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マツモトコージ苑
     2000年  (最終更新日 : 2005/12/10)
セラードに懸ける男たち(後篇)

セラードに懸ける男たち(後篇) (2005/12/10) (6)

 コチア青年団地に入植した人々は当時、それまでのバタタ(ジャガイモ)作りで儲けたりと比較的裕福な層が多かった。また、百三十七人の入植希望者の中で、三十七人が精鋭として選ばれたこともあり、今日の事態を招くとは誰もが想像だにしなかった。
 百五十ヘクタールの開墾ができない菅原さんら生産者に対して業を煮やしたコチア中央会は、担保となっている土地の強制取り立てを行なった。
 菅原さんら数人の日本人生産者は拒否したが、中央会が裁判に訴えた場合、銀行からの融資ができなくなることを憂慮して、泣く泣く土地を組合側に渡した。
 それでもコチア中央会のやり方に数人が抵抗。一人の日本人生産者が背水の陣の思いで訪日し、日本の篤志家から図らずも五十万ドルを借りることができたことが大きかった。
 篤志家は土地代や営農資金の出資のほか、土地の保証人にまでなってくれた。コチア組合中央会から土地を買い受けた菅原さんたちは別の場所に土地を借り、三年目には農業機械を購入。現在では篤志家への借金を返済し、本当の自分の土地として八百ヘクタールを所有できるまでになった。
 苦い経験の連続から、土地面積は他の生産者より小さくても、借金をしないように心がけてきた菅原さんは、九〇年前後に吹き荒れたハイパー・インフレの影響を受けることはなく、その後もコツコツと土地を切り開いてきた。
 「他の人たちは故郷があったが、私にはカストロ(パラナ州)の土地を捨ててきたため、帰る場所がなかった」
 皮肉にも、どこにも行ける場所がなかった菅原さんが、農場では数少ない日本人としてセラードに留まっている。
 現在農業団地は、その九〇%以上を南からきたガウーショたちが開墾。日本人が残っているのはわずかに四家族のみ。その中でも、当初のコチア青年は、菅原さんを含めて二家族だけだ。
 菅原さんの意志は、ブラジルにおける農業生産の重要性を徹底して教える西村農工を卒業した長男の英治さん(二九、二世)にしっかりと受け継がれている。現在、五百六十ヘクタールの開墾面積には、大豆、綿、とうもろこしが植えられている。
 我々が農場を訪問したのは大豆の収穫に余念がない時期で、パラナ時代から大切に使用してきた赤い六トン車に乗りながら作物の様子を見回る菅原さんの姿があった。 
 見渡す限りの土地に実った大豆は一ヘクタール平均五十俵は採れるという。
 英治さんが植えた綿は、五月中旬から六月はじめの収穫を前にたわわに実りつつある。
 「無理をせず、地道に土地を開いてきたのが良かった」
 陽に焼けた顔に深く刻まれた菅原さんの皺が、セラードを生き抜いてきた現実を物語っている。

(7)

