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イタケーラ植民地
     青年会その他の組織  (最終更新日 : 2004/12/03)
女子青年会

女子青年会 (2004/12/03)
女子青年会.jpg
イタケーラ女子青年会(一九四五年十二月二十三日)
向かって右より
(後列)西田マリ江、松林綾子、押本ヴィトリア、田中アニッタ、長谷川清子、佐藤マリア、菅谷ローザ、木沢泰子。男性・清水友一、石原幸一
(前列)斉藤今朝子、岩田照子、稲掛マリア、岡田真澄、田中マダレーナ、龍田秀子、他


女子青年会は、一九四〇年(昭和十五年)に創立された。


一九四〇年(昭和十五年)

十一月十日
〔会員名簿〕
吉田艶子、村中百合子、中曽根真理阿、押本三洋子、松林智恵、小坂キミ子、山田敏子、藤原百合子、池森リア、真鍋たか子、平岡政子、菅谷ローザ、小坂チヅ子、小坂フミ子、長谷川みよ子、石原うめ子、市村とし子、水谷美知子、岡崎きし子、玉木けい子、柳田マキエ、押本ヴィクトリア(以上二十二名)


一九四二年まで続いており、それから途切れて一九四五年(昭和二十年)四月一日、創立総会を開いている。


一九四五年(昭和二十年)

会長 田中伸子

四月一日
会員数二十二名
午後一時半開会。
開会の挨拶後、唐沢先生進行係となり次の議事を定む。
例会毎月第二日曜日、十二時より十六時迄。
裁縫、手芸、修養、料理、図書
会費月額二クルゼイロス。必要の場合は特別会費も徴収す。毎年一回敬老会を開催する。
役員選出は、創立当初であり其の意味に於て委員側より其の発表の結果、多数決にて指名す。
会長 田中伸子

六月十日
 正午に会員集合、お茶を沸かし一時半に開会す。
 唐沢先生が会則を定め下され、それを一つ一つわかり易く説明して下さいました。
 その後、唐沢先生の講話がありました。『婦女子の会はなかなかむづかしい。或る人が言ったが、それは女の方は神経が細密(緻密)である。それは神様が与えて下さった特点である。一つの家庭で粗雑であったら、その家庭の発展は困難であろう。
 人の弱点をつつき出すような事は慎み、常に大きな心持ちで物にこだわらず、会の出来事は其の場かぎりで水に流してしまうこと。又多くの集いを持つことはそこに何か得る事がある。私達も色々な会に出席し、自分の考えをハッキリと人に伝えられるような人にならねばならない。例会の時にもさっぱりした気持ちで、自分の思う事を発表するように』と、おっしゃった。
 だんだん寒くなるので次の例会は編み物を致すことになり、指導員は次の人にお願いしました。
松林チエ子、木沢泰子、押本ビクトリア、西田マリエ。
 四時半に閉会す。

七月八日(日)
開会一時 出席会員十四名
 編み物の講習を四時迄なし、後、田中会長より次の通り相談がありました。
一、来る十一月末、当小学校の展覧会を利用して、手芸展覧会を催すこと。
一、来る第四日曜日にお菓子の講習をすること。
一、九月七日校庭に於て運動会ありたる時は、自家製菓子を売り資金をつくる事。
一、日語学習の一助として巡回日誌を書く事。
 以上の提案に対して皆様の賛成を得られました。その後ピンポンなどに打興じて、五時半家路につく。

十月二十七日(土)
 田中会長より回状が廻ってきました。『来る二十八日(日)午前八時より小学校に於て、十一月一日の精霊祭(フィナード)の日墓前へお供えする花束を作成し販売して、祖国への献金に致したく存じますので、鋏と御飯を用意の上、定刻迄にお集まり下さい。』

十二月二十三日(土)
 正午より定期総会指導員-石原、清水両氏列席の下に開会。選挙の結果、会長・押本ビクトリア。
 聖市より中野写真屋さんに女子会一同の写真を撮っていただく。これも永遠の女子会員の記念写真となるであろう。


一九四六年(昭和二十一年)

会長 押本ビクトリア

一月一日(火)
 女子会が創立(再開)されて第一の新年を迎えた。イタケーラ青年会と共に午前七時より集合す。晴れ渡りたる澄空に雲は時々視界をさえぎりながら、どんどん飛び去る。東方に日の丸の旗を掲げ、朝日を受けて国歌を斉唱し、戦死された将兵の霊魂に頭を垂れてしばし黙祷を続け、四方拝を閉じる。

