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南ミナス農協探訪 (2026/08/17)
ミナスジェライス州のポーゾ・アレグレ市から北に約五十㎞。ツルボラジア郡の一角、コチア区にあるのが南ミナス農業協同組合(赤木隆博組合長、二〇〇三年二月十二日現在)だ。一九七八年にトマトの生産団地として作られた同地は、標高約一千㍍前後の耕地が続いている。現在、ラマフォルテ種を中心とした柿栽培が定着し、三月から六月にかけての収穫時期を前に組合員たちはその準備に余念がない状態だ。今年(二〇〇三年)、生産団地創設二十五周年を迎える中、かつてのトマト生産地は、柿を中心とする果樹生産地へと姿を変え、「ツルボランジア」の名前はサンパウロでも大きくなりつつある。五年ぶりに訪問したツルボランジアの様子を紹介する。
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五年前(一九九八年)に比べて格段に整備されたフェルナンジアス街道を車で北上すること約三時間。ツルボランジア郡に近づくにつれて蒸し暑さが続くサンパウロとは対照的な、高原地帯特有の乾燥した空気が心地よく身体を吹き抜ける。 今回のツルボランジア行きは、ブラジル国内の日系農業者の実態調査と今年から進めている営農情報センターの設立に向けた取り組みを行うブラジル農業拓殖協同組合中央会(農拓組)の会議に同行したもの。農拓協の原林平会長とともに事務員の長田勝氏が運転する車に便乗した。 南ミナス農協への入口付近には「COTIA」という名称の入った道路標識が見える。元々同地はミナスジェライス州政府と当時のコチア産業組合中央会が協力して蔬菜(そさい)生産団地のモデルケースとしてつくられたが、入植当時の霜害・雹害など相次ぐ天災に悩まされてきたという。 組合では現在、選果場と柿の渋(しぶ)抜きを行うコチア産業組合当初からの倉庫の拡充工事が進んでいる。一年間のうち、三月から六月頃までの収穫時期以外には倉庫はほとんど使用されることがないらしく、その合間を見計らった工事は着々と進んでいる。 組合では、赤木組合長をはじめ、七、八人の組合員の人々が出迎えてくれる。どの顔も陽に焼けて真っ黒だ。農業生産者のそれを物語る。 生産者の一人・高島嘉紀さん(六二、福井県出身)の説明によると、現在の組合員数は二十二人で、入植当時から「ほとんど、増えも減りもしていない」という。しかし人数が少ない分、組合員のまとまりは大きい。また、インダイアツーバなどかつてのトマトの大生産地から移転した人々や同世代も多いことから、ちょっとしたことでもお互いが相談し合える雰囲気があるようだ。 生産団地の総面積は四百アルケール。二十ロッテ(=ロッチアメント(区画))に分譲し、当初、二十家族が入植した。九四年のコチア産業組合中央会解散以降は、組合員が施設を購入し、「南ミナス農業協同組合」として、活動を続けている。 朝晩の温度差が激しいという気候条件を利用した果樹生産は、今や確実に定着している。
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農拓協がこの日の夜に行う営農情報センター説明を目的とした会議までの時間を利用して、組合員の人々の農地を見せてもらうことに。 最初に見学させてもらったのは、西藤敬道さん(六九、東京都出身)の柿畑。収穫時期を前にラマフォルテ種の青々とした果樹が広がる。柿の木だけで二万本を所有、柿生産に移行した当初の「二十年もの」でも五百本は植わっているという。その六、七割はラマフォルテ種で現在、サンパウロをはじめ、リオ、ベロ・オリゾンテ、エスピリット・サントなどに出荷しているそうだ。 「昔のコチア時代は、販売所が全伯のあちらこちらにあり、サルバドールやベレンなどの北伯にも出荷できた」と、西藤さんは当時を振り返る。しかし、当初「モジ・ダス・クルーゼス産には太刀打ちできない」と言われていたツルボランジア産の柿は今や、それをしのぐほどの勢いとなっている。 西藤さんの土地と谷を隔てて向かい合っているのは、矢口篤男さん(六六、山形県出身)の土地だ。三ロッテ五十アルケールの土地を所有し、やはり柿だけで一万本がある。矢口さんによると、普段は毎年十月にまとまった雨が降り、作物に恵みを与えるが、昨年はその時期にほとんど雨がなかったという。通常、新しい柿の苗を植えると、全体の五%ほどが枯れてしまうのは仕方のないことだが、今年はその九〇%が枯れるという異常事態となった。 「新しい苗を思い切って三千本植えて、十月に雨がなかったので今までにないくらい(潅水による)水を与えたが、苗は枯れてしまった。苗自身が悪いとは思えない」と昨年の天候不順を嘆きながらも、「今年も新しい苗は植える」とあくなき生産者魂を見せる。 