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マツモトコージ苑
     2002年  (最終更新日 : 2006/10/26)
県連ふるさと巡り南二州の移住地探訪3 [全画像を表示]

県連ふるさと巡り南二州の移住地探訪3 (2006/09/30) (9)

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イボチ移住地で先没者の霊に手を合わせる参加者
 イボチ移住地の文協会館横には相撲の土俵が見える。今ではほとんど使用されていないらしく、周辺には雑草が伸び放題になっている。それと対照的に整地されているのがゲートボール場で、日本人の少ない地域での苦労と現状が肌に感じさせられる。
 しかし、そのことを表に出さず、淡々としている人々のたくましさがイボチにはある。
 渡伯して四十五年、移住地に来て二十九年が経つという林寿磨子さん(六六、山口県出身)は十五年前に長女を亡くし、その娘の初七日には夫にも先立たれた。また、三年前には息子の嫁が交通事故で死亡し、現在は母親代わりとして孫たちの面倒をみている。
 移住地でイタリアブドウの生産を行なってきた林さんは「色々なことがありました」と言いながらも、むしろ温和な表情で明るく語る。「今はカラオケとゲートボールが何よりの楽しみです」と笑い、前向きな姿勢を示す。
 また、有馬田鶴子さん(五五、山口県出身)はパンジーやサルビアなど年間に八十種類の花卉栽培を行なってきたが、昨年一月に夫を亡くし、ブドウ生産に切り換えた。
 「ブドウ作りは年に三回か四回の収入しか入らないから若い人には敬遠されがちですが、ポルトアレグレの国立大学を卒業して新しいスタイルで農業を行う人もいます。コロニアも少しずつ自分に合ったスタイルになっていくのでは」と有馬さんは移住地に少しずつ戻ってくる若い世代の成長を期待する。
 一九五七年に渡伯し、リオ・グランデ・ド・スール州の第一回目の日本人入植者だという折田国治さん(六四、鹿児島県出身)。イボチ移住地に入植して三十五年。現在は親戚の林俊朗さん(五三、鹿児島県出身)と一緒に水耕栽培によるアルファッセ作りなどに取り組んでいる。
 「リオ・グランデに来て失敗の連続でした。イタリアブドウなど果樹生産を行いだして少し落ち着きました」と折田さんは陽に焼けた顔をのぞかせる。
 ここで思いも寄らぬ同船者としての出会いがあった。バスで隣席となりお互いが同船者だと知ったのが、古屋房子さん(六八、福井県出身)と佐藤豊子さん(五八、岩手県出身)。さらにイボチに来て久保会長(六一、鹿児島県出身)、根芝正子さん(六二、山口県出身)、宮部孝子さん(七一、北海道出身)が同じ「あるぜんちな丸」で、一九六〇年四月にサントス港に着いたことを知った。
 古屋さんは「イボチにはなかなか来れなかったけれど、皆さんに会えて安心した。私もコロニア・ピニャールでブドウ作りを行ってきたのでよけいに移住地の方の気持ちが分かります」と場所は違っても同じ移民としての人々の暮らしを尊重する。
 移住地には日本人専用の墓地はなく、公共墓地が会館から離れた場所にあり、時間的にも余裕がないということから、会館前のゲートボール場付近で先没者を偲んで皆で黙祷を捧げた。さらに、県連がサンパウロから持参した楠の苗を植樹。全員で手をつないで「ふるさと」が合唱された。
 移住地には花嫁移民も多い。自身が花嫁移民でもある多川富貴子さん(六五、三重県出身)の音頭により、サンパウロからやって来た花嫁移民とその夫も交じって記念写真が撮影された。
 一行は短い時間での交流だったが、イボチの人々の優しさを胸に次の目的地ポルトアレグレを目指した。