 バレイラスから北西方面に向けて、六人乗りの小型セスナ機で約四十分。COACERAL(中央ブラジル・セラード農業組合)の農場が広がる。
 同組合はプロデセールⅡ(日伯農業開発第二次計画)事業として、パラナ州の上野アントニオ・グループが八六年四月に設立した。 
 組合支配人の出合一男さん(六二、和歌山県出身)をはじめとする十数人の組合員が出迎えてくれる。
 バレイラスに事務所を置いている関係で、同地に住んでいる組合農業技師の笹谷義雄さん(四五、二世)たちは、自家用車で五時間かけて農場に来てくれた。
 意気込みの高さと組合員の団結力の強さが肌で感じさせられる。
 八七年の入植当初は、三十ロッテ(一ロッテの耕地面積は三百三十ヘクタール)で、翌八八年にさらに八ロッテが区画された。 
 現在、パラナ州のアサイ綿花とグループ・オカモトの土地を併せた総面積は三十六万七千ヘクタール。今年の目標生産量は大豆、とうもろこし、陸稲、綿を合わせて七万一千トンにおよぶ。
 しかし、実際に開墾しているのは二万二千五百ヘクタールと、全体の六%にしかすぎない。 
 「まだまだ、もっと多くの家族が入植しないと土地は開けません」(出合支配人)
 同地で運営資金さえあれば、入植したいという日系人は三百人にものぼるという。しかし、「開墾するよりも、つぶれて出て行く人のほうが多い」(笹谷技師)のが現状だ。
 組合員は現在、二十七家族。パラナ州出身者が中心だが、サンパウロ、南マット・グロッソ、リオ・グランデ・ド・スールからの入植者もいる。
 プロデセールⅡが開始された時は様々な融資があった。しかし、「この十年間のブラジルの経済政策はめちゃくちゃでした」(出合支配人)というように、八七年頃からのハイパーインフレなどの影響は、ここでも生産者を苦しめた。
 結果、カーギルなど穀物メジャーからの融資に頼らざるを得ない状況は、COPROESTE同様だ。
 さらに厳しいのは、農場が街から離れた遠隔地にあり、道路などのインフラ設備がミモーゾ・ド・オエステやバレイラスに比べて整っていないこと。
 バイア州政府との間には入植後三年間で電話、電気、アスファルトの道路ができるという契約があった。だが、アスファルトの道路は九六年にようやく完成。しかも、すでに表面はところどころ陥没し、地膚が見えているという。電話も九七年に農村電話一つが付いただけ。電気に至っては、まだ引かれておらず、ディーゼル燃料で自家発電しなければならない状態が今も続いている。
 組合では、輸送路確保のため、四百二十キロ分の道路造成を州政府と交渉。組合員で分配して三百二十万ドルを立て替えた。が、その金も未だ返済されていない。
 「立て替え分が返ってきたら助かるのですが」(笹谷技師)
 厳しい現状が、組合員たちに重くのしかかっている。

(8)

 COACERAL(中央ブラジル・セラード農業組合)の組合員たちが農場を案内してくれる。
 延々と続く農業地帯を十台前後の車が連なって走ると、もうもうと砂煙が舞い上がる。
 同乗させてもらったアデミール・アントニオ・マルコンさん(四一)はイタリア移民の三世。八六年に二十七歳で入植し、パラナ州のゴイオレ市に住んでいる家族とは年に数回会う程度だという。厳しい環境の中にあってイタリア系らしい陽気な性格が、日々の暮らしを支えている。
 マルコンさんの説明によると、四百ヘクタールの面積を耕すのに、二十四時間三交代制でノンストップで働いて、八日間はかかるという。
 気が遠くなるほどの数字だが、そんな中でもやっていけるのは未来への希望があるからだ。 
 マルコンさんの所有する土地は三ロッテ、約千ヘクタール。途中、一ヵ月遅れで植えた大豆がまだ青々と繁っているのが見える。ちょうど小粒の枝豆になっており、マルコンさんがビールを飲む仕草をしながら豪快に笑う。
 農地開墾に際しては環境保全のために、「レゼルバ」と呼ばれる20%の未開墾地の残すことがブラジルの法律で定められている。
 COACERALでは農地のレゼルバを農場北西部にあたるササフラス川流域にまとめている。
こうすることで、組合員の開墾地を有効利用することができる。
 また、生産物に必要な灌漑用水は川から六キロにわたって水道管が敷かれ、それぞれの土地に共同で使用できるように設備されているという。
 しかし、これらの設備投資も営農資金がないために、カーギルなどの穀物メジャーの高利の融資に頼らざるを得ない。
 組合員全員が受ける融資額は一ロッテにつき十四万レアル、二十七家族全体で三十八ロッテあるため、五百三十二万レアルが最低限必要となる。
 現在、組合の名はあるものの実質的に融資に関しては、穀物メジャーと個人とのやりとりが行われているのが現状だ。
 「組合は開けているというだけで、実際の事業は行なっておらず、組合の形を成してはいない」と語る笹谷技師の表情は厳しい。
 これまでに十四家族が入れ替わり、七家族は日本へと職を探して農場を後にした。 
 しかし、こんな状況の中でも現在残っている組合員たちは、自分たちの土地を離れようとはしない。
 「今撤退すれば、これまで何のために苦労してきたか分からなくなる。失敗もあったが、今まで知られていなかった北伯の(農業開発の)データもできつつあり、どうすれば良くなるかという知識はある」
 出合支配人は、この十数年のバレイラスの爆発的な発展が必ず次につながると信じる。
 現在、組合員が個人的にバイア財団と掛け合い大豆の新品種もできつつある。州政府としても組合に注目しだした。
 「営農資金さえあれば・・・」
 組合員同士の固い絆の中で、出合さんたちは未来に向けて目を輝かせている。

