の臨時総会を開催す。主として会館問題に就いて協議す。午後八時四〇分、井上会長より開会の挨拶あり、次いで渡辺君より会館及び付属地の問題に就いて、大要次の如き説明ありたり。
 先般行われたる共済会の定期総会に於て、当植民地葡語学校の問題が出て、父兄会(又は共済会)が以前より此の私立学校を官立にする様政府に願書提出してあったのが、愈々本年から当植民地の私立学校が官立となることになった。
 先ず校舎の問題であるが、会館を学校として政府に渡すか、別に建築するかの意見が出るに於て、これに先立ち、此の会館及び付属地に対し優先権を有する青年団も必然、この問題に就いて黙視出来ず。共済会の総会(十七日)迄に、前に青年会の肚を決定すべきである。以上の説明に基づき、次の如き決定を見たり。
一、会館及び付属地を政府に提供することは絶対反対。
二、父兄会が新たに会館を建てる必要は全然無く、建てるならば学校を建てる事。
三、学校が建つまで会館を校舎として貸す事は可なり。
以上の協議を以て本晩の臨時総会は終了せり。十時半。

八月十九日(木)
 来る全伯角力大会へ出場すべく、イタケーラ青年会より中央線軍として近藤、村中、湯川、岩田の四名、マリリアヘ遠征す。


一九四九年(昭和二十四年)

会長 渡辺猛

元旦
 青年会女子青年会列席の下、午前七時より新年拝賀式を挙行す。

十月三日
 本日より運動場の地均しを村で行う事になり、三日に割って奉仕することになった。
 毎日女子青年会員のレモン水のサービスあり作業はかどる。三日間の労働で作業は大体終る。


一九五〇年(昭和二十五年)

会長 渡井文治

三月十一日
 午後三時より会館に於て村山農業技師の、農業に関しての講演があった。

五月二十日
 午後二時より青年会野球チームはサンパウロのジヤマンテ野球チームと一戦せり。我がチーム十対二にて快勝す。
 別組は女子会員と共にサントスへピクニックに行く(十七名)。道中無事にて十時頃ゴンザガ海岸に着く。午後四時迄海で遊び、帰りはオニブスで聖市迄行き、そこから村中の自動車に乗せてもらい帰った。イタケーラ着午後八時。

十月二十八日
 植民地内に出没する桃泥棒を逮捕する為、夜警をする。夜十一時より、出動人員十七名。

十一月二十三日(木)
 会館建築作業に我等青年会も一日作業に出る。出動人員二十三名。


一九五一年(昭和二六年)

会長 渡井文治

一月五日
〈シネマの夕べ〉
 青年会主催。「遙かなる母の国」、「歌う宝船」

四月十一日
 臨時総会開催す。
◇協議事項
一、運動会開催の件、五月一日に開催する事に決定す。
一、運動場の除草の件、四月二十六日に除草。
一、レモン畑除草、四月十九日に除草。
一、賣店の件、青年会と女子会合同でする。
其他色々決議し散会は午後十一時。


一九五二年(昭和二十七年)

会長 渡辺猛

二月二十日
〈ピンポン大会〉
 本日は青年会、女子会、学生会主催の下に、全イタケーラ、ピンポン大会を開催せり。午後一時より開始。
《女子の部》
優勝・小高彌江、二位・山岸、三位・田中、四位・押本
《青年の都》
参加者約四〇人、優勝・北出正一、二位・坂ジョゼー、三位・小島
引き続き三人抜を行う。
《青年の部》
安田、上坊、池田、松林、池田豊三
《女子の部》
小高彌江、岩田寿美子、富田レイコ、安田綾子、山岸とし子

五月一日
〈運動会〉
 本日は植民者慰安大運動会が、吾等青年の手にて例年通り開催された。運動場の周囲には色とりどりの幕を小屋の屋根に張り、全く美しき風景なり。八時少年一人一脚より始め、プログラム通りに進み、男女二人三脚にては男女共にスッテンコロリンと転び、全く面白きプログラムであった。
 水中みかん喰い・男女出勤競走にては、ネクタイをただただ包み結びたりし如くした様は面白かりき。
 夜シネマあり「母人形」及ぴ「火の鳥」の二本立。

