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マツモトコージ苑
     2011年  (最終更新日 : 2018/09/24)
ピラール日本語学校と若者たちの行方

ピラール日本語学校と若者たちの行方 (2018/09/24)  「日本語学校で学ぶことができて本当に良かった」―。これは、2011年10月15日にサンパウロ(聖)州ピラール・ド・スール文協(安達弘会長)会館で開催された第32回校内お話発表会で、10代半ばの上級生たちが発表で披露した内容の一部だ。同日本語学校(上芝原実夫校長)は、林間学校やデイ・スポーツなど生徒たちが喜んで参加できる行事を積極的に行い、日本語能力をアップさせるだけでなく、生徒たちの人格形成に力点を置いている。同文協では15年ぶりに青年会(森岡田紋会長)が発足したこともあり、若い世代による活動が注目されている。同地の日本語学校と文協青年部の取り組みを取材した。
 
(1)

 第32回校内お話発表会が開催された10月15日、「果物の里」として知られるピラール・ド・スールには「40日ぶり」(地元農業生産者)という大雨が早朝から降りしきっていた。その雨の中を三々五々、昼食用の一品持ち寄りの食事を抱えながら父兄や生徒たちが会館入りする。
 すでに会館内では、同校の6人の教師が準備作業を進め、審査員及び文協役員たちのカフェ(朝食)の準備のために「母の会」メンバーたちが忙しそうに立ち振る舞っていた。
 会場内壁際の掲示板には、同校がこれまでに実施してきた各種イベントの写真が貼られてあった。全校生徒の写真があり、幼稚園の日系の女の子が2人、自分たちの写真を指差しながらうれしそうな表情で見入っていた。
 発表会を前に、文協役員やJICAシニアボランティア、同地域の日本語教師など10人の審査員が会館横の会議室で事前説明を受ける。
 説明を行うのは、元JICA青年ボランティアとして聖州ミランドポリスに派遣され、任期終了後自らの判断でピラール日本語学校で教師として働き、同地で10年のキャリアがある渡辺久洋氏(37)。同発表会では、2008年頃から全生徒に作文を書かせた内容を日本語教師たちが「最低限の手直しを行っただけで、子供の能力を超えたような変え方はしていない」とし、内容よりも読み方を評価、発表前後の礼節や生徒たちの態度なども審査の対象になっているという。
 会議室には、正面中央上の壁に天皇皇后両陛下の写真とともに歴代会長及び貢献者たちの写真がずらりと飾られている。審査員説明の間にカフェ(朝食)を振る舞われたが、地元の婦人たちが持参した持ち寄りの品々の中には、パンやコシーニャをはじめ、重箱に詰められたチョコレートケーキや大福もある。また、「母の会」が早朝から焼き上げた「ピザ」もあり、日本から研修で来ている女性教師たちからは「きょうの母の会の人たちは朝から気合が入っているね」との言葉が交わされていた。
 会場後方の審査員席は特設で、床より1段高くなっているが、父兄たちがレンガの上に長めの板を敷き、その上に大型トラック用の幌(ほろ)をかけた手作りのものだ。
自分たちの子供が出場する発表会への協力を惜しまない父兄たちの思いが伝わる。
 準備も整い、会場では発表会の開会式が始まった。

(2)