昨年(二〇〇二年)からトマト生産からは完全に手を引いたという矢口さん。往年のトマテイロ(トマト生産者)としての意識はやはり忘れ難いようで、どこか寂しげな表情を見せながらも、現在の柿、アテモヤなどの果樹生産に更なる情熱をかける。 生産団地では、設備費用が多額にかかるトマトづくりはしだいに敬遠されはじめ、今ではトマト生産を行なっている組合員は、ほとんどいないという。「今時、トマトづくりを行えば、借金王と呼ばれてしまう」と組合員たちは苦笑する。二十数年前に入植した人々はそのほとんどがトマテイロで、入植前にはインダイアツーバなどの各地域で十万本単位におよぶ大規模生産に携わってきたという。 時代の流れと天災による影響が生産物の変化をもたらしたが、人々は入植して数年後には柿を中心とした果樹生産に軌道修正し、採算ベースに乗せることに命を燃やしてきた。 ここ数年、生産物の値段はほとんど変化がなく肥料、品物を詰める箱の値段や輸送費用などの高騰で、生産者にとっては頭の痛い状況となっている。南ミナス農協としてはJATAK(全国拓殖農業協同組合)の資金援助などにより、選果工場・渋抜き設備の拡大化を図り、組合員への負担を和らげている。ツルボランジアの果樹生産者にとって、組合の存在価値は今も大きい。
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五年前(一九九八年)にツルボランジアを訪問した際、同地で生産活動を行い、週末にはインダイツーバの自宅に帰るという生活を二十年にわたって続けていた豊城和宏さん(六二、長野県出身)は、数年前から日本に行っているとのことだった。その土地を預かり生産活動に精を出しているのが、日系三世の蔵前エウジェニオさん(三七)。五十ヘクタールの土地にラマフォルテ種の柿を植えている。生産者によっては子弟が農地を継がず、後継者問題に頭を悩ませる人もいる中、エウジェニオさんは「入植者が多いとは言えない場所だが、自分たち若い世代がこの地で様々なことに挑戦していかなけらばならない」と、人一倍大きな責任感を見せる。 車を移動してもらって永野去一さん(五七、熊本県出身)の土地へと向かう。十四歳で渡伯してすでにブラジルでの生活が四十年以上になるという永野さんは「パラナ、サンパウロ(インダイアツーバ)、ツルボランジアと転々としてきたが、ようやくここで定着することに決めた」という。 主要作物はやはりラマフォルテ種だが、五年ほど前から植えている「アテモヤ」の木が七百本ほどある。四月の収穫を前にして、果実がたわわに実りつつある。値段もよく、大きいもので一つが二レアル前後で売れるという。傍らには、共同で作業を行う息子さんの姿があった。「息子に手伝ってもらわなければ、とてもできないよ」と永野さんは笑う。 最後に訪問したのは組合長でもある赤木さんの柿畑。ツルボランジアのセントロを隔てて、これまで見せてもらった組合員の土地の中で唯一、ラージェ区に土地を持っている。 コチア解散後、これまでの組合について赤木さんは、「今まで組合とは名ばかりで、出荷組合のような仕事ばかりしてきた。将来的には購買の方面にも力を入れなければ」と、ツルボランジアの果樹の名前がサンパウロでも鳴り響くようになってきた今、新たな方向性を示唆する。 現在、組合には四十日に一回の割合で、オランダ系の農業技師が指導に来ている。八年前(一九九五年)にアメイシャ(スモモ)を五百本植えたという赤木さんだが、当初は五年くらい収穫もできない状況で切り倒してしまおうと考えていたという。それが一昨年(二〇〇一年)頃から技師の指導を受けたところ、今では三千本にも増え、実が付きだしたという。「やはり技術は大事だなーと思いましたよ」と赤木さんはその必要性を重視する。 ツルボランジアで貢献した農業技師として忘れてはならないのが、故・久我健二さんの存在だった。旧コチアの農業技師として、この地には柿生産が適していることを指摘し、熱心に指導を行なってきた。日本にも何回となく行き来し、技術面だけでなく、組合員の心の支えとして大きな役割を果たした。「久我さんなくして、今の我々の生活はなかった」と組合員たちは口を揃える。 生産物や輸送費の値段の問題、後継者育成など組合にとって取り組むべき課題は多いが、「組合があることで様々な情報も入る。ここは組合によって生産者同士がまとまっている」と赤木さんは強調する。 五年ぶりに訪問したツルボランジアは組合生産者たちの努力により、今や一大柿生産地に成長していた。今後、幾種類もの果樹生産地として、新たな取り組みが行われそうだ。(おわり)
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