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イタケーラ植民地
     全伯コロニアの施設  (最終更新日 : 2004/12/03)
こどものその [画像を表示]

こどものその (2004/12/03)  日本における近代社会事業創始者の一人と言われた長谷川良信師によって一九五八年九月一日に日伯寺学園に精神薄弱児教育の為に治療部を設立し、南米浄土宗別院日伯寺内に十三名の園児を収容して教育をした。その後フェラース・デ・バスコンセーロス市在住の井口吉三郎氏が現在のイタケーラの土地と二棟の建物の提供を申し出られ、それを請けて、一九五九年三月一日初代園長に佐々木陽明師が十七名の園児を連れて移転したのが「こどものその」の始まりである。
 初期は関係役職員の献身的努力と、地元イタケーラ植民地の温かい援助によって園は徐々に拡大し、現在に至っている。

敷地面積:一〇四、三三三平方メートル
建物面積:学園四、六七五平方メートル
実習センター四、〇七四平方メートル

 「こどものその」は、七歳から青年老年に至るまでの様々な年齢の総合施設として個々に合った特殊教育、生活指導、楽しい行事などの情操教育を行っている。つまり、十八歳まで訓練しても全員が家庭や社会に復帰できるとは限らない大人になった知恵遅れの人達が、保護のない厳しい社会生活をすることは大変困難で、さらに生活作業など成人のための更生授産施設として実習センター・養鶏部を手始めに陶芸、堆肥、調理、洗濯、など多<の人が生き甲斐をもって作業訓練を行っている。
 現在の園児園生は一〇〇名、職員数は四五名、理事長・井口信、園長・吉田光子、事務局長・坂本アントニオで、一九九七年度は、イタケーラの実習センター内に第二成人センター(二六名収容)の建設計画がある。
 一九九九年の創立四十周年には、益々充実した「こどものその」になっていると思う。


▽会員並びに収人の割合

支部数 全伯に三五〇支部
個人会員 約八、五〇〇名
法人会員 約七五〇社
収人の割合は、会員寄付三〇%、保護者寄付一〇%、特別寄付一〇%、バザー収益二五%、授産事業収入一〇%、その他一五%、計一〇〇%で、いずれもコロニアの多くの方々のご協カと園生の自助努力によって運宮されている。特に本部がイタケーラにある関係上、イタケーラを中心とした日系文化体育協会や日本人会等の限りなき援助は大きい。


「園歌」 長谷川良信師作
一、人の子われは弱くとも
仏の性を身に受けて
情の露にうるおえば
心の花もひらくらん
二、人の世波は荒くとも
み親の慈悲に抱かれて
行けば彼方に光あり
三、人の情よ師のめぐみ
友達多く集い来て
たのし学び舎明け暮に
心の玉をみがかなん


▽歴史

一九五八年九月故長谷川良信先生により浄土宗日伯寺学園内に精神薄弱児治療・教育部始まる。「こどものその」前身。
一九五九年三月同治療・教育部は井口吉三郎氏より寄贈されたイタケーラの現在地へ移転し「子供の園」と命名。
十二月「子供の園」の経営福祉団体としてパウリスタ児童療護会が発足する。
一九六九年十一月男子精神薄弱者援護施設「実習センター」開所。養鶏部開設。
一九七七年九月陶芸授産施設開設。
一九八○年三月サンパウロ市中心地に「リベルダーデ事務所」を開所。
一九八三年一月法人名「パウリスタ児童療護会子供の園」を、「社会福祉法人こどものその」と改称する。
一九八四年七月創立二十五周年記念式典並びに記念事業として「知恵おくれの子のための日伯シンポジウム・セミナー」を開催。その報告書を長谷川仏教文化研究所より発行。
一九八九年七月創立三十周年記念式典開催。記念事業として堆肥部開設。


子供の園.jpg
子供の園本館(一九九五年)


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