四月十三日
 押本会長より通知あり。『前略、イタケーラ女子青年会も再開後一ヶ年の月日を皆様と共に楽しく過ごしましたが、先日の役員会では今後の例会だけを致す事に決定しましたが、集合は今のところ危険に思われるので、一時中止する事にしましたから、左様御通知下さいませ。又時期をみて集まる事にいたしましょう。右取急ぎ御通知申し上げます。 イタケーラ女子青年会』


一九四七年(昭和二十二年)

会長 西田マリエ(四月~九月)/瀧田秀子(九月~十二月)

会員名簿
田中伸子、押本ヴィトリア、押本貞子、田中和子、水谷美知子、稲掛マリア、菅谷ローザ、木澤泰子、斉藤今朝代、岡田マスミ、瀧田秀子、岩田照子、五枡本朝子、西田マリ江、市村トモ子、吉永トシ子。以上十六名

四月十三日
 世界戦争の為永い間中止していましたが、此度又女子青年会を続ける事に相談がまとまり、四月二十日に役員選挙をする事になりました。

四月二十日
イタケーラ女子青年会臨時総会開催
 午後一時より役員選挙。会長 西田マリエ

六月二十九日
 サントアンドレ植民地の日本荘にて平和地蔵の開眼式の祭典があり、少女の奉納稚児行列もあり沢山なる参詣人があり、奉納の演芸会で近来になき賑わしき事であった。
 夕方荷物自動車で送られ帰宅す。

九月十四日
第四回定期総会 午後一時開会 出席者三十五名。
 役員選挙あり。会長 瀧田秀子

十二月二十一日
定期総会あり。
 十一時集合。生花の講習を済まし、二時より定期総会をす。役員選挙の結果。会長 木沢康子


一九四八年(昭和二十三年)

会長 味村啓子/石川笑子/岡田真澄

一月一日
会長より脱会届け出る。

一月四日
総会により会長選挙。会長 味村啓子

二月一日
後任会長辞職し、後任会長に石川笑子を選ぶ。

三月十三日(土)
臨時総会。会長選挙、新会長 岡田真澄

五月三十日
 正午より運動をする。今日は刺繍の二井内エイ子先生がお見えになり、明日より講習を受けることになる。

十二月十九日(日)
 正午までに全員集合。手芸をし、その後、野球がある為、役員一同前掛着用にて集合。青年のカフェの用意、食事の用意をして午後一時より始まったた野球を見物。イタケーラは大勝利に試合は終った。


一九四九年

会長 渡辺清子

二月二十一日
 女子会会長より次の如き回章が廻って来ました。
『拝啓、貴家益々御清栄の段、賀し奉ります。扨て今回次の目的により、別紙プログラムの如き女子青年会員の製作品展覧会並に即売会を相催し度く存じますれば、御多忙中誠に恐れ入りますが何卒御高覧の栄を得たく、此の段御案内申し上げます。
(目的)
一、会員をして智能の啓発と技術の向上進歩を計る。二、協同精神の尊さを学ぶ一助たらしめる。
三、多少なりとも得たる収益を会員の修養費に貯える。』

三月六日
《製作品展覧会》当日


一九四八年(昭和二十三年)

一月一日
 会長より脱会届け出る。午前六時渡辺会長宅へ全員集合。一同前掛持参で炊事の手伝い。御馳走も出来上がり、後片付けをして自動車で会館へ行き、手芸品の陳列にかかる。
 蓄音機をかけて全員正服揃えて、自分の受持ちをする。お客様も大勢来て下さり、一日楽しく過ごしました。
五時閉会、会長の挨拶あり、七時迄後片付けをして帰宅。
《女子青年会員の製作品》
裁縫品=女子服、男子服
手芸品=小箱、金入、カミフーセン、ナフタリン入れ、人形、手さげ袋
編物類=子供用チョッキ、セーター、帽子、靴下、大人用チョッキ、セーター、ムース編
食堂=お汁粉、お寿司、甘納豆、カステラ、寒天、サンドウィッチ、コロッケ、コッシニョ
場所=イタケーラ青年会館
主催=イタケーラ女子青年会

四月二十九日(金)
晴れ
 本年四月二十九日をもちまして、第四八回の天長節を迎えました、祖国の人達は言うに及ぱず、遠く七つの海洋にある同胞も凡そ日本人となれば、老いも若きも此の佳き日を心から寿を奉るのは申す迄もありません。
 イタケーラ女子青年午前七時より拝賀式。一同心から今日の佳き日を御祝い申し上げれば、私共大君の千代に八千代に栄あらん事を祈り望み奉る誠心がとどくのであります。