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 旅行四日目となる四月六日だが、長い一日はまだ終わらない。
 イボチ移住地から五十五キロ離れたポルトアレグレに着いたのは午後六時半頃。市内のホテルにチェックインしたあと、同地日本人の人々との交流会が別のホテルで開かれた。
 一行を最初に出迎えてくれたのが樋渡睦夫さん(八二、宮崎県出身)。南伯老人クラブ連合会の会長で、この日の役員改選でまたもや会長として選出されたという。今期で七期目(一年一期)。RS(南リオ・グランデ)州内には約十支部の老人クラブがあり、それぞれ活動を続けているそうだ。
 交流会場となったホテルには、同地日系の中心的団体・南日伯援護協会の刀稱(とね)泰弘会長をはじめ、栗原隆之事務局長、南伯日本商工会議所元会頭の石川博資氏などのほか、今年三月に来伯したJICA派遣青年ボランティアの藤井みどりさんたちも出席した。
 刀稱会長によると、南日伯援護協会には現在、四百六十六家族が会員として加入し、商工会議所には五十四社が所属しているという。そのほかの団体として日系クラブがあるが、現在の州知事が四年前に就任した際、同クラブ所有の土地を強制的に接収し、「活動ができない状態」(刀稱会長)になっている。
 同協会では、日伯交流協会生、JICA青年ボランティアの協力によりRS州の日本人の史料づくりを進めており、六年後の移民百周年には完成させたいと話している。
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展望台からポルトアレグレ市内を一望
 五日目となる四月七日の朝。ホテルを出て、一行はポルトアレグレ市内を観光した。二号車の市内観光案内を担当するのは、少し太めのスエリー・リベイロさん。彼女の説明では、同地は一七五二年にポルトガル系、一八二四年にドイツ系移民が入植したという。
 市内を横たわるリオ・グァイラは長い間、その名の通り川だと思われてきたが、近年になってそれが湖であったことが確認されたそうだ。
 一行はバスを降りて、「マドレ・デ・デウス」大聖堂を見学。聖堂前の記念公園で写真撮影などを行うが、太陽の陽射しがきつい。午前九時で、街中の温度計はすでに三十二度を示している。海抜がほぼ〇㍍に近く、湿気があるため想像以上に蒸し暑い。
 市内が見渡せる展望台へと向う。途中の六、七階の建造物は全て墓地らしく、マンション風の建物の中には、棺を埋め込んだプレートがぎっしり詰まっている。また、地元のフッテボールチーム・グレミオFCの蹴球場も見え、ガイドのスエリーさんが「以前は青い目で白い太ももでなければグレミオの選手にはなれなかった」と冗談交じりに教えてくれる。
 展望台に到着。標高約百五十㍍の高台からは、湖と市内のビル郡が見える。眺めは最高だが、スラム街が多いとのことでバスから下車することは禁止された。
 ポルトアレグレ市は、ドイツ系など「白人が圧倒的に多いところなのでは」と考えていたが、案外に黒人の姿も多く、路上生活者も少なからず目に付いた。サンパウロ市内でたまに感じる肌で察するような危険さはないが、思ったよりも庶民的で、活気がある街だと実感した。
 