 お話発表会には、幼稚園から上級生までの5つのカテゴリー別で70人の生徒たちが出場。安達弘ピラール文協会長、上芝原実夫日本語学校校長のあいさつをはじめ、審査員紹介、審査基準発表、生徒代表の言葉に引き続き、2~3年生の部から始まった。
 発表前後の「礼」など生徒の態度も審査基準に入るため、各生徒たちは舞台の向かって右奥から中央に進み、中央付近で正面に90度体をひねり、マイクの前で停止して深々と一礼する。各カテゴリー別に生徒たちが交代で「マイク係」となり、発表する児童の身長に合わせてマイクの高さを調整する。
 「チン」という鐘の音の後に発表が始まるのだが、その途端に頭の中が真っ白になり、しょっぱなからつまづいてしまう子供たちもいる。しかし、会場に詰めかけた父兄たちは、子供たちの発表を温かく見守っている。
 低学年の発表は「大好きなともだち」「がんばりたいこと」「ぼくの家族」など身近なことが多いが、中には「ぼくがくつ(靴)になったら」などユニークなものもあった。
 「ぼくがくつになったら、サッカーのくつになりたいです。いやなのは、重いくつとくさ(臭)いくつです。うれしいのは、漢字テストをしなくていいことです」
 会場がどっと沸く。
 幼稚園の部では、子供たちの一挙一動に会場が受ける。発表を終わって安心したのか、足を高く跳ね上げスキップして会場を去る子供もいる。また、直立不動の姿勢で自分たちの思いを述べる一生懸命な姿に、会場の父兄たちも熱心に聞き入る。 
 会場には、非日系の父兄の姿もあった。日本語を解さないが、我が子の晴れの舞台を食い入るように見つめている。同地域の聖南西教育研究会会長でもある日本語教師の渡辺氏によると、日本語学校の運営に日系人以上に協力してくれる非日系の父兄もいるという。
 当然ながら、上級生になるほど内容にも深みが増し、話す態度も落ち着く。審査対象は「内容よりも読み方を評価する」と事前説明があったが、ついつい内容に引き込まれるのが人情と言うものだろう。
 「お父さん、お母さんはぼくたちに良い教育をしてくれた。ぼくも早く本当のお父さんになって、子供たちに良い教育をしたいです」と、ある生徒が発表すると、会場からは「おー」という感心の声が響く。
 「自分の将来のことをよく考えているね」「いい覚悟をしているよ」と高齢になった1世同士がほほ笑みながら話す声が聞こえる。
 子供たちの発表を聞いていて感じるのは、親たちが子供にきっちりと教育をし、また子供たちも親の姿勢をよく見ていることだ。悪いことをすれば怒り、良いことをすればほめる。当たり前のことではあるが、実践することは案外難しい。
 「日本語学校は僕に責任を持つことを教えてくれた」「私の世界は今、この日本語学校を中心に回っています」「日本語学校で学べて本当に良かった」などと、同校で10年近く通っている生徒たちの思いが伝わる。
 その一方で、「ここ(日本語学校)で過ごす時間もあとわずか。今後の人生を考えて頑張りたい」との発表もあった。
 同校を卒業していく生徒たちの複雑な心境が表れていた。

(3)

 発表した生徒の中に、日本からの出稼ぎ帰伯子弟がいた。奥田ミツエさん(16、3世)とシンジ君(12、3世)の姉弟は伯国在住の祖母が亡くなり、祖父の面倒をみるため両親とともに、今年7月末に富山県からブラジルに戻った。
 「戻った」と言えど、記憶の曖昧(あいまい)な幼少期に両親の出稼ぎに伴って日本に行き、日本での生活のほうが長く、姉弟にとっては「ブラジルに行く」と言ったほうが適切かもしれない。日本とは違った環境に適応できるか当初は懸念されたが、ピラール日本語学校の活動が姉弟を支えた。
 ミツエさんは富山県内の中学校を卒業後、同県の高校を受験して合格。今年4月から新しい学園生活を送っていた。しかし、突然の帰伯により1学期までしか行けなかったことをお話大会で発表した。10年以上過ごした日本への郷愁からピラールで日本語学校に入学したことなどを説明し、「ポルトガル語が上手に話せず、ブラジル人との会話はいつも戸惑う」と本音を語りながら、「日本でやってきたことをブラジルで生かしたい」と締めくくった。
 よさこいソーラン踊りや陸上競技などにも積極的に参加しているという弟のシンジ君は、記者の「ブラジルに来たことについてどう思っているのか」との質問に、「帰ってくることは覚悟していた」と大人びた口調で語り、意外にもさばさばした表情だった。
 日本語教師の渡辺氏によると姉弟2人とも順応性が高く、すでに同校でも人気者になっているという。前向きな姿勢がほかの生徒たちにも好影響を与えているようだ。
 こうした日本語学校の生徒たちを裏方役に徹して盛り上げている一人が、同校OBの鐙野獅珠雄(あぶの・しずお)さん(16、3世)だ。現在、地元ピラールのオブジェチーボ(高校)に通っており、将来は農大を卒業して父親が行っている農業(花卉、野菜生産)を引き継ぎたいとの明確な意志を持っている。
 日本語学校は卒業したものの、今も同校傘下の陸上部に所属し、自身も走ることに生きがいを見つけている。その一方で後進の指導も行い、生徒たちにとって「良き先輩」として慕われている。
10月16日に聖市で開催された第5回弁論大会で優勝したほどの日本語能力を持ち、考え方も日本人そのものだ。
 「日本語学校時代は本当に楽しい思い出が多く、こうして学校を訪れるとその頃のことが懐かしいです」と率直な思いを話す。
 この日のお話発表会が開催された夜には、約15年ぶりに復活した文協青年会(森岡田紋会長)の発会式が開催され、鐙野さんも青年部のメンバーとして出席した。
 鐙野さんは「ソロカバにいる(日本語学校)OBの友達も、ピラールで何かイベントがあるごとにここに来て手伝いたいとの思いを持っています。私たちOBが学校や文協に来て、もっとできることがたくさんあります。大変だけれども楽しいことをやり、自分たちの町をより良くしていきたい」と熱い思いを語ってくれた。

