☆ 青木カナ プロフィール ☆

1965 5月20日 東京生まれ。
幼少よりクラシックピアノを習う。
学生時代から音楽部・テニス部で活発な青春期を送る。
1984 日本歯科大学付属歯科専門学校卒業。
その後、母の経営する美容院を手伝いながらホット・ミュージック・スクールのポピュラー声楽科でジャズのスタンダードを学ぶ。
1991 自己のリーダー・バンド、青木カナボサノヴァトリオでヴォーカル、キーボード、パーカッションを担当。ライブ活動開始。
エリス・レジーナに影響を受け、この頃からブラジル音楽に傾倒し始める。
1992 廣木光一ジャズ・トリオに歌手として特別参加。トリオ・プラス・ワンで、ジャズのスタンダードナンバーや、ボサノヴァを主に歌う。市川リブル、西荻窪アケタの店や新宿ピット・イン、その他にも劇場などで経験を積む。
1993 廣木トリオの日本全国ツアーに特別参加。北は北海道、南は九州までの縦断ツアーで、各地のクラブやライブ・ハウス、劇場などで、ブラジルの曲(サンバ・ボサノヴァ)を中心に歌う。
1995 ブラジル音楽を本格的に学ぶ為に、ブラジルに渡る。
ブラジル東北部を旅行、文化を学ぶ。
1996 サンパウロ州立音楽大学(Universidade Livre De Musica Tom Jobim)の声楽科(ポピュラー)に入学。その頃からライブハウスに出入りし、弾き語りやブラジルのミュ-ジシャン達とセッションを重ねる。
1997 ブラジル各地を旅行し、風土や文化を見聞。それをもとに作曲活動を始める。
1998 自己のバンドで、サンパウロのライブハウスなどでライブ活動を始める。
1999 サンパウロ州アヴァレ市のMPB (ブラジルポピュラーミュージック)の作曲コンクールで優勝。外国人初の栄誉に輝く。受賞曲はブラジルでの経験にもとづいて作曲した“バイバイ・ジャポン”。その他のコンクールでも入賞。同年、“バイバイ・ジャポン”の作詞をした作詞家、レオ・ノゲイラと結婚 
2000 ライヴ活動や各地コンクールに積極的に参加。
10月から、初CDの録音を始める。
(12曲中11曲は自己のオリジナル曲からなる。)
2001 初CDを自主制作で発表。「バイバイ・ジャポン」名誉あるタトゥイ音楽祭(サンパウロ)で喝采賞を受ける。
ヒベロンプレト子供の為の音楽祭(サンパウロ)で「バロン」が優勝曲に選ばれる
2002 サンパウロを中心にライブ活動。各地音楽コンクールに参加。10月より日本での凱旋ライブを北海道、東北、関東、関西にわたり、30ケ所で行う。
2003 サンパウロ中心にライブ活動。コンクールに参加しながら新曲作り。
2枚目のCDが完成。12月から2004年始めにかけて日本での凱旋ライブ。
2004 ドキュメンタリー映画「私の季節」の主題歌に「帰ろうかな」が起用され、プロデューサー川村年勝さんのもとに北海道ヤマハにてレコーディング。
その後、日本にて初アルバム「プリメイロ」(ブラジル録音)が発売される。それに合わせて関西、関東ツアーとプロモーション。
2005 映画「私の季節」が毎日映画コンクールのドキュメンタリー部門にて一位を獲得。
8月「絵紡」(私の季節イメージソングCD)の日本での東北ライブ決定。ブラジルにてMPBコンクール参加、ライブ活動、レコーディングなど。