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 ポルトアレグレ市内観光の締めくくりとして、毎週日曜日に開かれ市民たちが楽しみにしているという「蚤(のみ)の市」を一行全員でのぞいてみた。
 陶器や家具などの骨董品のほか、古雑誌や古レコード類などが所狭しと並べられ、露店が延々と続いている。市民は南伯独特の緑茶「シマロン」の容器とお湯の入ったポットを手に、ぶらぶらと歩いている。
 こちらもぶらぶら歩いているうち、東洋系の顔つきをした露店主を見つけた。日本語で「日本人ですか?」と聞くと、ポ語で「ボリビア生まれの日系二世」という返事が返ってきた。同国で比較的、日本人が集まっているサンタ・クルース出身の桑原ジョルジさんは、年齢が四十歳半ばといったところ。
 ポルトアレグレに移り住んで二十七年になるという桑原さんは、普段は市内インデペンデンシア通りの店で骨董品販売を行なっている。サンタ・クルースには今も広島県出身の父母が在住し、たまに家族で里帰りしているというが、「ポルトアレグレがやっぱり住みやすい」と笑顔を見せる。
 桑原さんと話をしていると、周りに一行の姿がないことに気付いた。慌ててバスに戻ると、一行はすでに全員が座席について出発を待っていた。
 この日宿泊するサンタ・カタリーナ州のテルマ・ド・グラバタル(温泉)に早く行きたいとの参加者の声を反映して、昼食を予定より三十分早めた。
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突然訪問の一行と記念撮影を行う津島総領事(中央)
 一行が昼食をとったイタリア・レストランの横は、偶然にも在ポルトアレグレ日本国総領事館(津島冠治総領事)公邸。昼食後、「せっかくここまで来たのだから総領事にあいさつしましょう」との声が盛り上がり、日曜日にもかかわらず、西谷団長が公邸の警備員と交渉し、津島総領事と事前連絡なしに会うことになった。
 はじめに出てきたのは総領事夫人と思われる女性。「総領事さんは、いらっしゃいますか」との西谷団長の問いに「居ることは居るんですが、ちょっと待ってください」と怪訝(けげん)そうな表情。しばらくして出てきた津島総領事は休日のため、白いズボンにTシャツとラフな格好だ。「何のご用ですか」と、普段同地ではめったに見ることのない日本人団体の一行を見て、驚いた様子を隠さない。
 西谷団長が県連のふるさと巡りで同地を訪問した事情を説明すると、津島総領事は「どうぞ中に入ってください」と快く受入れてくれた。
 一行は、めったにない機会だとして、公邸の正面入り口で津島総領事とともに記念撮影を行い、参加者の中には玄関扉の上に見えている日本の象徴「菊の御紋」に向って手を合わせる人の姿もあった。
 参加者の一人は「ブラジリアを旅行した時も日本大使館を訪問しましたが、大使夫妻は快く受入れてくれました。偶然とは言え、ふるさと巡りだからこそ総領事にあいさつすることは大切だと思いました」と後で話してくれた。
 津島総領事との思ってもみない遭遇に、結局は温泉行きは遅れることになったが、一行は晴れ晴れとした気持ちでテルマ・ド・グラバタルに向けて出発した。

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 いよいよふるさと巡りも最終日の四月八日。昨晩は午後六時半頃に温泉ホテルにつき、それぞれが温浴や温泉プールでくつろぎ、今回の旅行で比較的ゆったりした時間を過ごした。
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車窓から見えるフロリアノポリスの吊り橋
 ホテルを出て、百三十キロ離れたSC(サンタ・カタリーナ)州の州都フロリアノポリス市に向けてバスは北上。百年ほど前にアメリカから借金をして建てたという釣り橋を渡り、市内に入る。左側に内海を臨みながらセントロへと向う。
 内海沿いのレストランで昼食。ここで二つの再会があった。
 聖市内リベルダーデ区で日本食レストランを開いている木下利雄・多千代夫妻(ともに北海道出身)は、五年ほど前にクリチーバにも店を出していた。花柳金龍会の名取りで花柳龍千多の芸名を持つ多千代さんは、その当時、クリチーバからバスで二時間かけてフロリアノポリスまで赴き、同市に在住する西田ミキコさん、ヒトミさんの母娘に踊りを教えていたという。
 昨晩、西田さんにフロリアノポリスに行くことを伝えていたという多千代さんは「その頃は三十人くらいの教え子がいました。当時の人で今も踊りを続けている人はいないけれど、彼女たちに会えて良かった」とわずかな時間での再会に満足した様子。
 もう一つは偶然にも、今回のふるさと巡りでの最初の訪問地、ラーモス移住地でお世話になった日本梨生産者協会代表の小川和己さんとの再会となった。パラナ州の元環境局長官・中村矗(ひとし)さんたちとともにフロリアノポリスに来ていた小川さんは、午後から市長と会見するという。 同市長はサンタ・カタリーナ州知事であるエスペリジョン・アミン氏の夫人でもあり、十月下旬か十一月初旬に完成が予定されているラーモス移住地内「平和の鐘公園」についての打ち合わせを行うそうだ。
 思ってもみない再会に小川さんは、「いやー、こんな所で会うとはねぇ」と驚きつつも、にこやかな笑顔を見せていた。
 小川さんたちに別れを告げた一行は、市内にある中央市場で一時間ほどの慌しい買物。メルカド(市場)の横には以前の税関の建物を利用した民芸品売り場がある。外気音は二十六度だが、日中の陽射しは強く、内海があるためか蒸し暑い。
 メルカド周辺は平日ということもあり、銀行や各種店舗で買物をする市民たちが集まり、人通りも多い。市場の中央部にはちょっとした空間があり、庶民たちが昼間からビールを飲む姿も見えるなど活気がある。
 一方で研屋(とぎや)のおじさんが暇そうに座っている。話を聞くとスペイン生まれで同地に来て五十年になるという。スペイン語なまりで話すその顔には年月を経てきた無数の皺(しわ)が刻まれていた。
 買物を終えて一行は、更に北上して今回の最終訪問地イタジャイへと向う。車窓からは大西洋の海が広がり、海岸線沿いをバスは快調に走り続けた。