一九五〇年(昭和二十五年)

会長 渡辺清子

一月二十一日
 今日は楽しいサントスヘ《慰安ピクニック》の為、皆女子会員一同十六名は早朝よりイタケーラ駅に集まる。五時十五分発の汽車に乗り聖市へ向かう。車中談話に夢中になっているうち知らぬ間にノルテ駅に着く。下車して少し休み、七時十五分のオニブス(バス)でサントスヘと向かう。途中綺麗な道路にビックリしながら、サントス港に着いたのが八時半であった。
 直ちに海辺へ行きガビーネを借り、一同は食事を済まし海水着を借着して海水に入った。三時過ぎ迄雨の中を潮水と共に楽しく過ごしたが、知らぬ間に帰途オニブスの時間が近まったので、部屋に帰りバネェイロ(シャワー)にて体を洗い着替えて、四時五分前のオニブスに乗り聖市へ向かう。オニブスの中では海の疲れで、大半は気持ち良さそうに眠っていた。ノルテ駅着六時前。六時二十分の汽車でイタケーラに向かい、イタケーラ駅で皆嬉々として別れの挨拶をして、帰途についた。

十月七日
 午後七時より集まり、斉藤先生が来て修養講話を聞かせて下さった。

十月十五日
正午より集合。
 先日の修養講話について座談会をする。後イタケーラ0B野球チームの優勝祝あり。その為コジーニャ(炊事)の手伝いをする。六時解散。


一九五一年

会長 渡辺清子

五月一日
 本日は楽しいイタケーラ植民地の《慰安運動会》が行われ、私達女子会は少女達とおゆうぎをしました。女子会は売店係をしました。

五月二日
運動会の慰労会


一九五二年

会長 渡辺清子

一月二十三日
会長 松林とし江

五月十八日
会長 渡辺美代子

六月一日
 本日は十二時より集合。いつもの通り編物、ボルダードをする。
 午後三時より東本願寺の開教使瀬辺様の講話がありました。

八月十五日
 本日、東本願寺御法主様一行の歓迎会が当村で催されました。女子会も歓迎並にお手伝いを致す事になっていましたので、午前九時までに集合。会場のお手伝いを致す役員六名は、午前七時より水谷様宅にて炊事のお手伝いをする。
 午後一時、先亡者の御法要。後、御法主及び御裏方のお話がありました。午後三時帰敬式、後、記念写真を撮る。

※この頃より学生クラブも男女青年会の行事に入り、ナタール子供会を共催している。

十二月二十五日
 本日はイタケーラの子供達が待ちに待ったうれしい《ナタール(クリスマス)の日》であります。私達女子会は午前八時より集合、会場の準備を致す。午後一時より開会。例年通りおどりがあり、楽しく子供達と共に一日を送る。午後五時閉会。


一九五三年

会長 渡辺美代子

三月十六日
 七時集合、カルドゾ氏とノブレフィリョ氏がお出になられる。みんなで皿を洗ったり野菜を洗ったりして手伝いをする。十二時にお出になられたので学校の生徒と出迎える。会場では、シュラスコ(バーベキュー)の焼いたものを持ってお給仕をする。

四月二十六日
 二時より菅谷のケンチャンがアモル・エ・カザメント(愛と結婚)と言う意味についてお話になりました。それから色々の方もお話されました。


一九五四年

会長 渡辺美代子/水谷静江

二月十四日
会長辞職の為、新会長 水谷静江
会員名簿
渡辺美代子、上口俊子、水谷静江、吉岡絹代、小高弥江、堤清子、池森富江、岡田和子、長谷川弘子、石川洋子、梅田さく、井出由里子、杉浦末子、岩田寿美子、峯美津子、松林とし江、小川俊子、水谷良子、吉岡澄子、山岸登志子、森田南美、池田道子、中村初子、上口暎子、奥山竹子、村中美津子、杉浦光子、田篭鈴子、西田あた江、安田綾子。(以上三十名)

七月二十五日
 本日《電気祝賀会》が催されました。女子会は午前七時までに集合、お手伝いする。夜はシネマ「闘魂」を上映す。

九月二十二日
 本日男女青年会主催のもとに《イタケーラ先亡者の慰霊祭》が催されました。会員一同は午前八時までに集まり会場の準傭をする。役員三名は水谷宅へ食事の手伝いに行く。
 開会午後一時、、閉会午後五時。