(4)

 お話発表会を終え、同日の午後7時からは青年部復活の発会式が会館で行われた。
 日本語学校を卒業した青年たちは進学や就職と同時に都市部へと出ていき、ピラールを離れる傾向にあることは他の町の日系子弟と変わらない。しかし、同地にとどまる青年や街に出たOBたちが一時帰郷した際、日本語学校時代の楽しかった思い出が強すぎて「燃え尽き症候群」的な状態となり、現役の生徒たちの活動を遠くから眺めている光景が数年ほど前から目立っていたという。
 そうした子弟たちのことを懸念した父兄たちが相談し、約15年ぶりに青年会を復活させることを昨年から提案。約1年間の「生みの苦しみ」を経て、この日の発会式が実現した。
 青年部の具体的な活動はこれから少しずつ実施されていくが、以前のような労働力の提供だけを求められた青年部では長続きしないと、父兄たちは自分たちの体験からそう考えている。
 父兄たちにとっても農作業など仕事の合間に、青年となった子供たちと一緒に余暇を過ごしたいという強い思いもある。
 同校の活動について日本語教師の渡辺氏は、「ピラールだけが特別な教育をしているわけではない。日本語に携わる関係者みんなが大変だが少しずつ頑張れば、日本語教育はもっと良くなる」と断言する。
 現在の在校生が約70人の同校では、ここ数年で生徒数が少しずつ増加しており、父兄の一部からは「校舎を増築してはどうか」との声も上がっているという。
 校舎増築について「経費が高くつく」と反対する父兄もいる中で、「自分たちの宝である子供たちの中から、日本語を習うことに喜びを感じて日本語学校に通う生徒が増えている。ピラールの発展のためにも我々親たちの役割は、そうした子供たちの環境を整えることなのでは」との前向きな意見もある。
 「子供たちは、いろいろな学校行事に参加したいけれど、『恥ずかしい』『面倒くさい』との思いもある。教師が先頭に立ってやることで、子供たちも『ついていこう』という気になる。子供が楽しめば親たちも楽しむことができ、相乗効果ができる」と渡辺氏は、日本語学校と文協が一体となった活動の重要性をこれまで実践、体得してきた。
 文協の青年部が復活したことで今後、どのような催しや活動が行われるのかは未知数だが、親や上の者から言われて無理やり行うのではなく、青年たちが自主的に自分たちの充実した活動を目指していくことだろう。
 「自分たちの日本語学校、自分たちの会館、自分たちの文協」との思いがピラールの青年たちの中に芽生えつつある。全伯の日本語学校が「どうやって存続していくか」という同じ懸案事項を持つ中、ピラール日本語学校と新しい青年部の活動が将来へのモデルケースとして注目されそうだ。(おわり)


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