パラチ離れ島旅行記 (2011/12/06)
「2組の夫婦のウェディング・ドレスの写真を撮ってほしいので、ぜひ参加してよ」―。サンパウロ市内に居を置き、数年前から近所のよしみで友人付き合いをさせてもらっているパラナ州マリンガ生まれの佐藤マリオさん(55、3世)に言われて、昨年末からこの旅行を楽しみにしていた。今年1月初旬に、佐藤さんと親戚を合わせた大家族旅行に途中から合流し、観光地であるリオ州パラチから少し離れた島での出来事を旅行記として紹介する。
(1)
1月7日午前4時、大工を家業とする日本人の方の車に同乗し、まだ夜の帳(とばり)が下りたままの東洋街を出発する。早朝ではあるが、平日(金曜日)ということもあり、アイルトン・セナ街道は混んでいると予想されることから、リオ方面に向けてオズワルド・クルース街道を突っ走る。 予定通り渋滞はなく、車を円滑にリオへと走らせる。途中の休憩後にすっかり夜明けとなり、いよいよ海岸方面目指して海岸山脈を降りていく。急カーブの多い坂道で、ハンドルを右へ左へと忙しい運転が続く中、ブレーキパッドの焼ける臭いが車中にいても分かるくらいになってきた。 カーブの脇にある簡易休憩所で車を停めると、右側の前輪から煙が上がっているのを、すでに車を停めて休憩していたブラジル人家族に指摘された。改めて、いかに坂の勾配があるのかを思い知らされる。 しばしの休憩の後、気を取り直して坂をさらに降りてゆく。ようやく平坦な道のりとなり、海岸線を走ると、ところどころで海が見える。 すでに太陽が昇り、夏の日差しが遠慮なく照りつける中、午前9時に観光地のパラチへと着いた。後発組の我々は、すでに島に渡っている先発組に連絡を入れると、パラチ市内から8キロほど離れた「プライア・グランデ」まで行くよう指示を受ける。 同地で食糧や飲料水など必要なものを買い出した後、海岸へと出てみると、そこは「大きな海岸(プライア・グランデ)」というよりも、小さな漁村のような場所だった。 ボートが集まる船着場(埠頭)では、地元の漁師が魚介類を水で洗っていた。同地では天然の牡蠣(かき)も獲れるという。 しばらく漁村で待っていると、長さ5メートルほどのボートに乗り、陽に焼けてすっかり地元の漁師のような表情になっている佐藤さんたちが海の彼方から迎えに来てくれた。 島は、電気や上下水道は通っているものの、ここ数日停電が多いという。ビールをはじめとする飲料水用の氷を調達し、後発隊メンバーの荷物をボートに積み、目的の離れ島へと向かった。
(2)
離れ島の名前は「イーリャ・ド・アラウージョ」。プライア・グランデからは直線で1キロほどの距離にあるが、我々が泊まる別荘は島の反対側にあるとして、ボートでは約30分ほどを要した。途中、佐藤さんが自分が購入したという約1千平米の土地を指差して示してくれた。 まだ整地もされず、海から見える島の斜面にはバナナの樹が一帯に植えられている。この土地は、海が好きな佐藤さんがたまたま遊びで来た際、信用のできるブラジル人漁師(カイサーラ)のロドルフさん(故人)に会い、何回かのやりとりの末に購入することを決めたという。 佐藤さんの話では、パラチでは毎年7月頃に「フェスタ・ド・カマロン(えび祭り)」が行われるほか、2年に1回、FLIP(国際図書祭り)なども開催されるとして、ブラジル国内はもちろん、海外からも観光客で溢れかえるという。特に、FLIPには昨年、元大統領のフェルナンド・エンリケ・カルドーゾ氏も出席したそうだ。 島に上陸し、別荘のある丘を目指す。ここは、島民以外の観光客はほとんど来ないらしく、自然のままの風景が広がる。