八月十五日
〈大谷法主一行、イタケーラ訪問〉
 朝より準備を手伝う。十一時頃着。経を上げ、演説を行なえり。最後に記念撮影をし、本日の仏教集会は終れり。

十一月二十三日
〈桃祭〉
 朝より会場は乗用車で埋まり、人の波又人の波で全く比類無き賑やかさであった。吾等は売店で過ごし、会場廻りも一回やっとであった。

十二月二十五日
〈ナタール(クリスマス)子供会〉
 本日は学生会、青年会、女子会の三団体合同にて、コロニアの子供にナタールを楽しく過ごさんが為、子供を集めてプレゼント菓子等、其他舞踊を見せたりして一日を過ごす。定刻時間迄に間に合わす積りなれど、朝、池田の畑へ桃泥捧が入ったとの事、それを捕えんが為に十一時頃迄暇をとられた。併し泥棒を捕えたのでみんなさっぱりとして、ナタール子供会に移る。一時半頃より始まり六時頃終り、後片付け後七時に散会す。
〔予算〕〈人数七〇〇人とみて〉
パン 二五〇〇
エスセンシア 三〇〇
菓子 八〇〇
袋(桃用) 五〇
ナタールの木の飾り物 二〇〇
玩具 八〇〇
色紙 三〇〇
計 十二、一五〇


一九五三年(昭和二十八年)

会長 渡井文治

二月四日(水)
 臨時総会開催
一、聖市四〇〇年祭について聖市より当団に一通の手紙が来たりしが、何と言っても訳が解らぬ為、後日何か来るだろうからその時に解決する事にする。
一、学生会よりの提案にて、シュラスコをして皆一緒に楽しく一日を過ごす様にしてはとの申し出あり。仲間に入れてもらう事に決定。
一、学生会よりフォルマツーラ(卒後式)祝賀バイレに吾等青年も招待されており、如何にするべきか協議の結果、青年六十三名、金一封を持って行く事に決定。

六月七日
〈汎中央線陸上競技大会〉
 佳き秋日和に恵まれイタケーラ・スザノ・モジ・サンミゲールは午前九時に入場式を行い、百米より始。何処でも選手良く練習をせし為皆好記録を出せり。
 接戦の結果、イタケーラ軍女子少年青年、晴の優勝を獲得せり。


一九五四年(昭和二十九年)

会長 井出洋一

四月四日(日曜日)
〈のど自慢大会〉
 本日は男女青年会主催の下に第一回コロニア、ビィーラ等に於ける素人のど自慢大会の日である。午前八時より団員一同出動し、午後三時より唄合戦に入れり。子供は二十番まで賞品あり。
大人は十番まで賞品あり。
○成績
一、高橋善義(コロニア)
二、栗原清(ビイラ)
三、岩田寿美子(コロニア)
四、飯渕康一(コロニア)
五、岩田和三(コロニア)
六、村中武(コロニア)
七、(コロニア)
八、飯渕康次(コロニア)
九、水谷静子(コロニア)
十、村中義明(コロニア)

七月二十九日
〈電気祭〉
 本日は共済会主催の電気祝として、午前八時より青年会員総動員参加、午後五時半より映画の夕あり。

八月三十日
 本日は共済会主催で、電化完成記念碑を建てる為、午前八時より青年会役員が作業に出役、午後六時頃仕上げ、夜九時解散せり。
 本日は青年会女子会主催の下に慰霊祭を催す。午後一時半より稲葉法師のお経と説教ありて五時頃に終了。後片付けをして一同解散せり。


一九五五年(昭和三十年)

会長 井出洋一

団員名簿
井出、鈴木、西田、味村、小川、池田、村中、夏見、鈴木、堤、松林、梅田、池森、熊谷、佐藤、岩田、山田、斉藤、松林、荻原、山本、小林、渡井、岡田、池田、池田(兄)、渡辺、村中(兄)、村中(弟)、西山、池田、青木、岩田、渡辺、勝野、飯渕。(以上三十六名)

四月七日
臨時総会
 先ずは、五年ぷりにて敬老会開催の件
芝居の役割をなせり
年齢は六十歳以上となす
引き続き運動会の件-五月一日開催と決定せり

七月十日
〈植民地三十周年祭〉
 本日は植民地入植三十周年記念にあたり、午前七時半より青年会員準備の手伝いをなせり。午後三時より植民者一般の三十周年祝賀会を催す。夜はシネマあり。

七月二十一日
〈敬老会〉
 我等会員幾晩も練習をしていよいよ本日敬老会を催し、非常に喜んで戴き午後七時半終えり。

七月二十七日
〈演芸会〉
 本日は午前八時より会員準備を行い、午後五時より演芸会を開催せり、午前一時半終れり。

十二月十五日
〈夜警〉
 本日は当植民地にドロボウが入った為に、共済会より夜警をたのまれて、会員午後九時より翌日の四時まで夜警をなす。


一九五六年(昭和三十一年)

会長 鈴木博

五月五日
 昨日の天気はどこへやら、今日は早朝より雨が降り続いている。五月一日が雨で延期したので、臨時総会を開き、再び延期するかどうか計る。
延期しない人-二十六名/延期する人-十九名となったので、明日の朝六時迄に雨が降らなかった場合、やり通す事となった。午後四時半より石山へ砂を取りに行き運動場に入れ、全会員一致団結して働いた。午後八時解散。