十一月二十七日、二十八日
 第六回目の《桃祭》が催されました。女子会員は七時集合し手伝いをしました。
 二十七日午前十一時半に副市長、州農務長官及び州政府高官多数の出席を得て、盛大にイナグラソン(開会式)が催されました。


一九五五年(昭和三十年)

会長 渡辺美代子

元旦
 会館に於て拝賀式を挙行す。

七月十日
 桃祭会場に於て、《イタケーラ三十周年祭》のお祝が催されました。私達も午前八時までに集まりサンドウィッチ、サラダ等を作りました。夜映画あり。

七月二十一日
 本日男女青年会主催のもとに《敬老会》が桃祭会場に於て催されました。会員一同は午前六時半に集合。お寿司、サンドウィッチ等を作る。男子は会場の準備をした。
 開会挨拶=共済会会長 森田様・青年会会長 井出様。
 十二時に記念写真を撮る。十二時閉会。敬老者は七〇名。
敬老会プログラム
 一、ゆりかご〔子供〕
 二、子供のキャンプ〔子供〕
 三、愛国行進曲〔少女〕
 四、流れ星〔子供〕
 五、高砂〔少女〕
 六、チューリップの兵隊〔子供〕
 七、春雨
 八、劇(四葉の約束)〔少女〕
 九、長崎物語〔女子〕
 十、別れ舟〔女子〕
十一、雨が降ります〔子供〕
十二、丘を越えて〔女子〕
十三、梅にも春〔女子〕
十四、金色夜叉〔青年〕
十五、津軽の子守唄〔女子〕
十六、おうち忘れて〔子供〕
十七、あやめ踊〔少女〕
十八、劇(大きな魚煎餅)〔子供〕
十九、夕暮れ〔女子〕
二十、梅は咲いたか〔女子〕
二一、秋の夜〔女子〕
ニ二、大地の若人〔少女〕
二三、わしが国さ〔女子〕
二四、夏どろ〔青年〕
二五、伊那節〔女子〕
二六、黒田節〔女子〕
二七、春雨〔女子〕
二八、勝太郎子守唄〔女子〕
二九、お富さん〔少女〕
三十、赤いすいれん〔女子〕
三一、劇・道灌と缺皿〔女子〕
三二、粗忽の使者〔青年〕
三三、東京音頭
三四、安来節〔青年〕
三五、炭抗節〔青年〕

七月二十七日(水)
 本日男女青年会主催の《慰安演芸会》が催されました。プログラムは敬老会と同じものに女子の新しい劇(六年とまんじゅう)と青年の芝居(赤城の子守唄)をふやす。
 午後五時開会、午前一時閉会。


一九五六年(昭和三十一年)

会長 安田綾子

七月二十二日
 本日待ちに待った《バザー》の日である。
 会員一同は午前七時に集合。三、四組に分れて皆んな一生懸命パステスやサンドウィッチなどを作る。
《女子会員の製作品》
男女子供服、婦人服、手芸、手提げ袋、なべしき、お人形等
編物類=子供用チョッキ、メイヤ(靴下)、大人用チョッキ、セーター
ボルダード類=ジョーゴ・デ・サーラ、ジョーゴ・デ・メーザ、パンノ・デ・コジーニャ、レンソ其他色々
食品=お汁粉、パステス、サンドウィッチ、お饅頭、飲物
◇生花コンクール入賞者
一等・水谷静江、二等・水谷良子、三等・安田綾子、四等・安田美枝子、五等・渡辺美代子

十二月二十五日(火)
 青年団、女子会、学生クラブと三クラブ主催の下に《クリスマスの祭典行事》を開催。
 日曜学校の木下先生並びに諸先生方の御指導により全員「聖夜」♪聖しこの夜星は光り~♪を合唱の中に開幕。小さい子供達の口から流れる歌声は、遠い日の思い出を呼び起こし、限りなき神秘を秘めて晴天の果ての果てまでとどきそうであった。
 祭典行事として歌踊其他学生会のユーモアたっぷりの劇、落語等があり、現代劇に書き替えられたサルカニ合戦の珍劇までとび出し、誠にその熱演ぶりたるや、おへそが茶を沸かすのたとえ。終始爆笑の中に幕となった。
 終了後、一月五日(土)の新年会の件につき、男女青年は役員会をする。決定事項は次の通り。
○青年会、女子会、学生クラブ、野球クラブ、ピンポンクラブの五クラブ合同で会を行うこと。
○開宴十五時-閉宴二十二時。