暑さの中、両側を緑に囲まれた坂をフーフー言いながら上りきると、「ヴィラ・イーリャ・デ・メル(はちみつ島の村)」と書かれた看板があり、先発組が出迎えてくれた。 早速、冷たいビールを差し出して歓迎してくれるのが嬉しい。 別荘は、船着き場から50メートルほどの高さがあり、斜面上に突き出した大型のベランダからは、青く広がる海が一望できる。 しばらくすると、2組の夫婦がウェディング・ドレスと背広を着て写真撮影を行うというので、早速、準備を行う。これらのドレスは、佐藤夫人と佐藤さんの義兄弟の妻がかつてそれぞれの結婚式で着たもので、今でも丁寧に保管されていた。 2組の夫妻は、緑の植物、映えた海や空の青さを背景に写真に収まり、家族や親戚、友人たちに囲まれて本当に幸せそうだ。大家族はそれぞれカメラを手に写真を撮りまくり、賑やかな撮影会は終了。 遅い昼食を終えた後、別荘の下の海岸で泳ぐ。内海であるせいか、日本の海のように塩辛い。海岸そのものは狭いのだが、急に深くなっており、波にもまれる。海面に仰向けになって浮びながら、太陽光線を浴びていると、パラチに来たことを実感できた。日常の仕事から逃れ、心からのんびりしている自分に気付いた。 他のグループは埠頭で魚釣りに興じ、フグなどが釣れたと喜んでいた。 夕方、別荘に戻ってベランダにあるテーブルを囲みながら、夕食前に友人たちと酒を酌み交わす。太陽が沈み、幾分か暑さも和らぎ、気の合った人たちとの会話が弾む。 少しずつ暗くなる海を見ながら、「ここに連れて来てもらって良かった」と改めて感じた。
(3)
2日目。暑さのため、午前7時頃に起床。一昨日までは天気が思わしくなく雨が降っていたというが、朝から快晴。東から昇った朝陽が別荘の中を照らす。 カメラを手に別荘周辺を歩き周ると、改めてこの島が自然に恵まれていることを実感する。ハイビスカスの花が咲き、バナナや椰子の葉が風に吹かれて揺れている。海岸沿いでは、地元民が久し振りの晴れ間を喜んでか、洗濯物干しに余念がない。海岸の岩に直接、洗濯物を置いて干している光景も目にした。 朝食の後、ボート2隻を出して、周辺の海を散策するという。 最初に向かった目的地は、シマアジなどの魚群が拝めるというイーリャ・コンプリーダ。地元の観光地の一つで、我々以外にも小さなボート群が錨(いかり)を下ろしている。 島付近の海の深さは5メートルほど。ボートからパンをちぎって海に投げ入れると、魚の群れが食いつく。同地で30分ほどフィッシュ・ウォッチングを楽しんだ後、次の目的地である「ラーゴ・アズール」へ。 ここは浅瀬のためか、エメラルド・グリーンの海が広がる。海岸にある巨大な岩には、直径3センチほどの自然の牡蠣(かき)がびっしりと張り付いている。 料理人で、サンパウロ市リベルダーデ区で日本食レストラン『喜怒哀楽』を経営する佐藤さんの義兄弟・松井覚瑞(かくずい)さん(39、北海道出身)が、ナイフで器用にこそぎとり、その一つをこちらに渡してくれる。口に入れると、ほんのり塩味が広がる。なるほど、まさに牡蠣だった。 ボートに積んできた冷えたビールを飲みつつ、幸せな気分に浸る。 午前中の周遊を終え、昼過ぎに別荘へと戻る。途中、エビ漁の船と出会い、夕食用のおかずとして15センチ大のエビを購入。佐藤さんは、サンパウロ市内の半額くらいで買えたと喜ぶ。 昼食後に再びボートに乗り込み、パラチの町へと1時間ほどかけて向かう。土曜日ということもあり、パラチの町は観光客で混んでいた。 観光資料などによるとパラチは、18世紀にミナスジェライス州の「金」を海岸地方に運ぶ重要な港として繁栄したという。街中には、当時建てられた白壁の教会が目を引き、芸術家の町らしく、石畳が敷かれた各通りには、絵画や彫刻品などを展示・販売している店をはじめ、洒落(しゃれ)たブティック、レストランやBARなどが軒を連ねる。