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マツモトコージ苑
     1998年  (最終更新日 : 2005/06/20)
クイアバと周辺の日系人(前篇) [全画像を表示]

クイアバと周辺の日系人(前篇) (2005/05/20)  南米の「へそ」と称されるクイアバ。マット・グロッソ州の州都として、人口六万人を誇り、世界的な大湿原地パンタナールの玄関としても有名だ。現在、二百五十家族と言われるクイアバの日系人は、九五年に初めての皇室、紀宮内親王殿下を迎えて以降、求心力を失い、日系人の文協離れが顕著となっている。九七年十二月から就任した岡村ジャイメ文協会長は、ブラジル社会の中で、日系人の存在をアピールしようと新しい改革に乗り出した。クイアバの日系人と周辺に在住する日本人たちを取り上げ、観光などの地場産業に力を入れる人々の様子を紹介する。

(1)

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文協再建を目指す岡村会長
 クイアバ市内で、九八年十月二十九日から四日間にわたって開催された日本週間は、同地の日伯文化協会にとって初めての試みとなった。岡村ジャイメ・ヤスオ会長(四八、二世)の「日系人のみならず、ブラジル社会にも日本文化をアピールしたい」という意気込みが、実現に至らせた。
 九五年、日伯修好百周年記念行事の一環で来伯された紀宮内親王がクイアバを訪問されて以来、同地の日系人社会はまとまりの意識が極端に薄くなった。
 その背景には、当時の文協が歓迎の準備に力を注ぎすぎ、会そのものが大きくなりすぎたことに原因があると岡村会長は指摘している。
 「そのころの会長は古賀ロベルトさん(故人)が務めていましたが、新しい会館の建設など無理をしすぎました。会の組織が大きくなりすぎたために、一般の日系人がついていけない状態になったのです」
 その後二年間は文協はあっても、活動は停滞気味で、昨年創立四十周年を迎えた文協も式典などの記念行事は一切、行われなかった。
 昨年十二月に就任した岡村会長は、再び日系社会の活性化を目指してきた。日本移民九十周年の今年五月には、クイアバ市と隣町のバルゼア・グランデ市から各国移民に集まってもらい、「フェスタ・ダ・パンタナール」という民族祭も開催し、日系人だけでなく、各国移民たちからも大好評を得た。
 クイアバ市内に在住し、文協の初代会長を務めた植村直正さん(八四、鹿児島県出身)は「この二年間は、コロニアの心をまとめる人材がいなかった。金銭面の問題もあるが、会の役員の集中力が欠けていたのも事実。古賀さん以降、この人ほどやる気のある人はいない」と岡村会長の手腕に熱い期待をかける。
 今回の日本週間には日系社会のみならず、岡村会長はブラジル社会にも広く働きかけた。
 「今まで、文協は日本人だけが中心に動いてきました。これからは、それだけでは日系人の組織は成り立っていきません。青年部、婦人部やスポーツ部門を通じて、ブラジル社会とのつながりを密にすることで、自然な広がりができてくると思います」(岡村会長)
 また、もう一つは距離的な問題もある。クイアバは日本国総領事館の管轄ではサンパウロに属するが、日本政府関係機関とのコンタクト(接触)はどうしても希薄になりがちだ。
 岡村会長は、これらの関係強化とともに、マット・グロッソ州内の日本人会との連携も合わせて考えている。
 「州内に連合組織を作り、この二年の間に日系人同士の結びつきを強めたいと思います」
 岡村会長は自分の任期中に、いかに日系社会の再編を行えるかに情熱を燃やしている。            

(2)