一九五七年

会長 安田綾子

一月十三日
午後二時より役員会を開く。
 本年度の女子会の運営について。
第一日曜日お料理講習会
第三日曜日生花講習会
第五日曜日手芸研究会

七月二十一日
 午後四時半より、《青年団三十周年記念演芸会》が盛大に行われた。女子会は昼食係を承りましたので、午前八時集合。

十一月三日、十月十七日
 この三日間水谷文子さんの講習の下に、ボーロのエンフェイテ(ケーキの飾り)を習った。


一九五八年(昭和三十三年)

会長 岡田和子

九月十四日
 各クラブ合同について、午後二時より共済会と各クラブの役員方と共に色々話し合った。その結果、各クラブはだいたい合同してみる事に決まり、桃祭などにも協カする事に決まる。
 その他、本年度の州議員国会議員選挙の件、共済会の名をウニオン・イタケレンセとするかどうか、農業クラブで必要な共同のミシン購入の件等色々にぎやかに話し合い、五時半頃終り、雨の中を帰途につく。


一九五九年(昭和三十四年)

会長 山田みさ子

一月十八日
 午後一時より男女青年会役員会を開く。決定事項次の如し。
二月 ピクニック=サントス
五月 運動会
七月 敬老会・演芸会・バザー
十月 見学
其他、養老院を訪問する事、修養講座を開く事、テニスコートを作る、映画を男女青年合同でする。
 三時より総会を開催。
▽役員会の発表
 今後、料理の後に座談会を開き意見を発表する事。手芸は造花、刺繍、編物、何でもどんどん習う事に決まる。
 午後五時散会。

八月二十三日
 午前九時より日伯寺学園の先生方に、子供達の為に「お話」「げんとう」等をして頂く。午後二時より集まりて座談会を開く。


一九六〇年

一月一日(金)
 輝かしき一九六〇年が明けました。午前八時より男女青年合同にて新年の拝賀式を行う。男女共同の新役員は次の通り。
会長 岡田哲夫
副会長 井出敏冶・原道子
会計 味村忠彦
副会計 堤良夫・中丸八千代
書記 松林忍
副書記 飯田正昭・広岡美智子

男女青年会が合同した年の女子部会員名簿
馬場良子、西田あたえ、奥田春枝、山岸登志子、笠井早苗、佐藤義子、山田みさ子、原道子、原直子、奥山竹子、依田南米子、竹内さい子、力石静子、井出里枝、岡田和子、池森澄枝、上坊縫子、吉岡絹代、吉岡澄子、池田道子、中村初子、中村道子、渡井みどり、水谷良子、上口暎子、梅田さく、野田洋子、飯田静江、佐藤エツ子、尾和初江、桂久子、井出菊江、桂美津子、中丸八千代、田中美千子、伊藤節子、広岡美智子、杉浦日出子、杉浦静子、永井文江、市川なみえ、高村和子、谷口富士子、愛沢ラウラ、小森みさえ。(以上四十五名)

イタケーラ女子会では一九四五年(昭和二十年)より日本語の勉強の為、巡回日誌を書いている、先ず第一に最初の日誌を紹介する。

一九四六年(昭和二十一年)七月八日 日曜日 晴れ
 母に起され眼を覚ました時は、早や窓から忍び込む光線に室は満されて居た。耳を澄ませば鶏舎の方からは、カアカアと朝寝坊の主人達に飼料を催促して居るかのように………。
 朝寝坊は一日祟り、後の仕事が皆んな遅れてしまった。今日は女子青年会の集りがあるので十二時に家を出て急いで行って見れば、いつも規則正しく時間前に来られる有賀春子さんが、一人広々した教室で生徒の帖面を見て居られた。だんだんと会員が集り、先ほどまで室内に立篭めて居た陰影は消えて、ここに楽しげな若々しい笑い声が起り、あたりが明るくなったような気持がした。
 三時迄色々な雑談をしながら編物をした。其の後、私の考えを会員の方々へ申し上げ同意を求めた。
 其の内の一つは此の巡回日誌の事であった。私が一番に、粗筆悪文を持って新しい帖面へペンを置くのも心臆する思いなれど、日本語を勉強する一つの方法として……。
 今日は青年会の方々はオラトリア迄野球の試合に行かれたので、女子青年会だけで大きな学校をつかいピンポンをして遊び夕方五時過ぎに閉会す。
 一人後れて帰る時、真紅にやけた太陽が西の岡へなごり惜しむかのようにしづみかけていた。先き程の楽しさに比べあまりにも異った空気は、何んとはなしに哀愁をそそった。

 途中欠けた年もあるがこの調子で第一号が始まっており、一九五九年迄続いている。


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