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マツモトコージ苑
     2010年  (最終更新日 : 2018/09/14)
ブラジル人コミュニティーで生きる [全画像を表示]

ブラジル人コミュニティーで生きる (2010/03/02)  「上から目線ではなく、問題の当事者としてブラジル人コミュニティーに関わっている」―。茨城県土浦市でブラジル人子弟たちに日本語やポルトガル語の勉強を夫妻で教えている櫻田博さん(51、東京都出身)は、現在の自身の活動について、こう語る。20代半ばで単身ブラジルに移住して同地で結婚するなど約20年間暮らした後、子供と家族の将来を考慮して5年前に日本に再移住。自活していく道を選んだ。櫻田夫妻の活動を紹介する。

(1)

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日系の子供たちに勉強を教える櫻田さん(右端)
 琵琶湖(滋賀県)に次いで、日本で2番目に大きい霞ヶ浦が広がる茨城県土浦市。JR神立(かんだつ)駅から徒歩5分ほどの2階建てアパートに、櫻田夫妻の活動拠点がある。
 正式名称はK&S(キッズ・アンド・スクール)。中南米児童の学習サポートと学童保育を主な目的としている。
 同地には、出稼ぎで日本にやってきた日系ブラジル人やペルー人が在住し、ブラジルおよびペルー関連の店もところどころで営業されている。
 1月13日午後3時、JR神立駅で待っていると、自家用車で子供たちを迎えに行った帰りの櫻田さんが、来てくれた。
 「教室」になっている櫻田さんのアパートに連れて行ってもらい、室内に入ると、日系の顔をした小学校低学年と思われる少女が、インフルエンザ対策なのか、マスクをしながら1人で勉強している姿があった。
 櫻田さんが迎えに行った女の子も合流。区域の違うそれぞれの学校から帰ってきた子供たちが次々にやってきて、本格的な勉強が始まった。その中に交じって、櫻田さんの長女・タリタ成美ちゃん(10)も一緒に宿題を行う。
 櫻田さんが子供たちに勉強を教えるのは、午後3時から午後7時までの4時間。櫻田さんは、日本語専門で、夫人のネイデ・さちえさん(40、2世)がポルトガル語の授業を担当する。
 現在、櫻田夫妻が勉強を教えている子供たちは4歳から10歳までの12人。一時は25人の子供たちを預かり、「部屋の中をまともに歩けないほど」(櫻田さん)だったが、08年12月のリーマン・ショック以来、ブラジルに帰国したり、他地域に転住した家族が続出。生徒数が一挙に激減した。
 日本語も流暢な、さちえ夫人は「子供が多すぎて、このアパートだけでは教えられないから、他の広いアパートを探そうなんて話をしていたら、(リーマン・ショックの影響で)子供たちが減っちゃって。でも、経済的には大変ですが、このくらいの人数の方が子供たちに丁寧に勉強を教えることができるんです」と笑顔を見せる。
 日本で生まれながらも国籍はブラジルの子供たち。1度もブラジルに行ったことのない子弟も少なくない。家庭での親との会話はポルトガル語が中心のようだが、この教室では日本語で話す児童がほとんどだ。
 奥の部屋で櫻田さんが教える勉強は、主に子供たちが小学校から持ち帰ってきた宿題から始まる。その様子は「複式」で、ブラジルの日本語学校そのものだ。後ろの席の男の子には、算数の計算問題を解かせ、手前の女の子には、国語の音読(読み)を行わせる。また、次は「九九(くく)」を暗唱させる、といった具合に。
 時間をずらして、入り口手前の部屋では、さちえ夫人が日本語が不自由な子供たちを対象に、ポルトガル語の授業を始めた。

(2)
 
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さちえ夫人(奥)がポルトガル語授業を担当
 櫻田さんが、ブラジルに渡ったのは1983年。24歳の時だった。
 大学を卒業して小学校の教師になりたいと考えていたが、漠然と「先生になる前に外国を見てみたい」と思っていたところ、ブラジルに行くことを前提に国士舘大学の職員の仕事が舞い込み、伯国派遣要員としてブラジルで暮らすことになった。
 渡伯当初は、南大河州のポルトアレグレに1年間滞在。同地の在日本国総領事館、当時の新村総領事の私費留学生という形で、とりあえず言葉を覚える必要があるために、地元の小学校に通った。
 そうしたところ、同地のカトリック大学で日本語講座を開くことになったため、日本語教師に抜擢。大学生相手に日本語を教えた。
 しかし、諸事情で翌年にサンパウロに出ることになり、つてを頼ってサンパウロから約70キロ離れたジャカレイで本格的な日本語教師を始めることになった。
 そこで知り合った生徒の1人が、現在のさちえ夫人だ。同地で結婚して子供が生まれてからは、日本語教師を休職し、自宅でパンを作って販売したり、健康食品のプロポリスを売ったり、ミシンで服に刺繍(ししゅう)をほどこす仕事などもやっていたという。
 その頃、コンピューターに触れるきっかけがあり、その後、インターネット上のホームページを作成するウェブ・デザイナーとして活動しだした。その傍らで、子供たちが成長する中、家族全体の将来を考えるようになった。
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教室に貼られた子供たちの写真。
リーマン・ショック後生徒数は激減した
 6年前に、日本に一時帰国した際、日系ブラジル人が集住する群馬県大泉町を訪問する機会があり、同地の日本語学校関係者と話をするうち、「こういうブラジル日系子弟を受入れる体制があるなら、うちの子供が日本でも住んでいける。問題なく適応できる」と強く感じた。ブラジルでは、ルーラが大統領に就任してからというもの、「ウェブ・デザイナーの仕事がばっさり無くなった」ことも一因だった。
 日本で住むことに賛成しなかった夫人を説得し、住み慣れたブラジルを後にして5年前、家族4人で再移住した。
 当初は大泉町に住むことも考えたが、櫻田さんの父親が所有していた土地が現在の茨城県神立にあったことから、経済面などを考慮して同地に暮らすことに。
 不慣れな土地で戸惑いながら、櫻田さんは当初は郵便局のアルバイトをしながら生活費を捻出。ブラジルで、さちえ夫人が教育心理学の学位を取得していたことから、神立周辺に住む日系ブラジル人およびペルー人ら南米の子弟を預かる現在の仕事を少しずつ実現させていった。