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 今回の最終訪問地イタジャイでは、同地の日本人会との交流夕食会がある。イタジャイ市の入り口付近の観光案内所で、同日本人会副会長の角園稔さん(五九、三世)、府内賢男さん(六八、熊本県出身)たちが待っていてくれた。
 交流会までの間の時間を利用して、一行の買物に同行。市内中央市場やショッピングセンターなどを案内してくれる。
 同市の人口は約十五万人。イタジャイ日本人会(佐藤五介会長)の会員は六十家族で、その四分の一は非日系人が占めるという。移住地には現在府内さんを含めてわずかに六家族がいるだけで、主に蔬菜などを生産している。日本人会に決まった会館はないが、行事がある際に場所を借りているという。
 イタジャイ市と千葉県袖ヶ浦(そでがうら)市は、姉妹提携を結んでおり、今年六月で二十周年を迎える。これまでに文化・スポーツ交流などを行い、イタジャイ市内のベイラ・リオ通りの歩道は「カミーニョ・ダ・ソデガウラ(袖ヶ浦道)」という名称まで付いている。
 一時期、袖ヶ浦の海苔(のり)を日本人がイタジャイに持ってきたが、技術者がいなかったために普及しなかったという昔話もあるそうだ。
 交流夕食会には、一世をはじめ、二世、三世の若い世代のほか、非日系の会員など二十六人が参加。レストランにカラオケセットも持参し、日本人会の人々の熱意が感じられた。
 SC州農務試験場の技術者でもあり、市内の市立大学で教授をつとめる佐藤会長は、「今までこれほど多くの日本人の方々を迎えたことはないので驚いていますが、お会いできて嬉しく思っています」と述べ、歓迎の意を示した。
 一つの席には、コチア青年のグループが集まった。イタジャイに在住している関口健次郎さん(六五、茨城県出身)は、同県人の夫人・のぶさん(六一)とともにショウガを生産しながら、サンパウロ向けのウニ運搬を三十年にわたって行なっており、リベルダーデには「二週間に一回は行く」という。
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夕食会の最後に全員で「ふるさと」を合唱
 ふるさと巡りに参加したコチア青年は加藤文夫さん(七〇、三重県出身)、吉田繁さん(七〇、栃木県出身)、菊地栄さん(六五、秋田県出身)の三人。関口夫妻を交えて、昔話に花が咲いた。吉田さんと加藤さんは、昨年のコチア青年来伯四十五周年記念に古稀をかねて一緒に祝った仲。「この、ふるさと巡りに参加したおかげで、色々な場所にコチア青年がいることが分かりました」とお互いに目を細めあう。
 今回の旅行では、自分でギター演奏した唱歌や童謡を録音し、カセットテープ(フィッタ)を各移住地で配る人もいた。池本辰行さん(七八、熊本県出身)は、昨年のパラグアイで各移住地での心温まる歓迎に思わず涙がこぼれたと漏らす。「自分にできることはこれくらいですが、同胞としての気持ちを伝えたい」と語る。
 交流会ではカラオケ大会のあと、最後に恒例となった「ふるさと」を全員で合唱。それぞれが「また、会いましょう」と固い握手を交わし、次の再会を誓い合った。(おわり・2002年4月サンパウロ新聞掲載)


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