(9)

 セラード開発に携わる農業生産者たちの技術躍進には、目を見張るものがある。
 それは生産者たちの土地に対する愛着であるとともに、品質の良いものを生産したいとするプロ意識の表れでもある。
 COPROESTE(西部バイア農協)組合長の小山さんは、特に土壌改良については人一倍気を使っている。
 同地を訪問した四月は大豆とともに、とうもろこしの収穫時期でもあった。小山さんは飼料用のとうもろこしの乾燥を防止するために、「ミレット」と呼ばれるキビ状の緑肥をセスナ機でまく。
 「品質の統一をするためには五年以上の土壌改良が必要です」(小山さん)
 旧コチア中央会が、菅原さんらコチア青年たちに強制してきた政策がどれほど無謀かは、小山さんの説明で分かる。
 小山さんは、とうもろこしの葉を上から四回目を採取。大豆とともにカンピーナスにある農場研究所で、品質に関するデータを取ってもらっている。これだけで千レアルの経費がかかるが、「最終的には、自分が楽することになる」という。
 COACERAL(中央ブラジル・セラード農協)でも組合員の一人、鈴木アジルソンさん(三六、三世)が、創設して今年で三年目を迎える「バイア財団」側と個人的にコンタクト(接触)をとって品種改良を行なっている。
 現在、一ヘクタールの面積中、十九種類の大豆が試験的に植えられているが、種類がわかっていないものだけで、百以上はあるという。
 「今年は試験的に個人でやっているので、経費は千レアル程度ですが、セラードの土地にどの種類が一番適しているかを調べる意味でも、来年からはもう少し面積を広くしたいと思っています」(鈴木さん)
 育てるという意味においては農業生産面だけでなく、人材育成に重点を置くバレイラス日伯慈善文化協会(小山正会長)の日本語学校運営も見逃せない。
 八〇年代半ばからバレイラスに移住してきた日系人たちが、九〇年に文協を設立。
 日系二世が中心となった会では「日本人の子弟として、日本語を少しでも話してほしい」との思いから、現在、JICA(国際協力事業団)派遣の青年ボランティアと婦人たちが交代で教師役を務めている。
 バレイラス日伯慈善文化協会は「子弟の育成」を目的に現在、新しい日本語教室の補助金を日本側に申請。プールやサッカー場も増設されるなど会館の拡張工事も行なわれている。
 学務担当理事でもあるCOACERALの農業技師・笹谷義雄さんは「普段、組合同士の交流はほとんどありませんが、日本人会の集まりには週一回、皆が来るようなイベントを催しています」と日系人としてのつながりを重視する。
 広大な土地に憧れた人々は、世界の食糧事情に左右されながらも、土地の開発と人材の育成に心血を注いでいる。
 バレイラスに腰を降ろした日系人たちの新たな挑戦が、今、始まろうとしている。(おわり、2000年4月サンパウロ新聞掲載)


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