(3)

 櫻田夫妻が行っている「K&S」は、あくまで個人経営であって、NPO(特定非営利活動法人)ではない。有料で子供たちを預かり、勉強を教えている。
 「はじめはNPOも考えたんですけど、NPOだと、安く活動するために他から寄付を募ったりして、会計を透明化しないといけないでしょ。他人の金で運営する分、自分の好きなようにできないし。そもそも、NPO関係の人たちって勘違いしている人が多いから好きじゃないんですよね」と櫻田さん。営業に関しては、同地に住むブラジル人たちが、「クチコミ」で宣伝してくれたという。
 「ただ単に、子供を預けるだけ(の施設)なら他にもあるんです。(日ポ両語で)勉強を教えているのはウチだけです」
 櫻田さんの説明では、「安くて良いものはない」というのがブラジル人の意識で、「水準以上の授業料を設定することで子供の教育に熱心な親が集まるし、高いお金を払っているのだからと子供をサボらせたりもしない。こちらもプロ意識を持ってその要求に応えていくことで、双方に良い結果をもたらせるのではないか」という。
 しかし、「K&S」に来ている子供たちにも問題が無い訳ではない。「ここに来ている子供たちの親御さんは皆、教育熱心なんですが、日本語が分からないので、子供の学校生活のことを手伝ってやることができない。結果として、子供たちは、学校で忘れ物をして恥をかいたり、勉強で分からないことが分からないままになったりする。(K&Sの)子供たちは、多かれ少なかれ、皆同じような経験をしているんですね。小学校低学年においては、このハンデキャップは大きいですよね」と櫻田さんは現状を指摘する。
 地元の公立小学校の教師たちも、こうした日系ブラジル人子弟たちに何とか対応しようと熱心だそうだ。
 しかし、「結局、日本語教師としての訓練を受けていない先生には、子供たちを教えることができない。何をして良いのか分らないというのが正直なところじゃないでしょうかね。そうした先生方から頼られることも多いです」と櫻田さんは、日系子弟たちが一般の日本の学校で適応できにくいという現実問題も感じている。
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勉強の合間の休憩時間に楽しそうに遊ぶ子供たち
 それでも、櫻田夫妻の人柄やブラジル人気質があるためか、「K&S」に来ている子供たちは、皆どこか楽しそうだ。
 小学校2年生の杉崎フェルナンダちゃん(8)は、「算数が好き」と言い、自分で解いた計算問題の丸付けを熱心に行っていた。
 また、弟と一緒に柔道教室に通っているというカフレ・ジアンルカくん(8)は「宿題をやるのは面倒くさいけど、小学校には100人くらい友達がいて、面白い」と屈託ない笑顔を見せる。
 勉強する時間が経つにつれ、漢字の書き取りをしていた1人の男児が、鉛筆を机に放り投げて「手が痛い」と言いだした。明らかに集中力が欠けている様子だ。それを見た櫻田さんは、その男児の手を揉んであげながら「そうか、手が痛いか」と言いながら、「でも、(書き取りを)せっかく初めたんだから、最後までやろうか」と諭す。
 温かい言葉をかけながらも、子供たちに対する櫻田さんの目は常に真剣だ。
 「ここ(K&S)は日本語学校でもあるんです。ブラジルでは廃れてきた『継承語教育』が、今の日本で役立っており、その必然性がここで出ているのが面白いですね」と、サンパウロ近郊のジャカレイで日本語学校教師をしていた櫻田さん。「自分は、上から目線ではなく、問題の当事者としてブラジル人コミュニティーに関わっているんです。自分自身の子供も含めて(日伯の)ダブル・ルーツに誇りを持つ子供をコミュニティー全体で育てていくことで、日本とブラジルの国益につながっていけばいい、と思いますね」と語り、充実した表情を見せた。(おわり) 
 
 


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