五月六日
 運動会をするかどうかきまらなかったが、今日は早朝より曇っていた空がプログラムが始まる頃より何時しか晴れて、太陽が顔を出し、グランドのコンディションも上々となった。
 会員一同の奮闘努力のお蔭で無事幕を閉じた。

八月十八日
〈ノド自慢大会〉
 午前七時半より準備を始め、午後一時より大会を始める。出場者《童謡の部》十八名、《歌謡の部》二十五名、《民謡の部》十七名(計五十名)
成績発表
《童謡の部》
一等・渡井淳子、二等・中村乃江美、三等・田中光枝
《歌謡の部》
一等・原道子、二等・田上ローザ、三等・円主登
《民謡の部》
一等・高橋雄、二等・小野田八策、三等・高橋栄
午後六時、ノド自慢大会を終了す。


一九五七年

会長 村中善明

元旦
 拝賀式午前七時半より、例年通り新年拝賀式を青年男女合同で行う。
一、開会の辞
一、両陛下並に母国の皆様の健康と発展を祈って黙祷
一、君が代斉唱
一、ブラジル国歌(イイノナショナル)斉唱
一、一月一日の歌合唱
一、青年会長祝詞
一、女子会長祝詞
一、会員の誓
一、女子会員の誓
一、萬歳三唱
一、閉会の辞

男女青年会.jpg
男女青年会員(一九五七年元旦)

一月二十四日
臨時総会開催
一、農業研究部カンピーナス方面見学カンピーナス農業試験場及び東山農場見学に付き、一応当日の参加希望人員を回章にてまとめる。費用は青年会が半額負担
一、来る一月二十六日(土)午後三時より学生会十周年記念の為、シュラスコ及びバイレを催すとの案内来る。
一、一月三十日午後七時半より会館のカイシャ(水のタンク)の修理をする。閉会十一時、出席二十七名。

七月二十一日
〈演芸会〉
 今日は愈々三十周年記念大演芸会開催の日で、朝から当会館は活気を呈した。
 午後四時開始。次々とプログラムが進むにつれて、観衆は拍手を送って止まなかった。一時近くに無事終了。


一九五八年(昭和三十三年)

会長 松林忍

一月四日
柔道部、道場鏡開き。
 本日青年会柔道部の道場鏡開きを三時より開催。個人戦及び紅白試合を致す。
 六時頃より汁粉を馳走し、九時頃解散。

六月十四日
臨時総会開催
 午後八時四十五分開始。
 共済会より、青年会をはじめ各クラブを一つの連合にしたいとの事。そして出来得れぱ名前だけ一つにしてほしい事。たとえ連合しても今迄通り活動する事。
 総会の結果、青年会は他の団体と連合することになった。
 今月より図書部が活動開始。


一九五九年(昭和三十四年)

会長 味村忠彦

一月二十三日(木)
 午前七時よりテニスコート地均し作業を行う。
 先ず便所をくずしたり、又新しく作る所へ穴を掘ったりし、夕方迄に何うやら済む。夜は女子会のお手製のジャンタ(夕食)を馳走になる。

五月二十四日
男女役員会開催
 本日は敬老会に関し色々な問題があったので、男女役員会を開催する。先ず本年六十五才以上の老人、調査の結果、五十七名程になることを確認。もれた人が居るとして六十名と推定す。
○敬老会の記念品は、一〇〇ミル前後のもの。
○開催期日は七月十五日。
本日出席者…山本、堤、広岡、岡田、小村、千崎、亀岡、上坊、味村、原、松林。女子会より山田、堤、水谷、原。

九月十三日
 男女青年合同問題に関して委員会を開催す。
 去る二月一日に定款修正に関して任せられた男女青年委員は、本日午後七時より集合。全委員の意見として、本当に内容の充実した団体にする様、色々な方面より検討した処、何うせ名目だけより本当に合同し活動せよとの意見が一致す。
◇役員の編成、次の通りとす。

会長 ┌ 副会長(男)-会計 ┐
会長 ┤ 副会長(男)-会計 ├ 書記-各部長
会長 └ 副会長(女)-会計 ┘

本日の出席者=味村、岡田、山田、松林、山田みさえ、原、中丸、吉岡、堤の九名。

十月二十一日
臨時総会開催
 本年度の桃祭の手伝いの役割に関して協議す。青年会は警備其他。
◇役割、次の如し。
一、警備=堤(兄)、原、鈴木弟、松林、山本兄弟、信太、池森、岡上、池田拓、飯田、尾和、瀧田、早坂、中丸、広岡、井出、西山(以上十九名)
一、会場=鈴木兄、亀岡、吉岡パ、木村、半田、吉岡正明
一、販売=千崎、中込、佐藤、山口、天野、力石、鈴木、村中、梅田兄弟、堤(弟)、中村