また、半日のクルージング・ツアーを楽しむ人々が集まり、観光客を乗せた馬車が町中を練り歩く。 我々一行もそれぞれに買い物などをして、BARでしばし休憩。夕陽が沈んだ頃、再びボートに乗り、イーリャ・ド・アラウージョに向けてパラチの町を後にした。 別荘に着いた頃にはすっかり暗くなっていた。遅い夕食の後、ベランダに出て夜空を見上げると、満天の星々と「天の川」が横たわっているのが見えた。
(4)
3日目。前日に「日の出」を見過ごしていたので、何としても朝陽を撮影しようと午前6時頃に起床した。ちょうど東の空が明るくなりはじめ、しだいにオレンジに色づき始めた。 昨夜の星の輝きで、この日も快晴になると予想していたが、見事的中。久し振りに海から昇る日の出を写すことができた。 この日は、翌日からの仕事に備えて、一緒に来ていた友人2人が先にサンパウロへ戻ることになっている。朝食後、2人を埠頭まで見送った後、佐藤さんの案内で島内を散策することになった。 佐藤さんの話によると、島民の数は約120家族500人。そのほとんどが地元の漁師で、観光地のパラチで働く人も少なくないという。 細い山道だが、地元民がいつも通る生活道となっている。日曜日ということもあり、島民たちも音楽を聴いたり、広場に集まって会話していたりと穏やかな表情だ。 土道だったのが、途中からコンクリートで舗装されている。一軒の雑貨屋に着いた。そこは、佐藤さんが土地を買ったというロドルフさんの店だが、その人は残念なことに数か月前に突然亡くなったという。彼の息子であるレナットさんが別荘で我々の世話をしてくれ、その店も家族で切り盛りしている。 雑貨屋を後にして、佐藤さんが購入したという土地へと着くと、斜面には鬱蒼(うっそう)とバナナの樹が生い茂っている。その向こうに深緑色の海とボート群が見える。 しだいに強くなる日差しの中で、バナナの木陰の存在がありがたい。しばし、休憩した後、さらに先へと進む。汗をかきかき歩いてたどり着いたのは、村でも貴重なBARだった。早速、それぞれに飲み物を注文し、渇いた喉を潤す。久々に運動した後の冷たいビールの美味いこと。 そのBARの反対側には図書館があり、島の青年が管理していた。中にはポルトガル語の書籍のほか、日本のマンガを手書きした帳面も置いてあった。日本のアニメ人気は、こんな島にも浸透していることに驚かされた。 一息ついて、島を一周する形でさらに山道を奥へと歩いていくと、急に視界が広がった。遠浅のプライア(海岸)には観光客と思われる家族連れが、水着姿でくつろいでいた。 海岸の向こう側は、初日に到着したプライア・グランデだった。夏の青空に、絵に描いたような白い入道雲が浮んでいる。 別荘へと戻り、昼食を摂ったら急激な睡魔が襲ってきた。ベッドに横たわって気がつくと、すでに夕方近くになっていた。 その間、メンバーは海で泳いだり、ボートで魚釣りに行ったりと各自、自由な行動を楽しんだという。 夜は佐藤さんと義兄弟の子供たちが、この日ために練習したという韓国グループ歌手のダンスが披露された。 ヤンヤの拍手で見ていた大人たちも、アルコールが回るにつれて子供たちのダンスを見よう見まねで踊り、嬌声を上げながらの夜は更けていった。 翌日はいよいよサンパウロに戻らなければならない。朝から曇りがちだったが、帰路には大雨となった。便乗させてもらった車窓に打たれる雨の粒を見ながら、島での出来事が頭の中を駆け巡った。(おわり)
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