 この二年間行われていなかった日本語学校も、昨年三月から再開した。
 九六年九月以降、日本語を教えられる教師がいなかったが、JICA派遣日系青年ボランティアの日本語教師の着任により、文協では新たに日本文化の継承に力を入れ出した。
 現在、ボリビアのオキナワ移住地出身の日本語教師である横江美智子さん(三〇、二世)とともに、教鞭をとっている青年ボランティアの橋川昌子さん(二四、福井県出身)は「何もかもがまったくゼロからの始まりでした」と一年半の教師生活を振り返る。
 「南星学園」という名称の日本語学校の生徒数は現在、三十五人。その内の約三割が非日系人、小、中学生の生徒は十四人と全体の半分にも満たない。
 週五回、午前と午後に変則的に時間帯が分かれている授業では、国語教育というよりも、外国人に対する日本語教育が主体となっており、非日系人生徒の学習目的はやはり、日本への就労が大きい。
 授業は会話を主体にひらがな、カタカナの読み書きも行っているが、ポルトガル語による翻訳がどうしても必要になるという。
 「日本語教育は百パーセント、日本語で行うべきだとは思いますが、現実的に生徒からポルトガル語の訳をつけてほしいと言われるなど、難しい面は多いのです」(橋川さん)
 問題は授業の中身だけではない。開始した当初は日本語を教える場所もなかった。仕方なく文協でビルの一室を借りてもらっていたが、家賃を払えるだけの資金がなく、やむなく文協の旧会館に移った。しかし、会館に空調設備が入ったのは、つい最近の十月二十八日のこと。日中は外気温が四十度にもなるクイアバの気候では、勉強どころではなかった。
 「汗をかきかき、授業を進めていましたが、ようやくクーラーが付きました」と橋川さんは、それでも、その変化を素直に喜ぶ。
 来年の二月には、州政府の援助により、日本語学校の正式な教室が会館の中に完成する。これまで、場所的に落ち着かなかったことが、精神的にも大きく響いていたが、教室の完成は関係者にとって、この上ない喜びのようだ。
 「とにかく、日本語学校を潰さないことが大きな目標です。以前は学校そのものが文協とのつながりが薄く、日系人の文協離れは顕著でした。その意味では、岡村会長になってから一歩ずつですが、前進はしています。しかし、今でも孤立感は否めません。とにかく、サンパウロなどとの連絡を取り合い、情報がほしいというのが正直なところです」
 取材を通して感じるのは、日系人の精神面での非日系化が、さらに進んでいることだ。
 このことについても橋川さんは「日本語が、より外国語的になる傾向にあります。日系人といっても家庭で日本語を使う習慣はなく、三、四世世代の意識は、そのほとんどがブラジル人的です。一世の日本語を勉強させたいとの希望とは裏腹に、実際にはそれが出来ない状況になっています」と指摘する。
 世代間の交代が進む中で、ブラジル人への同化を避けることは難しい。それを踏まえた上で、良い意味での日本文化をいかにブラジル社会に伝えられるか。文協と一体となった日本語学校の挑戦は、まだ始まったばかりだ。

(3)

 天然ゴム、砂金、ダイヤモンドなど豊富な資源に魅せられて、各地から人が集まってできた町、クイアバ。
 この地に入った日本人移住者のほとんどは、他州からの移転組だが、初代クイアバ文化協会会長を務めた植村直正さん(八四、鹿児島県出身)もその一人だ。
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クイアバ文協初代会長の植村さん
 台湾で生まれたという植村さんは一九三四年、血気盛んな二十歳の時に渡伯。ミナス州ウベラーバ付近の農園で、二年間の契約でコーヒー生産に従事した。しかし、契約農民として場所を転々とすることに嫌気がさした植村さんは、農業に見切りを付け、一九五三年にクイアバへ。
 同地に来て、測量士の仕事を本格的に始めたが、この地に移るきっかけとなったのは、小、中学校が数多くあったことだった。
 「サンパウロでは安心させて子供たちを学校にやれなかった。ここに来て、設備の整った学校がたくさんあったのには、驚きました」
 当時、クイアバにはリオ・フェーロ、カッペンの二つの日本移住地があった。カッペン在住の日本人がクイアバで死亡した際、入院費を払える日本人がいなかった。このことをきっかけに日本人同士で資金を積み立てはじめ、五七年に日本人会が結成された。それが今のクイアバ文化協会になった。
 初代会長を二年間務めた植村さんにクイアバの街を車で案内してもらいながら、現在の文協が所持・管理している施設を見せてもらった。
 九四年に新設した会館のほか、旧会館や野球場など、くまなく回ってくれる。新会館には九五年に紀宮内親王が訪問した時に記念植樹したイペーの木が今や五メートルほどの高さに育っており、時の流れの早さを実感させられる。
 会館の中には、歴代会長の顔写真が飾ってあった。九五年当時に会長だった古賀ロベルト氏は、その後、病気で亡くなった。それを見ながら植村さんはつぶやく。
 「宮さまの歓迎準備で古賀さんは忙しく働いていました。それがたたったのでしょうね。しかし、この会館を作ったことは我々にとってもありがたいことですよ」
 クイアバに住む日系人にとって初めての皇室関係者訪問は、あまりにも大きなイベントだった。その反動が文協から人の足を遠ざける結果となったのは、何とも皮肉なことだ。
 「寂しいけれども、それが現実であることは直視した方がいい。もう自分の時代ではないのだから、意見は出さない」と語る植村さんだが、現在の岡村会長にかける期待は厚い。
 現在、週に三回は家から十二km離れたゲートボール場に朝五時頃から出かけるという「悠々自適」な日々を送る植村さんだが、重要な行事がある際には、今でも頼りにされている。今回、初めて行われた日本週間にも来賓の一人としてあいさつもした。 
 「これからは、日系人の社会だけにこだわっていては何もできないですよ。良い意味でブラジル社会に働きかけていかなければ」
 時代の流れが植村さんに一つの答えを出させたが、その思いは岡村会長に引き継がれつつある。
(つづく・一九九八年十二月サンパウロ新聞掲載)


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