十二月三日
 本日は午前七時より日伯寺の運動場作りの作業を行う。一日皆一生懸命に行い、予定を済ませ五時頃散会す。作業出動者二十一名。


一九六〇年(昭和三十五年)

 会長 岡田哲夫
副会長 井出敏二・原道子

一月三日
〈柔遺大会〉
 男女青年会主催共済会及びスザノ寺崎道場後援の下に、第一回発表大会を開催す。
 朝九時より開始。紅白試合はスザノの勝。閉会四時。

一月十日
月例会開催 議長・山田正信
 先ず女子部より本年の事業計画を立てたいとの事。会員に計った結果、女子部にまかす事になる。先ず女子副会長より「活花」「造花」及び「料理」に各先生を招いて教えて頂くかどうか賛否を取った結果、先生は招かないで会員同志で教え合う事に決定す。
〔女子部の一年間のプラン〕
第一日曜日料理、手芸
第三日曜日活花、手芸、造花
第五日曜日手芸
続いてピクニックに対して意見を聞く。全員行く事に賛成。行き先はサントス(プライヤ・ゴンザーガ)に決定、期日は二月四日、オニブス(バス)貸切り、費用は半額会負担。
 次に欠席会員に関する再討議。
 先ず山田議長より説明あり、会員に意見を求める。その後副会長より誤解している会員が多いのでその訳の説明あり。比の問題は別に悪意で行ったのではなく、会員あっての会であるが故、全員に出席して貰い度いが故である。
 この事に対し、定款第二章第一条の『相互の親睦を図り』とあるにもとづき、昨年より実行せずに終ったことを実行し、これで成績が挙がらない場合は、最終的段階として最良の方法を研究したとの意見あり。
 昨年の内容は役員が欠席日数の多い会員に対し、家庭訪問をし出席出来ない理由を聞き、その結果、最良の方策をとると言う事である。
 これを計ったところ、この案が賛成多数にて可決。次回迄策を練る事に決定。六時五十分閉会。出席会員三十二名。


一九六一年(昭和三十六年)

一月十九日
 柔道の福原・長谷川両先生の送別会あり。

三月十六日
臨時総会開催
〔決議事項〕
一、運動会プログラム作成委員会を組織する。
委員氏名=飯田、岡田、池田。
二、運動会の運営は男女青年会が主体となる。
三、五月第二日曜日、母の日を行う。
四、演芸会を行う。寸劇、喜劇、コーラス其他。
五、音楽部の練習は、週二回木曜日と日曜日に行う。

十二月十七日
定期総会 議長・渥美直君
今年度会長挨拶
今年度会計より会計報告
皆勤賞並びに精勤賞授与
☆皆勤賞
《女子部》
広岡美智子、谷口富士子、馬場良子
《男子部》
岡田哲夫、木村一夫、福永靖博
授与式後、一九六二年度役員選挙を行う。
会長 岡田哲夫
副会長 堤パウロ (女子部) 馬場良子
会計 池田拓次 (女子部) 谷口富士子
書記 天野秋雄 (女子部) 広岡美智子


一九六二年(昭和三七年)

会長 岡田哲夫

一月六日(土)
全クラブ合同新年宴会あり。

二月二十五日
子供会講師 吉田先生。

五月二十七日
子供会講師 桑原先生。

十一月二十四日、二十五日
〈桃祭〉
女子部炊事当番、男子部ソルベッテ(アイスクリーム)売り


一九六三年(昭和三十八年)

 会長 中丸敬
副会長 亀岡俊二・桂美津子

一月二十七日
臨時総会議長・岡田哲夫
一、本年度の予算発表
一、ピクニックの件、二月十三日前後にピクニックに行く。プライヤ・グランデの予定。
一、敬老会の件、男女青年会合同後四年目になるので敬老会を行う。
一、運動会の件、今年も例年通り五月一日に男女青年会主催にて運動会を行う事に決定。

九月二日
コロニア会館にて〈ファブリカ桃大会〉あり。
 午後三時、アデマール州知事がヘリコプターにて着。

九月十五日
 午後四時、臨時役員会開催クラブ合同の件を協議。

十月十三日(日)
臨時総会 出席者二十一名
クラブ合同について次の件にて協議。
一、資金の件について。
一、資金は柔道部へもって行く。
一、道具は新しいクラブが自由に使う。

この総会を最後として男女青年会は解散。


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